日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

亡き人と生きる

2020-01-17 19:14:20 | 徒然

「阪神淡路大震災」が起きてから、25年という時間が流れた。
25年という時間は、被災された方とニュース映像で見ていた人とでは、その時間経過は同じではないだろう。

随分前、故永六輔さんが「大往生」というエッセイを出した。
その中で「突然大切な人を失った人が、その死を受け入れるようになるのには、10年くらいの月日が必要だ」という内容を書かれていたように思う。
この「突然亡くなった人」というのは、坂本九さんのことだ。
ご存じの飛行機墜落事故によって、亡くなられたのだ。
永六輔さんは大ヒット曲「上を向いて歩こう」など坂本さんのヒット曲の作詞をしていたこともあり、家族ぐるみでのお付き合いがあったいう。
そして、ご遺族の方が坂本さんの話ができるようになるまでに、10年という時間が必要だった、ということから、「親しい人の死を受け入れられるようになるまでには、10年くらいの時間が必要だ」と、エッセイの中で書かれていたのだ。

3年ほど前に、批評家で随筆家の若松英輔さんの「悲しみの秘義」を読んだ。
若松さんの本を読むたびに「悲しみ」という言葉には、涙する悲しみだけではない、ということ知る。
特に、柳宗悦の「『愛し』と書いて『かなし』と読んだ。また『美しい』と書いても『かなし』と読んだ」という一文を紹介されている。

今では「悲しい」は「かなしい」であり、「愛し」は「いとし」であり「美し」は「うつくし」という意味しか持たないように理解しているが、柳宗悦は、かつて日本人の感性の中に「悲しい」という感情の中には「愛おしさ」があり、その「愛おしい」と感じ悲しむ姿は「美し」と感じ取っていたのではないか?
だから「愛し」も「美し」も「かなし」と表現したのでは?という。

なぜこの一文を思い出したのか?というと、「東日本大震災」直後、被災され大切な人を失った人たちが「亡くなった人と出会った」ということがあったという調査があったからだ。
NHK:NHKスペシャル シリーズ東日本大震災亡き人との”再会”

決してオカルト的な意味での「再会」ではない。
悲しみの中にある「愛おしさ」が、亡くなった人の存在を近しいものとし、亡くなった人と共に時間を過ごすことでしか、その悲しみが癒されることが無いのでは?という、気がしたからだ。
そして「悲しみが癒される」ということは、亡くなった人のことを忘れることではなく、こころのどこかで一緒に生きていくことなのでは?という気がしている。

25年という時間ではなく、愛おしい人と過ごした時間は途切れることなく続く、時の積み重ねなのかもしれない。
それは永遠に続く「想い」ということなのだろう。



年齢や性別で、ファッションを制限するのはなぜ?

2020-01-16 19:37:00 | ライフスタイル

朝日新聞のWEBサイトを見ていたら、「何故?」と思う記事があった。
朝日新聞:ロリータ服着る私、気軽に否定される「普通」との闘い

インタビューに応えている女性は、看護師として仕事をしながら「ロリータファッション」のモデルをされている、という方だ。
普段から、ロリータ風のファッションをされているようだが、この記事のタイトルにある「否定」と「普通との闘い」という言葉に、引っ掛かりを感じる。

ワークマンなどで販売されている「実用着」であれば、年齢・性別などは関係が無い。
何故なら、服そのものが実用性が高く、機能性や安全性などを優先に考えられているからだ。
昨今のように、工事現場などでも女性が活躍し始めると、性差による「服の違い」は意味をなさなくなってくる。
その意味で「実用着」には、性差よりも優先されるモノがある、ということになるだろう。

その一方で、セレモニーなどで着る服には、TPOや「ドレスコード」と呼ばれる「決まり事」があり、「男性であれば○○、女性であれば××」という制約がある。
例えドレスコードがあっていたとしても、その場の雰囲気や周囲の人たちと大きく違う服装をした場合、「常識が無い人」と、言われてしまう。
今年の「大嘗祭」での安倍昭恵夫人の服などは、その一例だろう。
ドレスコード云々ではなく、その場にふさわしい服装が、求められるということだ。

