日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

手段が目的に変わるとき

2006-07-09 12:07:46 | 徒然
アクセスをしてくださる一部の方には、すっかり行動を読まれていると思います。
昨日のお休み理由は・・・「ご想像の通り」です。
当然、早起きをしてのテレビ観戦でした。

昨夜のニュースで、奈良の母子3人焼死事件の犯人となった、高校1年生の長男の減刑を求める嘆願書が1500人集まったとあった。
この事件の詳細や背景となる事柄がニュースなどで報道されるたびに、「窒息しそうなこども」という言葉が思い浮かぶ。

犯人となった高校1年の長男は、「医者」になるため中高一貫の有名進学校へ進学し、それまで好きだったサッカーも、父親の意向で辞めさせられている。
深夜、父親の書斎でマンツーマンの勉強に明け暮れ、時には勉強が出来ないことで暴力を振るわれていたようだ。
学校関係者のコメントによれば、「このままでも、医学部進学は出来た」くらいの成績だったようだが、父親とすればもっと偏差値の高い医学部への進学を求めていたのだろう。
これでは「医者になるための、医学部進学」ではなく「偏差値の高い医学部進学」が、最大の目的だ。
「医者になるため」という目的が、いつのまにか「(偏差値の高い)医学部進学」へと変わってしまっている。
「志」が何処かへいってしまった進路は、無気力な進路でしかない。

「医師」という職業は、社会的地位も高く責任も大きい。
それは「人の命を預かる」仕事だからだ。
でも「偏差値の高い医学部出身」に、どれだけ大きな意味を占めるのだろう?
もちろん、医学界にも「学閥」というモノがあったり、師事する教授による力関係のようなモノがあるのだろう。
それが、「名医」の基準なのだろうか?
難度の高い脳外科や心臓外科手術を成功へと導く医師も「名医」なら、患者の気持ちを察し、分かりやすい言葉で病気のことを話し治療法を説明し、患者の不安を取り除くことが出来る医師も「名医」だろう。

医師になるための「医学部進学」という手段が、「偏差値の高い医学部進学」という目的へと父親の中で変化したことが、この事件の虚しさや哀しさのベースにあるような気がしてならない。




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