日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

権力と忖度

2018-05-21 20:46:01 | 徒然

日大対関西学院大学との試合で起きた「悪質なプレー(個人的には「傷害事件」だと思っている)」による、余波がまだまだ続いている。
監督の辞任で、何とかことを収めようとした日大だが、これまでの後手後手の対応だけではなく、監督の辞任会見の内容に、強い不満と疑念を逆に与えてしまったようだ。
今日になって、日大の教職員組合からも真相の究明を求める声明が出され、怪我を負わされた選手と親御さんからは「被害届」が出される、というアメリカンフットボールというスポーツで起きたこと以上の問題へと発展している。
一部の新聞報道によれば、危害を加えた日大の選手が22日に記者会見を行う、という。
この選手の記者会見で、どれだけの真相がわかるのだろうか?と、思うのは私だけではないと思う。

この選手の記者会見がある、という報道を知ったとき思い浮かんだ人物がいる。
ハンナ・アーレントが書いた「エルサレムのアイヒマン」という本によって、その人物像が明らかになった「アイヒマン」だ。
アイヒマンという人物をご存じの方も多いと思う。
ヒットラー政権時代、数えきれないほどのユダヤ人をガス室へと送り込んだ責任者だ。
アイヒマンの行動から、多くの人達は「残虐で冷酷な人物」を想像していた。
しかし、実際のアイヒマンは凡庸でどこにでもいる人物だった。
その姿をエルサレムで行われた国際裁判で見続けたアーレントは、アイヒマン自身は「ガス室へと多くの人を送り込んだことに対する反省は無く、むしろ喜々として自分の仕事を遂行したことに誇りすら持っていた」と書いている。
何故なら、アイヒマンにとって「ヒットラーの命令を忠実に行う」ということが、自分に与えられた使命だと確信し、疑うことなく実行してきたからだ、と分析をしている。
アイヒマンが犯した罪は、「その命令が、社会的に反することである」ということを「考え・疑わなかった」ことだ、と書いている。

アイヒマンと怪我を負わせた選手とを一緒にするのは、如何なものか?と思うところもあるのだが、アイヒマンとヒットラーの関係と、今回の日大の監督と選手の関係が、似ているのでは?という気がしたのだ。
アイヒマンがヒットラーに心酔し、ヒットラーの権力が強くなっていくにつれ、アイヒマン自身は思考することを止め、忠実な部下としてふるまうようになっていった。

圧倒的な権力とカリスマ性を持っている相手に対して、心酔あるいは怖さを感じていたとすれば、相手の意図をくんで行動を起こす、ということは特別なことではない。
昨年の流行語にもなった「忖度」は、そのような行動を指す言葉だからだ。
もちろん「忖度」には、自分にとって「メリットがある」という気持ちも含んでいる。

日大の怪我を負わせた選手が、22日の会見でどのような話をするのかは、分からない。
ただ、彼が権力を持っていた監督からのプレッシャーから解放された状態で、彼自身の考えや思いの言葉で語られなくては、記者会見の意味は無いような気がする。