と考えた時、このロリータファッションの女性はどうなのだろう?ということになる。
普段からロリータファッションの服装をしているが、看護師として仕事をしている時には看護師の服装をしている。
おそらくセレモニーなどの特別な場で、ロリータファッションで出かけるということはあまり考えられないのでは?という気がしている。
何故なら、彼女は「普段からロリータファッション」をしているからだ。

では、彼女がロリータファッションをすることで、何か問題があるのか?と言えば、問題となるモノ・コトは無いはずだ。
ここで考えなくてはいけないのは「普通の服装って、どんな服装?」という点だ。
女性であれば、どんな時でもスカートを着用する、という考え方が随分前にはあった。
しかし、仕事をする女性が増えていく中で、動きやすい服装が自然と求められ、今ではパンツスーツで仕事をする女性も少なくない。
「普通」という基準は、時代と共に変化していく、とてもあやふやなモノなのだ。

とすれば、彼女に「普通じゃない」という言葉を投げかけられるのは、「ロリータファッション=10代の女の子のファッション」という、思い込みがあるからなのでは?
周囲が不快に思うのは「いい大人が、子どものような服装をして、恥ずかしくないのか?」という、ある種の価値観の押し付けがあるからではないだろうか?
あくまでも個人的な意見だが「30代でもロリータファッションが似合っていて、そのファッションを楽しんでいるのなら問題はない」と思っている。
実際、写真で見る彼女はロリータファッションがとても似合っている、ように思える。

何より、これから先のファッションはどんどん性差が無くなっていくような気がしている。
「男性がスカートをはくようになるのか?」というのではなく、自己表現の一つとして「○○でなくてはならない」という思い込みの枠が、外れていくのでは?ということなのだ。
女性がメンズ物を着たりするのは、既に当たり前になっている。
逆に女性用のスカーフなどを、お洒落に使いこなしている男性を見かけることも多くなってきた。

柔軟なファッションの思考が、日本の社会の閉塞感に少しだけでも風穴を開けるかもしれない。
「○○でなければならない」という、思い込みのフレームを一番外しやすいのはファッションではないだろうか?
そう考えると、少しだけ今の服の思考をずらしてみる、というチャレンジがあっても良いと思う。


日本でユニークな発想の企業が生まれないのは、何故だろう?

2020-01-15 12:16:36 | ビジネス

朝日新聞のWEBサイトをチェックしていたら、懐かしい企業の名前が出てきた。
朝日新聞:元ライブドアの企業支援家「貪欲であれ、高貴であれ」

「元ライブドア」というと、社長の堀江貴文さんを思い浮かべる方が多いと思う。
私もその一人だ。
冷静に考えてみれば、「ホリエモン(堀江さん)=ライブドア」の印象が強すぎただけで、ライブドアという企業には、様々な人達が働いていたはずだ。
「元ライブドア」という冠がつく、ビジネスパーソンがいらっしゃっていてもおかしくはないし、ビジネスの思考が堀江さんと同じでなくても、当然だ。

もう一つ、「IT企業=シリコンバレー」という、思い込みを持っていたことにも気づいた。
今や音楽を聴くスタンダートとなりつつある「ストリーミング」サービスの先駆者的企業・Spotifyや、グローバルビジネスに欠かせなくなりつつある「スカイプ」が、シリコンバレー発の企業ではなく北欧の企業であった、という点だ。

記事にあるようにシリコンバレーという地域の中では、ITを使った新しいサービスの発想が、出尽くしてしまったのかもしれない。あるいはシリコンバレーという「ムラ社会」が、新しい発想を生まれにくくしているのかもしれない。
何故なら、日々の生活スタイルが似通ってしまうと、発想や思考も似てきてしまう傾向があるからだ。
そう考えると、今の日本の社会はイノベーティブな発想や思考が、生まれにくい環境にあるのでは?という気がする。

