自由人の発信 おっさんの中国一人旅から国内旅。

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7日目;臨渙目指して渦陽まで「行きつ戻りつ、結果オーライ」

2013-11-15 23:08:22 | 旅行記

10月18日(金) 臨煥という町、中国関係の書籍の中に、一般庶民の茶館文化が今も残ってる云々、場所を調べると(グーグルに打ち込むとたちどころ)、少し回り道をすれば、で訪ねてみようと思った所。

勿論バス旅。中国URLで調べても、ここ寿県から直接は行けない様で、まず淮南へ戻って、比較的大きな町、渦陽まで移動します。中国での都市間バスは遅くても午後2,3時で終了(お客拾って満員にしなければ・・・)、それに到着地での宿探しも考慮します。

5:50起床6:44日出7:00退房。清算時に、今日は渦陽まで行くのだがバスセンターに行く市内バス南門からかと、訊くと、なんだか盛んに言っています、西門から乗る??(そんな、西門から南門に・・・、西門の方が遠いだろ!)で、南門へ。

後で気がつきます、彼女が盛んに言っていた事!「小姐 多謝!」

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朝の寿春。

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朝食はワンタン、朝の喉越しいいので。

南門へ、えらい渋滞!車は完全に止まっています。それで無くともクラクション鳴らすのに、朝から賑やかな・・・、なんと小学校の前がダンゴ!そう子供送ってきた車や電動自転車、ただの自転車がT字路で突き刺さってダンゴ!これ毎日やってるの?といった感じ。

でもその先も渋滞!そう、この城門でセーブかけてる。おまけにみな気持ちは同じ、人より先にです、勿論反対からも。人から自転車、バイクに3輪車、車、大きさなんか関係なく。まさに中国の今の縮図!

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城外はこの通りデジカメの記録から3分しか経っていない?、内と外。中の人知ってるのかな・・・、いや知ってるから?

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バス停はと歩いていると、向かいの跡地(以前のバスセンター、ここでも問題なさそうですけど)に公共汽車が何台かいます。バス停標識が見当たらないので、車の方へ。「バスセンター行くか?」、頷きます(OKです)。1元

バスの中も賑やか!お客?(センター職員?)と昨日の出来事か儲け話?で運転手交えて大盛り上がり、運転中です!クラクション鳴らしながら。携帯もバクバク、内も外も元気一杯で始まります。創作話ではありません!これ中国の今。

スピードは出すし、途中のお客もいないので、タクシー並み。15分程で到着。

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古い方のターミナル?で降ろされます。淮南行きは何処だとそこらの人に訊くと、新しい方を指差します。、

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完成間近か?奥に何人か作業員います、ここまで作ったらもう大丈夫?それとも疲れたのか?

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マイクロバスしかいないので訊きます、と乗りなと。満員になったところで発車、料金は4元?来た時は11元だったけど・・・。マイイカ!

待ってる人いれば乗せてあげます、定員?だってそれじゃー・・・。

やがて、川を越えて、淮南のはずれ街に入ります。と、乗客皆降りていきます、オット私も続いて。こういう事でした。。

そう、ここは淮南市域なので淮南市の公共汽車がカバーしています。で、これからはバスで各方面にいきなでしょう。淮南から寿県へ入るルートで、グーグルシュミレートしていますし、地図も買っていましたのでバスルートも解ります。

近くのバス停から取り敢えず乗ります1元。フム?なんだか違う方角へ曲がって・・・、隣の女性に訊きますが、このおじさんナニ言ってるんだろです。取り敢えず下車。。

バス停表示と地図で確認!ルート確認!乗り換え一回で淮南バスセンター経由のバスに乗ります。

淮南市の線路の南側をドンドン、でも1元です。南側は開発真っ盛り。中国での建設の様子。

この建物は壁も一体でコンクリート施工しているようです、が多くの場合柱とスラブだけ、その後間仕切り壁はブロックかレンガで、その次に外装、設備・内装、これを輻輳しないように一工程づつ、上から下へ。そうやって見ていくと、建設現場が理解できると思います。国情に合ったやり方なのでしょう。。ここの施工はかなり進んでる。

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バスセンターに近づいたので、通り過ぎないように降りたのはひとつ手前、で、この光景に。解ります?塀の中が現在工事中、中からクレーンが回ってきて、道路に止まってる車の資材を取り込んでいます。歩道を通っても怒られませんが、気を付けてないと!(手前の自転車の人迷ってる?)。

先日わが町札幌の勤め先近くで同じような事していました。責任者に注意しようかと思いましたが止めました。そこはそこそこの建設会社が丸投げしている感じ、言ってられません。

