ご無沙汰しておりました。
GW前に、母の弟である叔父が急遽入院。大学病院のICUで治療を受けていましたが、先日亡くなり、葬儀やその後の対応の為、帰省をしていました。
と同時に、独居老人状態である父のこともあり、週末やっと名古屋へ帰ってきた次第だ。
亡くなった叔父も高齢であったため、亡くなったことに対する悲しみよりも「叔父の人生を全うできたのではないか?」という、思いが強くある。
そう思えるのも、生涯現役という姿勢で、仕事をし続けることができたからでは?と、感じている。
とはいえ、世間では「生涯現役」として、仕事をし続けることができる人は少ない。
多くの人は、企業や公的機関に勤めながら、人生の多くの時間を過ごし、定年退職という区切りをつけ、新たな生活時間を創っていかなくてはならない。
その「新たな生活時間」の中で、「生涯現役」と思えるようなモノ・コトと出会え、向き合うことができれば、それはまた充実した人生の送り方なのだと思う。
ただ、今の日本の社会でそのような生き方ができる方が、どれほどいらっしゃるのだろう?と、叔父の葬儀中に考えていたからだ。
「人生100年時代」と言われるようになってきたが、それは「寿命」という観点でのコトだ。
「自分らしく過ごせる年齢(=ウェルビーイング)」となると、その時間はおそらく100歳という年齢に達することができる人は、多くないのでは?という気がしている。
2019年の厚労省の調査では、「健康寿命は男性の場合72.68歳、女性の場合75.38歳」というデータとなっている。
「コロナ禍」前の2019年の調査なので、現在はもう少し違う結果となっているのかもしれないが、実際の「平均寿命」と「健康寿命」とは違う、ということが分かるはずだ。
そう考えると、「健康寿命」と言われている間に、自分の「終活」を完了させておく必要があるのでは?という気になってくる。
というのも、今回叔父が亡くなったことで父の「終活」の一環として、実家の片づけを始めたからだ。
親元を離れ40年以上経つと、知らない間に両親が貯めていた様々な物があふれていることに気づかされる。
高齢となった父に、それらを片付けさせるということ自体、体力的にも判断力にも無理があることを、実感したのだ。
結局「断捨離第一弾」として、片づけをしてきたのだが、あとどれくらいすれば良いのか?と、困惑するばかりだ。
一時期流行した「ミニマリスト」だが、子育てが終了した頃から「程よいミニマリスト」を目指す必要があるのかもしれない。
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