日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

「インサイト・センス」を磨く

2023-04-05 11:54:15 | マーケティング

昨日、FMを聞いていたら「インサイト・センス」という言葉が出てきた。
どうやら、これからのビジネスパーソンに求められる、「センス(=感覚)」ということらしい。

「インサイト(insigth)=物事の本質を見抜く、洞察力」という意味の英語である、ということはご存じの方も多いと思う。
その「本質を見抜く、洞察力」といった力が、これからのビジネスパーソンに求められるようになっている、というのが番組内で話されていた事だ。

このようなコトは、マーケティングでは随分前から指摘されてきたことで、ネットで「インサイト」と検索をすると、マーケティング用語として上位に表示される。
本来であれば、英語の意味として上位表示されなくてはいけないのだが、それよりも上位に表示されるということは、「マーケティングを教えている企業」広告ということだろう。
とはいえ、それだけ上位表示されるということは、様々な場面で「インサイト・センス」が求められるようになっている、ということだろう。

ところで拙ブログに来てくださる方は、何となく感じていらっしゃると思うのだが、拙ブログの中で「ビジネス関連」のエントリには「本質を見る」ということを再三書いてきている。
まだまだ日本では「マーケティング=市場調査」であり、調査された内容は数字としてあらわされる、と思い込みをされている方が多い。
大切なことは、数字ではなくその数字が示す内容であり、その数字の背景となっているモノ・コトを探る事なのだ。
今回の「インサイト・センス」とは、そのような「数字」が示す内容であったり、背景となっているモノ・コトを探る力なのだと、考えている。
ということは、「インサイト・センス」そのものは、特別なことではない、ということでもある。

このような考えが身についたのは、慶應義塾大学商学部名誉教授をされていた故・村田昭治先生のいくつかの著書に「ぬくもりがあるビジネス」という言葉から学ぶことができたからだ。
「ビジネスは数字の羅列ではない。そこにはぬくもりがある」という趣旨のことを、再三著書の中で述べられてきたからだ。
村田先生の言われる「ぬくもり」とは、「人の生活の中にある心の動き」であり、「ビジネスにはその心の動きを見つけ、人の心に寄り添うことだ」ということだと理解してきた。
それが拙ブログで書いてきた「本質を見る・本質を知る」ということでもある。

確かにビジネスには「売上・採算・利潤や利益」という「数字」が、一つの基準となっている。
大切なことは「その数字を創ってきた人たちの姿を想像する」ということだろう。
決して営業担当者の活動のことではない。
「企業にとって大切なパートナーとなってくれている生活者の姿」という意味だ。

数年前、「これからのビジネスパーソンが身に着けたいアートセンス」ということが話題になった。
それを受けて美術館に通うことがビジネスパーソンの必須のように言われたが、美術館に通うことが重要なのではなく、美術館に展示をしてある作品を見て・感じる・作者の思いを感じ取る」ということが重要、ということだったのだと思っている。
もちろん、ジャンルを問わず数多くのアート作品を見る事で、そのような感性を磨くコトはできる。
ただ美術館通いをしなくても、日々の生活には様々な感性があふれている。
その感性をキャッチするコトが、スタートなのではないだろうか?



YMOというバンドがもたらしたモノ

2023-04-04 21:13:56 | アラカルト

一昨日、音楽家の坂本龍一さんの訃報が、伝えられた。
先月末には、既にお亡くなりになっていたが、ご遺族の意向で発表そのものが遅くなったようだ。
今年1月には、高橋幸宏さんも逝去されており、音楽シーンで様々な影響を与えたYMOというバンドの再結成は、できなくなってしまった。
ただ、YMOというバンドそのものが個人での活動も多く、その活動の範囲もとても幅広かったため、YMOとしての音楽について最近語られることも少なくなっていたような気がしている。
それだけ、個性的なミュージシャンの集合体であり、横尾忠則さんのようなアートシーンで活躍される方との付き合いも、何等かの影響があったのかもしれない。

そのYMOが海外で注目を浴びるようになったきっかけは、紀伊国屋ホールで行われたライブを偶然見た米国のプロデューサー、トミー・リピューマ
の目に留まったことから、米国でのアルバムリリースが決まった、ということのようだ。
この時リリースしたアルバムは、全米チャート100位以内にチャートインをしたはずだ。
このアルバムリリースをきっかけに、米国ではなくむしろ英国のミュージシャンに影響を与える事となったように思う。
というのも、EL&Pやピンクフロイドといった電子楽器を多用したバンドが、既に人気を博していたからだ。
ただ、その後の世代のバンドが英国ではなかなか登場していなかったような印象を持っている。