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バスセンター10時になります、そして前の喧騒が聞こえてくるようです。

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渦陽へは11:30、少し近辺を・・・、でもザック背負って、この渋滞、おとなしく待ちます。

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隣のこのモールで食事をと覗きますが、安くて美味しそうでもありません。

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で、バスセンターの売店で方便麺5元とゆで卵2元。売店の伯母さんここまでしてくれます。

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渦陽行きのバス、オ、豪華バスです。。

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定刻出発、バスは前回と同じく道路に出ると右折(道路センターには柵があります)で柵の切れた所でユーターン。上下線で車止めるのですが・・・(出入り口信号よりいいのかなー)。

そして、ユックリユックリ、エ、こんな所に入って?もお客がいるから?やっと表通りに出て、チェックポイントを通った?マ、イイカ。

アレ・・、さっき通った湖、この櫓も。やはり戻ってる、バス乗り換えた街をまた通ります、3時間後に。1時前に淮河を渡ります、と鳳台という町に入りました。間違ったバスは鳳台行きでした。そうです、旅館の小姐も確か西門から・・・、フム。。でもバスセンターは通らず、ここでこのバスに乗るのは至難の業、いや、私では・・・、でも・・・。結果オーライでしょう!

くどく書くのは、このルート、グーグルで想定できたので、百度で鳳台バスセンターを探したのですが見つからず断念していたのです。

淮河は思っていた以上に大きな河。寿春北面の川はこの河に注ぐ支流です。そうこの河で過っては多くの海戦が行われているし、この河を境に南北争ってる。小川であるはずが無い。。黄河、長江、そして淮河、歴史に度々出てきます。

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淮河を渡ると急に大平原の感じ、そう中原に入ったんでしょうか。

急にかなりな規模の灌漑水路?そしてゴミも無く。これこそ国の基本、都市が豊かになればいいというのは間違ってる、それが克服できていないのがいまの中華人民共和国、だからいつまでも毛沢東の亡霊が付きまとう?。

その中の町、利辛。ここではバスセンターに入ってトイレタイム。こういう時にはみなと一緒に済ませていないと大変な目にあいます。

それにしてもバスセンターのお便所ですよ!もう何とか卒業してもいいかと、目にくる刺激臭、中途半端な仕切り戸ですが、明け放して用足ししなくてもと思いますが、これも習慣かと。

内蒙古の旅、バスで隣り合わせの人(東京出デェズニーに来た)が言っていました、「中国はまだソフトの面で10年20年遅れている」と。正しいとか間違ってるとかでなく、人間としての尊厳ではないかと。その意味ではまだまだ中国の人達はその尊厳を享受していないのでは、今の権力はその努力をなしていないと。

時間通り?3時半ごろ渦陽バスセンター到着、ここはセンター正面。

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バスの出入面。向かいに見えた相応の賓館へ。

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何の問題も無く、98元。

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絵画も飾っているのですが・・・。ここにもPCあり、インターネット繋がります。安否情報発信、でも発信情報は記録からその都度削除しています。帰って私のPCに情報をアップした時の用心?意味ない?

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ホテル前、町の中心交差点の様子。正面にポリスボックス、横にお巡りさんいます、よって規則に従っています?。これを見れば現在の中国内陸の生活水準が少しわかるのでは、感じたそのものです。ただ三輪タクシー?はみな電動自転車。。

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人々の生活。

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学校帰り?の子供たち。

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繁華な通りから一区画外れた所の一コマ。頭の無い羊、血抜きです、だから羊肉が美味しいのかも。ニワトリさんもゲージの中で待ってます?今は元通りに売られています。これでは偽装表示出来ませんね、いや中国の人達は書いたものや言ってる事は基本的に信じていません、それが国であろうと。。

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この横で、取ってきた魚を売っていました!船ごと持って来て商売する!鵜たちも平然としています。

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さて、暗くなってきたので、件の繁華街へ食事に。今日はここで串焼き、肉から野菜、キノコ、豆腐を「これ2本、これ1本」で焼いてもらいます。ふりかけるスパイスがいい!

