◆宗像神社と極楽寺を見物しにいく
子持瀬の渡し跡に来た道をそのまま進んで登っていきます。
上の通りに出て左方向(折原の方ね)に進むと踏切手前の道路右手に「宗像神社」がありました(11:08/24.1km)。
こちらには「後藤功祐(靖国神社の御鏡の台を造った方だとか)作の高さ約1.2mの社殿」が納められている。
この時は丁度神主さんがいらしたのでお願いして拝見させて頂きました。写真はなしね。
宗像神社から踏切を越えてすぐ右手に見えるのが「極楽寺」だ(11:35/24.2km)。
正式な名称は、「象頭山聖天院極楽寺」。
弘法大師がこの地の荒川岸壁の岩が象に見えたことから霊地として定めたことが開山の始まりだとか。
明治の末に「象が鼻」から現地に遷座されたとあるので、来る途中で見た「一石御厨子」のところが象が鼻だったのかしら。
露伴も、象が鼻の風景を「絵を見るごとくおもしろし。」と書いているし、また今度行ってみませう。
二股大根の紋は、いつ見てもニヤリとしてしまうのであります。
「狛犬(天保七年)」さんと「弁天」さまに『不謹慎ですよ!』と叱られそうなので退散であります。
◆折原橋を渡って対岸の渡し跡へ行く
今日の放水は5番でありますね。
露伴は荒川を渡らずに末野、矢那瀬の方を通っているので「川通り道」を使ったのかな?
いずれにしても今回は露伴とはここでお別れであります。
橋を渡って左折して、踏切を越えて少し走る。
左手に「折原村青年団が設置した道標(昭和六年)」があり「左子持瀬渡場ヲ経テ寄居方面」等彫られている。
ここから砂利道を川の方に降っていく。
皆さんがお世話になった渡し跡に着きました(12:12/27.2km)。
さて、また通りまで戻らなくちゃ。
つづく
昔から象ヶ鼻公園と呼ばれてますので私はここが象が鼻だと思ってました。象が鼻が公有地になったのを機に極楽寺に移設されたとのことですし。
またこの場所は遠くから見ると切り立った断崖が象の鼻のようにも見えなくはないです。ただし露伴が見た象が鼻の岩はその後明治43年の大水で壊れてしまったとのことです。
でも、もし象が鼻が私の思ったところでしたら、玉淀の先にあった「一石御厨子」はなんだったのでしょうね。
二股大根に私のへっぴり腰を見られていたのでしょうか?
ございました。付近で質問しても、忠魂碑の場所が象ヶ鼻であると聞きました。
そこから河原に降りれると思ったのですが、扉が閉ざされており断念しました。
弘法大師が象に見えた岩と露伴が見た岩、伝承された岩が同じという確証はないですし・・・
新説!ここが真の象ヶ鼻だ!!でも論じましょうかな^^。
一石御厨子は近所の方から「聖天さま」と呼ばれているものの、妻沼関係だと伝わっていると聞いた時にはビックリでありました。
二股大根の絡み合いは、日本人の素朴であり単刀直入、且つ奥ゆかしい表現力の現れかと。
ちなみに妻○の御当地キャラのえ○むちゃんの髪形は二股大根の形を模しており、エロカワイイとはこのことかと思ったのであります。
肝試し、スプラッタだらけの近頃では妙に微笑ましく感じるフレーズであります^^。
そういえばこの前、鳥の巣コロッケに並ぶZERO様の腰付きが二股大根のようにセクシーだったような・・・
なんちゃって。