理由として挙げられるのは、「横並び志向」という社会志向や、「減点主義」という「失敗することが悪い」という思考だろう。
「出る杭は打たれる」という言葉には、「目立ちたがり屋は組織の歩調を乱す」ということを指している。
だからこそ「杭を打たれないように、横並びでいることのほうが重要」という、萎縮した思考に陥りやすい。
「減点主義」によって、「冒険をするよりも、前例に従う」ほうがリスクは少なく、大きな成功は期待できなくても、わずかな進歩ができるという思い込みが生まれると思う。

このような社会文化の中では「破壊的イノベーション」などが、起きることはほとんどないだろう。
昨日エントリした「日本経済の縮小」は、まさにこのような「横並び志向」や「減点主義」という、日本社会文化の根底にある思考や思い込みによるところが大きいのでは?ということなのだ。

これまでのような「企業利益の拡大=社会の豊かさ」という時代ではない。
「内部留保」を増やし続けても、市場そのものが縮小してしまえば、企業は利益を求めることもできなくなる。
最低賃金の問題だけではなく、「社会の不便」に目を向け・変えていくという思いを、ビジネス経験が豊富な人たちが支えていくような「社会的しくみ」が、必要なのではないだろうか?

 


データが示す、日本経済の現実

2020-01-14 22:31:29 | ビジネス

今朝FMを聴いてたら、やや衝撃的な話題があった。
それは、1月8日に厚労省が発表した2019年11月の勤労統計調査によると、日本の労働者の賃金が減っている、という話題だった。

「アベノミクスで日本経済が上向き」と、安倍さんは胸を張るが実際には実質賃金は下がり続け、生活者の多くは好景気の実感は全くない!というのが現状だろうし、それが国の統計データとして分かってしまった、ということなのだ。
厚労省:毎月勤労統計調査 令和元年11月
このデータの中で注目していただきたいのは、「実質賃金指数」だ。
実質賃金そのものが、どんどん減り続けているのだ。

他にも、「時間当たりの賃金」データを見ると、日本の賃金の安さが際立っているだけではなく、賃金そのものが下がり続けているということが良く分かる。
東京新聞:<働き方改革の死角>日本、続く賃金低迷97年比 先進国で唯一減

時間当たりの賃金が下がり続けていれば、当然のことながら「景気実感」などは無いだろう。
にもかかわらず、安倍さんが「アベノミクスで日本経済が上向き」と言ってしまうのは、企業の収益が上がっているように見えるからだろう。
確かに、ここ数年企業の「内部留保」が増え続けている、というニュースはいろいろなところで聞いた。
「内部留保」が増えれば、企業にとって「万が一の時」の心配は減る。
リーマンショックのようなことが起きても、企業存続の為には必要!という考えなのだと思う。
しかし、21年間で「-8.2%」という数字は、余りにも大きな数字だと思うのだ。
しかも「先進諸国の中で、唯一減」ということは、日本の経済そのものが「縮小」し、企業がいくら「内部留保」を増やしても、経済全体から言えばプラスになってはいない、ということになる。

FM番組でも指摘していたのは「アベノミクス」で誰に、メリットがあったのか?という点だ。メリットを享受できたのは「GAFA(Google・Apple、Facebook、Amazon)」という、2000年代に入ってから急激に成長することができた一部のIT企業である、という点だ。
それが、日経新聞に掲載されていた「黒字でもリストラを進める企業が増えている」という問題にも、繋がってくるのではないだろうか。
日経新聞:「黒字リストラ」拡大、19年100人 デジタル化に先手

この「デジタル化に先手」と言えば聞こえは良いが、これまでの「年功序列型」の賃金形態の見直しをし、若い人たちの活躍を期待しているのか?と言えば、そのような印象もあまり感じられない。
言い換えれば「企業の肥大化」が、かつてのような「好景気」に結びつくのではなく、むしろ生活者が使えるお金をどんどん減らしている、ということになっているのだ。

結果として「GDP」にも影響を及ぼしている、というデータがyoutubeに動画としてあった。
youtube: Top 10 Country GDP Ranking History(1960-2017)

