日経新聞のWEBサイトに「みんなの党」の渡辺さんが、DHCの吉田会長に「メールで5億円必要」と送っていた、と言うニュースが掲載されている。
日経新聞:「あと5億円必要」とメール 渡辺氏、DHC会長に
この記事を読んだとき、渡辺さんのお父さんの時代だったら「メールでよろしく」などということは、しなかっただろうな~と思った。
金額も大きいと言うことはもちろんなのだが、人からお金を借りるのだからメールではなく手紙をしたため、菓子折の一つでも持って、直接本人にあって借り入れをお願いするのが筋というか、当たり前の様な気がしたからだ。
それがメール一つで「お願いします」というのは、お金の貸し借りに対して緊張感というか、ことの重大性を認識していらっしゃったのか?はたまた「5億円」という庶民にとっては高額過ぎる額が、政治家にとっては高額では無い、と感じる金額だったのだろうか?
その感覚がよく分からない。
そしてSTPA細胞の小保方さんについても、「コピペ論文」という疑惑が出ていている。
ご本人は、資料として使った内容をそのままコピペをしているのだと思う。
ご自分で新たに論文を書くよりも、資料の内容とほぼ同じなら自分で論文を書くよりも便利で、簡単、と言う感覚だったのかもしれない。
小保方さんばかりが、「コピペ論文」でやり玉に上がっているようだが、大学の論文という点では、過去同様の問題が何度もあった。
その頃は「引用の多用」という言葉で、終わっていただけのことで、本質は同じなのではないだろうか?
それは「自分で考えるよりも、便利で効率良く」ということを優先させた、と言うことだ。
その「便利で効率良く」ということが、様々な場面で多くなり「想像力」を奪っているのでは?と、感じることが最近多くなった。
時には「想像力」だけではなく、そこから派生してくる様々な「思考力」や「行動力」も奪っているのでは?と言う気がすることがある。
最初に書いた「みんなの党」の渡辺さんの「5億円融資」なども、もしDHCの会長に直接会うために、借用の手紙をしたため、菓子折の一つでも用意をし、頭を下げた上でのことであれば、DHCの会長は報道されている様な話をしただろうか?社会的問題を秘密裏に終わらせていた、と言うのではなく、これほどあからさまな嫌悪感にも似た発言をしている、と言うのは、メールという便利なツールを使うことでマヒをした「礼儀」とか、「礼儀を欠く」ことで相手が不快に思い不信感を募らせる、と言う想像力が失われ、それらがすべての行動が今回の事件の発端のような気がするのだ。
しかも、渡辺さんご自身はその重大性に気づいていない様な、印象だ。
便利なサービスを利用することは、生活をラクにしてくれる。
そしてそこから生まれる様々なサービスは、新しい市場を創り、経済を動かす力となる。
それは良く判るのだが、「便利過ぎる」とこで「自分のコトしかわからない」想像力も「思考力」も低下した「行動力のない」人を創ってしまっているのでは?と言う気がするのだ。
便利過ぎる社会だからこそ、自分で行動し想像する思考力を身に付けるコトをする時代、と言う気がする。
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