Yahoo!のトピックスだったと思うのだが、「いまだにこんなコピーを考えているの?」と思うような話題が、取り上げられていた。
女性雑誌「Domani(ドマーニ)」の広告のコピーだ。
J-CAST ニュース:「働く女は、結局中身、オスである」 小学館の女性誌広告に批判、識者「時代遅れ」
この広告は東京メトロの表参道駅に掲示された野外広告だという。
このようなコピーだからこそ、東京の中でもオシャレな印象がある街・表参道に近い駅に掲示したのでは?という気がしたのだ。
言葉遣いは荒っぽい印象だが、「働く女性は、カッコいいでしょ?」という、コピーライターの意図を感じる。
おそらく「〇〇女子」という、どこか「永遠の少女っぽい」言葉の一般化に、抗うことで「〇〇女子」と言う言葉に抵抗感を持っている女性たちの共感を呼び込もうとしたのでは?という、気がするのだ。
コピー全体から感じられるのは、今現在の社会から感じられるコトに対する「否定」から入る「自己肯定」のような気がする。
「モテるのは、迷惑」とか「ママに見えないが、誉め言葉」という言葉の裏には、「モテる」や「ママに見えない」という否定的な言葉を使いながら、本当は「(幾つになっても)モテたい」し「『(ママだけど)ママに見えない』という意外性のある自分って、素敵でしょ!」ということなのでは?ということなのだ。
本当に「モテることが迷惑」と思えば、「モテる」と言う言葉そのものを使わないだろうし、「子育てに疲れた(=世間的ママのイメージか?)ように見えない」ということが重要で、いつまでも若々しく、結婚後もモテたいし、子どもがいるように見られたくない女性の為の雑誌、というところなのでは?
一番問題となったのは、「働く女は、結局中身、オスである」というコピーだろう。
違和感を感じた理由の一つは、「オス」と言う言葉なのだと思う。
「男・女」という表現であれば、それは社会的役割の中での性別という印象がある。
しかし「オス・メス」という言葉は、生物学的な表現なのでは?
「男・女」という表現よりも、より直接的な「性」を感じさせる言葉が「オス・メス」なのだという気がするのだ。
これまでの「(男女雇用機会均等法により)女性も男性並みに働け」という表現よりも、更に生物的な性を超えろと言っているような感じを受けるのだ。
確かに「オス」と言う言葉は、このコピーの中ではとても強く印象に残る言葉だと思う。
それが、このコピーの中では不快感を与える、ように思えるのだ。
広告における良いコピーというのは、
1.受け手となる生活者の気持ちに寄り添っている
2.共感性がある
3.人を傷つけない
4.ユーモアがある
5.分かりやすい(その商品やサービスの内容を伝えている。あるいはメッセージを平易な言葉で伝えている)
6.時代感がある
などの要素があるのでは?と、考えている。
もちろん、他の要素もあるとは思うが、コピーライティングをする中で上述したような要素をどのような言葉で伝えるのか?という、多角的な言葉の知識(「男・女」と「オス・メス」の表現の違い)や生活者の言葉のとらえ方という想像力が、必要なのだと思う。