目まぐるしく変わるランキングだが、直近10年ほどで日本の「生産性」が急激に落ち込んできている、ということがわかる。
かつてのように「GDP世界2位」などは幻想となってしまい、「アジア経済を牽引する日本」でもなければ、「アジアの中の一つの国・日本」である、ということを冷静に受け止める必要があると思う。
以前のような「GDP世界2位」をもう一度目指すことは無理でも、「アジア経済における日本の立ち位置」を真剣に考える時期に来ている、ということだろう。

 


「ものごと」の意味を知る

2020-01-11 22:07:05 | マーケティング

拙ブログで度々紹介させていただいている、日経のコラム・COMEMO。
その中でも、大阪ガスのエネルギー文化研究所の池永さんのコラムは、いつも何かしらの考えるヒントを与えてくれているような気がしている。
今回の「おむすびとサンドイッチ」もまた、日本の食文化だけにとどまらず、ものごとの意味を知り、その意味が商品やサービスに反映されていなければ、生活者に受け入れられない、という指摘をされていた。
日経COMEMO:おむすびとサンドイッチ

イタリアに「おにぎり専門店」がオープンし、人気を博しているとは知らなかった。
イタリア人に「おにぎり」が受け入れられている、ということも何だか不思議な気がする。
何より「おにぎり」に欠かせない、海苔を食べるイタリア人ということが想像つかない。
欧米人にとって、フォークとナイフでは、切りにくく、噛み切りにくい食べ物が、海苔を含む海藻ということになるため、食べる習慣そのものが無いと言われていたと思う。

それが昨今の日本食ブームにより、お鮨の軍艦巻きなどで海苔を食べるようになり、おにぎりの海苔まで食べるようになった、ということだろう。
それだけ日本食が、世界に広まり定着しつつある、ということなのかもしれない。

池永さんのコラムは、海苔だけにとどまってはいない。
日本人にとっての「米文化」にまで、言及されている。
確かに、世界各国を見ても日本のような「米文化」は無いような気がする。
もちろん、世界で一番多く栽培されている「長粒米」は粘り気が無いため、おにぎりには向いてはいない。
逆に日本で多く栽培されている「短粒米」は、アジアの中でも日本を含む、東アジアごくわずかな地域だ。
栽培法にしても「水稲」と呼ばれるように、田んぼに水を入れ手間暇かけてつくられるのが、日本のお米だ。

そのお米を最大限美味しく食べる方法の一つが「おにぎり」ということになるのだが、「おにぎり」の魅力はそれだけではない。携行性という点でも優れているし、具を混ぜることで「主食+副菜」のような食べ方もできる。
「おにぎり」の進化の過程では、この「携行性+主食+副菜」という利便性もあったのだろう。

池永さんがコラムの最後に書かれているように、進化の過程には「進化する理由」があり、「進化の意味」を知ることで、その「モノ・コト」が社会に受け入れられる本質もまた見えてくるのだと思う。
ただ「社会に受け入れられる本質」というものは、とても見つけにくく分かりにくいという点も理解する必要がある。
何故なら、「社会に受け入れられる本質」こそが、マーケティングはもちろんビジネスを考える「素」だと思うからだ。



昨夜のゴーン氏の記者会見と興味深いデータ

2020-01-09 20:03:50 | アラカルト

昨夜行われた、元日産自動車の会長カルロス・ゴーン氏の記者会見。
日本の報道各社が、中継をしたようだが日本の報道各社に対しては、なかなか厳しい態度を示したようだ。
中継された記者会見を見ていないので、その内容に触れることはできないし、日本での受け止められ方とレバノンやフランスなどでの受け止められ方も違うはずだ。

レバノンは、ゴーン氏にとっての生まれ故郷で、フランスはゴーン氏がCEOを務めていたルノーがある。
今回のゴーン氏への容疑は、あくまでも日本国内を対象とした案件であり、日本の法律にのっとって行われた捜査であり、容疑内容であった。
そう考えると、ゴーン氏の主張すべき点は、「拘留中の待遇」ということになるはずだ。
そして、今朝の報道などを見てみるとやはり「拘留中の待遇」に相当な不満を持っており、それが「人権侵害である」という、主張に結びついているのでは?という、気がしている。