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発砲スチロール保温箱のこの蒸した物も旨かった、中にはニンジンや野菜類。「このくらい切って」で量り売り。付いてる付け出し(前の人ガバガバ取ってます)と一緒に食べます。

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ビールも含めて25元。ビールが冷えてると・・・。

ホテル前交差点の様子をユーチューブで https://www.youtube.com/watch?v=tdIdAJyfVwI

今日も気持ちよく、シャワー浴びて、少し本読みしてお休みです。

明日は臨煥に途中下車して、百善で乗り換え、商丘まで行けるか。次は「公案 お茶とは?」

今日使ったお金;8+1+4+1+1+5+2+40+98+25=185元

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6日目;南北抗争の城、今の寿春

2013-11-13 16:16:20 | 旅行記

10月17日(木) 6:30起床、淮南行きバスは9時、近くの龍興寺を。このお寺は中止された中都の資材を使って建立されたとかのお寺。

これを書いている今日もネットで中国情報をチェックしていると、ニューヨーク・タイムズ記事転載で、中国の水汚染の酷さとして、水道水は臭気がひどく、当然飲めないという記事が報道されていました。

でも私は旅の間の2週間、いつも違う場所で水道水をポットで沸かしたお湯に、茶葉を入れて飲んでいます。ミネラルウオーターは買いません(サービス物は利用しますが)、いつも快調です。

思います、「中国では・・・、らしい」、と言う話。伝聞とは途中の媒体のフィルターを経たもの、解ってるが、自己の希望で信じようとするのが人族、ヒト。。

7時過ぎていますが、ママはまだお休み?そっとフロント(寝室?)前を通って。鍵はかかっていませんでした、このゲート(玄関?)。

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グーグル思い出しながら、この方向へ。すぐ近くのはず。

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キョロキョロト探しましたが、すぐ後ろにあります。

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前は到着したバスターミナル(右手欠けてる建物)。

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7時半ですが開いています、老人票です。

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街の中、創建は洪武帝です、当時はこの奥行きで、両側もあった広大な寺院だった。

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天王殿?仏教寺院でない? 朱元璋は少年の頃、生きていく為にお寺に入り、乞食僧として放浪した時期があります。よって、宗教の裏面も見てきたのでしょう、皇帝となってからは為政者として仏教を利用しています。当時盛んであった仏教は禅宗系だったようですから、禅宗として創建されたと思います。

中国仏教は共産党政権になってより、特に文革時に完全と言えるほどに中断してしまい、改革解放後の今再建時期といった所かと思いますが、同時並行して社会主義資本経済なる、社会体制の中、地域観光事業的な傾向が前面に出て、信仰対象とし参観すると戸惑います。

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中は工事真っ盛り、参詣者は拒まずです。。

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中都が中止になったので、ここの修復、改築にその資材が多く使われたと読んだのですが、全ては現代再建?仏像の類も今様にキンピカ、記録は遠慮しました。

この碑文には「第一山」とあります。なんだか600年も経っていないようなー。その点中国の人達は、その歴史的(骨董的)価値より、その事実を大切に!なので甦らせ?今を大切?にします。

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観光!観光!なのかも。。

中国一般住宅での鉄筋コンクリートに使われる鉄筋は、日本と違って写真の右材料でなく、6ミリのコイル状にしたのを、伸ばして使うようです。伸ばす道具(機械?)もあります。

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これでは参観に1時間もかからず、宿に戻る途中で朝食。6元、地方は2,3割安い?

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宿に戻って退房、カーさん居ません(ベットは・・・)、清算(押金)あるので、声かけます。フム?表?の便所から・・・。「ア、行くの!」です。

80元の旅館、部屋もそれ相当!でもこれも今の中国。だからどうという気はありません、共産党はどうしようとするのかです。この国内状況を周辺国との緊張関係に置き換えてほしくないものです。

そうだ、ここには花鼓があったんだ!残念。。

さてこれからは内陸をあちらこちらとバスの旅。先ず淮南まで。中型、19元。100㌔弱3時間?

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この地域の農村では、時期(刈入れ後)もあり農地にはあまり人が居ません、耕運機かトラクターです。多くの人が都会に出稼ぎ、人手が無いこともあって機械化?。ある意味日本が歩んできた道か。農地は広大、区画整地もそこそこ整備されて、手入れはされていると感じました。

ただ気になったのが一般道(県道以上、国道以下?町々を結んでる)の老化、劣化。今では高速だけでなく一般道もアスファルトが多くなっていますが、それまではコンクリート信仰。当時の車の重量も今では倍々?

コンクリート舗装は傷むと補修が利かない!その更新工事も豪快?そこのけそこのけ、良くなるんだから合作です。

この工事前の道路は・・・、酷い所を避けながら、前にいる車を追い越すのに、真ん中走るバイクをどけようと、クラクション鳴らしっぱなし?で。スピード出せる所ではここぞとばかりスピード上げて走ります。まるでカーチェイス気分?つい手に汗、手にしていたバックで防護姿勢です。

お願いだから、車掌?やお客さん、運転手と話ししないで!、運転手さん運転に集中してください!(ハハハ、任せておけ!かな?)

