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川崎の襲撃事件から考える、中高年の引きこもり

2019-05-29 09:08:09 | 徒然

川崎で起きた50代男性による、小学校の通学バス襲撃殺傷事件。
PCでニュースチェックをした時、一瞬意味が分からなくなるほどの衝撃を受けた。
自殺したと思われる犯人は、一体何を目的として小学校の通学バスを襲撃し、学童や見送りに来ていた父兄を包丁で切りつけたのか?
犯人は、4本もの包丁を用意していた、という報道もあることから、最初からこの小学校の通学バスを襲撃する予定だったのだろう。

その後、犯人の成育歴などが報道されるようになった。
確かに、どのような事情があったのかは不明だが、幼少期に親から離れ親戚の家に引き取られる、という事実があったとすれば、同情する余地もあるのかもしれない。
もちろん、同じような成育環境であっても、社会人としての責任を持ち、社会の一員として活躍をしている人たちもたくさんいる。
そのような人たちにとって、逆にこのような犯人は迷惑な存在だろう。
まして50歳を超した大人である、ということを考えれば成育歴の影響はあったとしても、やはり本人に問題があったのでは?という気がしてくる。

これまでにもあった、通り魔事件に共通する一つに「ひきこもり」ということがあるように思う。
「ひきこもり」理由は様々だろうが、引きこもりながら「社会はもっと自分を評価してよい」といった歪んだ自己愛が高じた結果、という指摘もある。
犯人像についての新しい情報が、次々と出ている状況なので確定的なことは言えないが、「歪んだ自己愛」や「自己肯定感の低さ」、「(事件を起こすことで満たされる?)承認欲求」などがあり、犯行に及んだのでは?という気がする。

そのようなことを踏まえ、改めて考える必要があると思うことの一つに「中高年の引きこもり」があるように思う。
全ての「中高年引きこもり者」に、この犯人のような人物像が重なるとは思わない。
一度社会に出たが、精神的な病気で引きこもりになってしまった人もいるだろう。
問題は、その引きこもり状態から自身が脱却する努力をしてきたのか?それとも、そのような努力もせず自己欲求を満たすような行動が目立ったのか?というようなことの有無だと思う。
引きこもりながら、同居をしている親や周囲の人たちに突然激高し、暴言を吐き続けるとか暴力を振るうなどの行動が見られれば、その時点で半ば強制的でも専門医などのサポートをしていく必要があるような気がするのだ。

この犯人に限らず、バブルが崩壊し「超就職氷河期」と呼ばれた頃に社会人となった世代が、中高年と言われる年齢に達しつつある。
そしてこの世代(以降の)「引きこもり」の多くが、高齢の親と同居し、高齢の親が成人をした子供の世話をしている。
このような人たちの存在もまた、社会保障という点で大きな負担となることは想像がつく。
「引きこもり」をしている人たちの存在を否定するのではなく、「引きこもり」をしている人たちを如何に社会に引っ張り出し、社会の一員として活躍をさせ、責任を果たすようにするのか?
少子化と共に待った無しも社会的問題なのかもしれない。