昨夜の記者会見では「人質」という、物騒な言葉も飛び出したようだが、ゴーン氏の表情からどのような感情が生まれていたのか?という、興味深い記事が日経新聞にあった。
日経新聞:AI分析でみえた「怒り」 ゴーン日産元会長

アルゴリズムデータを使いAIによって、記者会見時のゴーン氏の心情の変化を表情から読み解こう、という発想は今までにない発想だろう。
その意味では、これから先不祥事を起こした時の責任者の記者会見などでもこのようなデータ解析によって、その時々の感情分析をするようになるのだろうか?という疑問と(面白そうだな~という)期待を持ってしまうのは、私だけではないと思う。

さて、その結果だが日本及び日産を批難するような発言の時には、意外(?)にも怒りの表情多くないような気がする。
一方で「拘留中の自分の待遇面」の場面では、相当な怒りの感情を持って発言をしているようだ。
ということは、ゴーン氏にとって逮捕云々よりも「拘留中に週2回しかシャワーを浴びることができなかった」という「待遇面」に対して不満や怒りを持っていた、ということになると思う。

それが一転するのは「自分は人質であった」という場面だ。
「怒り」がなくなり「悲しみや嫌悪」などが目立つ半面同時期に「驚き」の表情が表れている。
その時の「気持ち」というのは「自分が拘留されている」ということに対する「嫌悪感」を持ちながらも「何故自分が逮捕拘留されなくてはならないのか?」という驚きであった、ということになる。
「嫌悪」の原因は、ゴーン氏のいうところの「誤認された」という捜査関係者に対する「嫌悪」だろうし、「驚き」はいまだに逮捕・拘留させられた「意味」が理解できていないから、という気する。

確かに、ゴーン氏は赤字続きだった日産を立て直した、という自負があるだろう。
だからといって、法律に抵触するような行動が許されるワケでもない。
今回のゴーン氏の狙いは「日本以外のメディアへ『日本独特の拘留の実態』」を知らせるとともに「自分はこれほどまでに可哀想な生活を文化的に豊かなはずの日本で受けてきた」ということのアピールだったような気がする。。


トヨタのスマートシティー、ソニーの自動運転自動車・・・未来はどうなるの?

2020-01-08 11:44:49 | ビジネス

昨日、日経だけではなく新聞各社のWEBサイトに掲載されていた、トヨタがスマートシティー参入とソニーの自動運転自動車の開発。
正直、驚く内容だった。特に、ソニーの自動運転自動車は、「まさか!ソニーが自動車?」という印象を持たれた方も多いのではないだろうか?
日経新聞:トヨタがスマートシティー参入 CESで発表

日経新聞:ソニー、自動運転をCESで披露 20年度に公道実験

高齢者社会が決定的な日本において、スマートシティーという構想は必要なことだと思っている。
何故なら、高齢者が自由に行動し「その人らしさ」を失わずに生活をする(=QOL)ということが、ますます重要になってくると考えられるだけではなく、「健康」という視点でも生活者の急激な体調変化に対応し、救急医療を充実させるという意味でも、「スマートシティーによる生活者のネットワークケア化」ということは、ますます注目されると考えられるからだ。

トヨタは3,4年ほど前から「MaaS」による都市のネットワーク化に対して積極的な姿勢を打ち出していた。
それを具体的な「街づくり」として発展させたのが、今回CESで発表した、ということになると思う。
選ばれたのが静岡県の裾野市というのも、元々トヨタの閉鎖した工場があったところなので、自治体としても受け入れやすい、という環境があったはずだ。
それだけではなく、トヨタ本社からも東京からも比較的近いので、実証実験の場所の利便性ということもあったはずだ。
というのも、このような「MaaS」を中心とした都市システムを必要としているのは、過疎地なのでは?と考えているからだ。
しかし、いきなり過疎地で実証実験するにはリスクがある、と判断したのでは?という、気がしている。