そこに、日本からYMOがそれまでとは違う電子楽器を多用したバンドサウンドを出してきたことで、YMOに影響されたより若い世代のデジタルサウンドのバンドが登場するようになったような気がしている。
例えば、Japan(注意:XJapanのことではない)などが、英国の若い女性から支持されるようになると、それまでのパンク音楽のエッセンスを含んだ、デジタルサウンドのバンドが登場し、その後米国の音楽チャートを席巻するような「ブリティッシュイノベーション」と呼ばれるような、動きを創りだしたような気がしているからだ。
それが「テクノポップ」の始まりだとしたら、YMOというバンドが海外から高い評価を受けていたということも、納得できる。

マーケット的には、米国を含む海外での活躍を「成功」と言い難いところはあるかもしれない。
しかし、日本人のミュージシャンが海外のミュージシャンに、影響を与えたという例は、YMOが初めてではなかったのでは?と考えている。
海外ミュージシャンとの交流が深まる事で、YMOそのもの活動より個人の活動へとシフトしていったのかもしれない。
その中で特に坂本さんの活躍の場は、海外へと移る事になったのだろう。

活躍の場が広がり、アカデミー賞などの世界的な芸術賞などを受賞したことで、坂本さんは「これで、やっと自分のやりたい音楽をやる事ができるようになった」と、語ったといわれている。
ある意味「アカデミー賞受賞者」という肩書を得たことで、それまでの楽曲づくりの枠を超えても批判的なことを言われなくなった、という安ど感があったのかもしれない。
そして事実「枠が無くなった」ことにより、坂本さんはより自由な音楽表現だけではなく、社会的発言を積極的にするようになられたのだろう。
海外ではそれが当たり前だからだ。

もう一つ気づいたことだが、坂本さんは「戦場のメリークリスマス」をコレクティブNFTとして1音ごとの販売をした。
あたらしい経済:坂本龍一、今年演奏「戦場のメリークリスマス」テーマ曲を595音に分けてNFTに。直筆楽譜もオークションへ 

その時には、何故?という疑問を持っていたのだが、もしかしたら1音ごとに様々な人が持つことで、購入した人達が集まり「戦場のメリークリスマス」を違うカタチで演奏するようにしたかったのでは?という、気もしている。
何故なら、音楽そのものは人の心に触れ、残り、継がれていく力を持っているからだ。


「新型コロナ」の影響なのか?街の風景が変わった

2023-04-02 22:21:05 | マーケティング

昨日、久しく行かなかった名古屋の繁華街へ出かけた。
以前出かけたのは、「新型コロナ」の感染拡大による行動規制が始まった頃ぐらいだったと思う。
ということは3年ぶりくらいだろうか?
その間、帰省の為に名古屋駅には何度も行っていたのだが、名古屋一の繁華街栄近辺には出かける事が無かった。
やはり行動規制があると、気軽に出かけられないのだな~ということを実感すると同時に、栄という街の活気が無くなっているような気がしたのだ。

クラシックで重厚感があった銀行は無くなり、近代的なビルへの建て替え工事中だったり、老舗と呼ばれるようなお店が無くなっていたりした。
その中でも顕著だったのが、栄地下街だった。
栄地下街そのものは建て替えがあるわけではない。
ただ閉ざされたシャッターには「店舗改装中」となっているところが、いくつもあるのだ。
「店舗改装」という名目でシャッターが閉まっていると、当然地下街にある店舗数は減る。
減った分だけ、人通りも減ってしまう、という状況だったのだ。

また、以前の店舗とは違う業種の店舗が入っている為、地下街そのものに興味が減っているのでは?という、ことも気になった。
というのも、以前の地下街にあった業種は、様々だった。
靴屋さんもあれば、書店、鞄の専門店、10代向けのファッションのお店もあれば、50代向けのファッションのお店があり、実に様々な業種が「地下街」という限られた場所で様々な商品やサービスを提供していたのだ。

そして「地下街」に限らず、様々な業種のお店が集まる商店街などの活気は、「雑」から始まるのでは?という気がした。
「雑」というと、安っぽいような印象を持たれるかもしれないが、「雑踏」のように様々な人達が集まる場所のように、一つの型に収まらない自由さのようなものがある。
その「型にはまらない自由さ」があるからこそ、人は集まるのではないだろうか?
本来、「買い物」は楽しいモノだと思う。
何故なら、買い物には予想できないようなモノ・コト・情報と出会えるからだ。
「目的をもって買い物をする」ことが悪いわけではない。
ただせっかく様々なモノ・コト・情報に溢れている場所なのだから、そこで体験するモノ・コト・情報を楽しむことも「買い物の楽しさ」なのではないだろうか?

「コロナ禍」になり、長い間自主的な部分も含め「行動規制」が強いられてきた。
結果として、それは「人々が集まり、モノ・コト・情報を交換する場」としての街を、衰退させてしまったのでは?ということなのだ。
「コロナ禍」における、ネット通販の便利さは実感としてある。
ネット上に溢れる様々な情報は、安価で即時性もある便利なツールだ。
それでも、その場に行かなくては経験できないコトも数多くある。
それらを提供する機会と場を失いつつあるからこそ、改めて「街」について、考える必要があるのでは?と、感じた1日だった。