トヨタのスマートシティー構想よりも驚いたのは、ソニーの「自動運転自動車」ではないだろうか?
何故なら、これまでのソニーの事業領域と自動車は全く合致するところが無いからだ。
強いて上げるなら、「AIBO」だろうか?
ソニーは、数年前に業績不振からパソコン事業を切り離している。
その後のソニーは、エンターテイメント事業関連に力を入れていた、という印象すら持っていた。
4Kなどのテレビに関しても、「ソニーが提供するエンターテイメントをよりよく楽しむ為」の道具の一つなのでは?という、気がしていたのだ。
だからこそ、GoogleのようなIT関連企業が積極的な「自動運転の自動車」の開発に積極的であった、ということに驚いたのだ。

ただ、ソニーが「自動運転」の構想を以前から持っていた、とすれば納得できる部分もある。
それは、半導体の昨年前半期の売り上げでソニー1社だけが伸びていたからだ。
マイナビニューステクノロジー:2019年上期の半導体企業ランキングTOP15-プラス成長はソニー1社のみ

AIやIOTの技術の中心の一つは、おそらく半導体だろう。
だからこそ、AppleやGoogle、Amazonなどが半導体事業に興味を示している、という話を以前聞いたことがある。
そのAIやIOTの一つが「自動運転の自動車」だと考えれば、ソニーが目指しているのは「自動運転」だけではなく、エンターティメント事業との関連を含めた「生活の変革」だとも考えられる。

ただ、AIやIOTの進化が私たちの生活を豊かにするのだろうか?という、疑問もある。
というのもAIやIOTの進化により「人がああしたい・こうしたい」という考えを先回りをして、AIが行ってしまう可能性がある、と言われているからだ。
人とAIの大きな違いがあるとすれば、それは「考えること。想像と創造すること」だと思う。
その中の「考えること」さえ、AIが取って代わるようになれば、人はどんどん「考える」という面倒臭いことを止め、自己欲だけが膨らむようになってしまうのでは?と、危機感を覚えるからだ。


「カーボーイ思考」は、いつまで続くのだろう?

2020-01-06 19:15:46 | 徒然

イラク指導者殺害によって、窮地に立たされているのはおそらく米国だろう。
この事件によって、ロシア、中国はイラクを支持している。
欧州諸国での反応は、米国に対する非難するところまではいってはいないようだが、「米国の内政干渉」という考え方でまとまりそうだ。
肝心の日本だが、米国とイラクとの両方との関係をこれからも維持・継続していきたい、という意思がるにもかかわらず安倍さんの態度は玉虫色のようにあいまいだ。
「こちらを立てれば、あちらが立たず」という、状況だとしても「同盟国」として米国に一言あっても良いのでは?という気がしている。それだけの勇気が安倍さんにあれば・・・という話だが。

今回の事件の報道を読みながら感じることがある。
それはトランプ氏の「カーボーイ思考」だ。
何もトランプ氏に限ったことではないと思うのだが、過去アメリカが中東やアフガニスタンなどで起こした、軍事行動などを見ていると「いつまでカーボーイ思考を持ち続けるのだろう?」ということだ。
ここでいう「カーボーイ思考」というのは、「自分たちを守るためにはやられる前にやれ」という、思考のことだ。
1950年代から1960年代につくられた「西部劇」のような、カーボーイのイメージだ。
または、タバコの「マールボロ」のコマーシャルのような「強い男」という感じだろうか?

このような「カーボーイ思考」または「マールボロの強い男」というイメージは、トランプ氏の選挙基盤である中南部の支持層ともイメージが重なる。
この地域は別名「忘れられた人々」と、先の大統領選で注目を浴びた地域でもある。
それまでの主要産業が廃れ、若くして職を失った白人男性が持っている「男性像」というべきかもしれない。

この地域の人たちの中には「日本企業の進出によって自分たちの職が失われた」とか「代々男は、○○という仕事に就いていて、誇りをもっていた」という、かつての経済発展の中心は自分たちにあり、今は外的要因により失われてしまった、という趣旨の言葉を言う人達も多い。
本来であれば、時代の変化伴い教育や仕事そのものを変える必要があるにもかかわらず、「昔はよかった。何故俺たちがこんな目に合わなくてはいけないのだ!」という思考で、ストップしてしまっているように感じている。

このような問題は米国内の問題ではあるが、トランプ氏はそのような「不満」を持つ人達に積極的にアプローチをし、支持をえられてきた、という事実を理解すべきだと思う。
そのような支持者に対して、トランプ氏は「強いアメリカ。強い大統領」を演じる必要があり、それが今回の事件に繋がっているのでは?という、気もしている。

このような「カーボーイ思考」は、時として「米国全土を一体化させる」ことには向いているのかもしれない。
過去にもこのような手法で、米国にある種の高揚感などを与えることに成功した大統領はいる。ブッシュ元大統領(父と子の両方)だ。
特に、息子のブッシュ大統領時代に起きた2001年9月11日の「同時多発テロ」は、このような「カーボーイ思考」による国全体の一体感と高揚感をもたらした。
そしてこの「同時多発テロ」を引き起こした原因の一つが、父親のブッシュ大統領政権時代の「湾岸戦争」だとも言われている。
「湾岸戦争」もまた「世界の警察」である米国の威信にかけ、介入をした戦争だった。

このような経験をしているにもかかわらず、今だに米国が「カーボーイ思考」に縛られているのは、「カーボーイ」という存在が米国のアイデンティティーだと思っているからかもしれない。
しかしあえて言うなら、時代遅れの「カーボーイ思考」では米国そのものが、時代から取り残されるだけだと思うのだ。




揺れ動く「資本主義経済」?

2020-01-04 21:10:36 | ビジネス

日経新聞のWEBサイトに「逆境の資本主義」という、新春連載企画がある。
会員向けの記事なので、読むことはできないようになっているのだが、その中で唯一見られるのが「アニメーションで学ぶ資本主義」だ。
このアニメーションを見た時、「経済の変遷」や「資本主義とは?」という、ビジネスパーソンの基礎知識を分かりやすくまとめてあるな~と、感心をした。
日経新聞: 「見えざる手」とは?アニメで学ぶ資本主義

アダム・スミスの「国富論」やカール・マルクスの「資本論」など、内容に詳しくなくても概要としてどのような考えなのか?ということだけではなく、現在の米中の「保護主義」的経済などにも触れている。
そして、このアニメを見て考えることは「資本主義と民主主義」との関連だ。

アダム・スミスの「国富論」を基にした、その後の自由経済主義の考えは「政治は、経済に口をはさむべきではない=市場の自由闊達な経済活動が、社会を豊にする」という考えだ。
いわゆる「小さな政府」という考え方で、英国のサッチャー首相や米国のレーガン大統領などが行った経済政策だ。
そこまで大胆ではなく、どこか中途半端で弊害ばかりが目立つ結果となってしまった感があるのが、竹中平蔵氏をブレーンにした、小泉政権での経済政策だったような気がしている。

マルクスの「資本論」に関しては、「社会主義を促した」という認識を持たれる方も多いかもしれないが、「資本論」で注目すべき点は「労働」という点に目を向けた点だと思う。
「資本論」の中では「経営者は労働者に対して、配慮すべき点がある」という指摘をしている。
それは「労働環境」であったり「(表現は好きではないが)次世代の優秀な労働力を育てる」などだ。
今の言葉で言うなら「ブラック企業の問題」であり「子育て支援や教育」ということになる。
このような問題点が「資本主義にはある」ということを、マルクスは指摘している。

確かにマルクスの指摘している「資本主義」の問題は、一向に解決する気配を見せていないが、1989年のベルリンの壁が崩壊したことを考えれば、「少なくとも『社会主義経済』よりも『資本主義経済』のほうが、最良ではないが、まだ良いのでは?」という考えが、今の経済のグローバル化を促進させた結果だろう。
そして「特定の政治的権力者が、富を握ることがない」という点では、「資本主義」がもたらす「民主主義」の側面を表しているようにも思えるのだ。

もちろん、加速度的に進む「富の集中と経済格差とその固定化」という問題はあるが、民主主義の考えが進んでいない国ほど、一部の政治的権力者に富が集中し、最貧国という状況に陥らせている、という現状をみれば、「経済と民主主義」には深い関係性がある、と考えることもできると思う。

ただこの「民主主義」という考えは、とても脆弱なところがある。
「民主主義」の基本となっているのが、生活者自身が「民主主義を維持・より良いものにしていこう」という考えと、行動だ。
香港の大学生たちが起こした「民主化デモ」などは、民主主義を維持する為には「自分たちの考えを表明し、行動しなくては危うい」ということを示したような気がしている。
もちろん、その手法については問題すべき点もあるとは思うが、「民主主義」を生活者自身が維持していく為には「寛容性」や「議論の自由」など、手間がかかるものである、ということを実感させたように思う。
何より、香港の人たちは「自分たちの民主主義の維持と、北京の経済的コントロールを嫌っている」ように思えたのだ。

民主主義も資本主義も、完璧な社会や経済のシステムではない。
だからこそ、丁寧に考え議論し、他者に対して寛容と理解という努力が必要なのではないだろうか?









アメリカのイラン司令官殺害と報復、一体誰にメリットがあるのだろう?

2020-01-03 21:32:38 | 徒然

アメリカが「イランの司令官を殺害した」、と発表した。
そして当然のことながら、イランは「報復」を宣言している。
朝日新聞:「疑いなく反撃する」イラン司令官殺害、米に報復予告

まずアメリカが「イランの司令官殺害」というニュースを聞いたとき、何故今なのか?という気がした。
そして当然のごとく「報復」という言葉が、思い浮かんだ。
もう一つ思い浮かんだことは、「トランプ氏の弾劾裁判の引き延ばし。あるいはウヤムヤにする」ということだった。

トランプ氏に対する弾劾裁判が、下院で決まったのが昨年の暮れだった。
上院での決定がされていない状態なので、果たして「弾劾裁判」が現実に行われるのかは疑問だが、少なくとも「弾劾裁判」の決定は、トランプ陣営にとって大打撃になった、事は事実だと思う。
この決定で「再選は難しい」という状況に追い込まれたと考えた方も、多かったのではないだろうか?
それから年明けいきなり、トランプ氏の指示によって「イランの司令官殺害」が起きた。

これまでトランプ氏は、自分の都合が悪くなると必ずと言ってよいほど、「自分のスキャンダルから目を背けさせる」ようなアクションを取ってきているような印象がある。
だからこそ今回の「イラン司令官殺害指示」も、同じような考えがあったのでは?と、感じてしまうのだ。

しかし今回の「イラン司令官殺害」は、これまでのような「自分のスキャンダルから目を背けさせる」ような、軽々しい問題ではない。
何故なら、イラン側は「報復をする」と予告しているからだ。
この予告によって、トランプ氏は「イラン=テロ国家」として、軍事派遣をする理由ができる。
それが、中東和平の道を遠ざけるだけではなく、場合によっては再び「9.11テロ」のような事件を、引き起こす可能性もあるのだ。
もちろん、原油価格などにも大きな影響を及ぼすだろうし、その結果として日本経済にも大きな影響が出てくる、ということは暗に想像ができる。

トランプ氏としては、この「イラン司令官殺害」はメリットがあることだったかもしれない。
米国の主要産業である「軍事産業」もプラス材料となるだろう。
米国の「軍事産業」は、日本における自動車産業以上に裾野の広い産業とも言われていることを考えると、「軍事産業」に対するプラス材料は、米国の雇用などにもメリットがある、という考え方もできる。

だが、米国から遠く離れた中東では、無関係な人たちの多くが命の危険にさらされ、亡くなり「憎しみの連鎖」が再び起こり、そして戦火を逃れ、行き場を無くした難民を多くつくりだすことになる。
そして、報復合戦によって失われる「経済的損失」も、米国の軍事産業の儲け以上だろう。
グローバルな視点で見れば、トランプ氏の考えるメリットよりもデメリットの方が、遥かに多いのだ。