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地方には、そこそここの手のセメント工場が見られます。原料の石灰石、粘土は国土を覆っています、燃料の石炭は網の目の運河で、そしてこの工場。建物も道路も工作物はこの便利な材料で全てまかなっていたのでしょう。でもこれからはこの粉塵が・・・(日本でも過ってはセメント工場の近くの家は雨漏りしないとかでしたが・・・。)。

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11時過ぎに淮南バスセンター到着。

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ここから六安行きで寿県下車です。このチケットの発車時間には流水と・・・(随時と言う意味かな~)。11:45発車でした。

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ここでもターミナル出るとあちらこちらとお客探し?なんだか待ち合わせ場所があるよう?携帯にも入るようです。そしてここのような少し大きな町(市)から出る時には、なんとも知れないチェックポイントがあり乗客の確認受けます(確認する係り員もいれば、明らかに見るだけの?)、フム・・・、お金がかかるの?通行税??車掌さんが払ってるような・・・。そう、システム、これ中国の常識?(だれも文句言わないし・・)。

寿県までは30㌔弱、1時頃グーグル地図とマルッキリ違う、寿県のバスターミナル前で降ろされます。。ハハー、また新設ターミナルだなと。

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丁度街に戻るようなタクシーがいます。「到城市多少銭?」「10kuai」「好!」で街へ。かなりの郊外!

寿春です。時間もまだ早いので、街のここ入口で降ります。

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お堀はいいとして、城壁は・・・。

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少し寿春の説明;春秋戦国時代には、楚の国が秦に追われて荊州からここに都を移します。三国志にも度々出てくる地名ですが、魏晋南北朝時代の「�倍水の戦い」はこのすぐ近くの川を挟んだ戦い。宋建国前の後周による南唐攻めにおける劉仁贍による1年半に及ぶ篭城。西の襄陽、東の寿春、東西の戦略拠点。

そんな寿春の城郭を想像していたので、この規模は少しがっかりです。

この城門は新しいぞ!もっとも昔の城門では今住んでる人が生活できないか。

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南北を貫くメイン道路。まずは腹ごしらえ、�葷飩(ワンタン)6元。

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さて今日の宿、まず目に入った相応しい雅家賓館へ。アア、表靴屋の脇を通って、「今晩一人だけど部屋ある?」「有!」120元、外国人可。でパスポート、「オオ、日本人だって!」そこに居た皆さん注目!

さて外人用 宿帳記入。女老板?どれが名前?です。初めての記入で何がなんだか状態。カウンター越しに見ていましたが・・・、「どら、俺が記入してあげようか!」(ここで面倒になって断られるとまた探さねば・・・、丁度昨日記入の仕方見ていました!)「ア、出来るの!だったら替わって」で私が記入「ホイ、お前さんの名前は?」とかで、無事記入終了!周りの連中からは尊敬?の眼差し(私の為ですが・・・)。

パスポート、コピーして来るので貸してくれです(パスポートの大切さが解っていない?)。部屋はこんなもんでしょう、それなりに清潔。

でも頭の上にトイレペーパー置いていたんでは、使う時わからないだろ!

パスポートコピーなかなか帰ってきません、ただの白黒コピーに何処まで行ったのかです。

街の中心交差点。

先ずは時間制限ある博物館へ。博物館前の何か?確認していません。奥は図書館と表示あります。

博物館入口?

中の構内にはあちらこちらとお年寄りが暇つぶし。。

 

これこそ管理して、綺麗に色塗りしてもいいかと。

中国では一村一品ではありませんが、博物館があります。ある意味不釣合いと思えるほどの建物で。

そして12時から14時半まで休み(閉館)ます。後五分ほどです。

淝水の戦いがメインテーマ?

  

前秦苻坚 苻坚之弟苻融?東晋 謝安謝安之侄 謝玄? 

展示品の磁器。由来が説明ありません、マ、こんな物があったと言うことで。。

    そこそこの物のようですが・・・。

これには由来がありました。

 

2,3年前から中国でも博物館は無料になりました。でもその為か、内容が貧弱になったような・・・、スタッフも倦んでるような。写真とっても平気な所が多くなりました。

表に出た所で3輪タクシーで東門へ。

これは古い!明清代でしょう、甕城も残っています。

城楼の上にはこの碑もあります。 そして音楽好きの人が集まっての演奏会様子をユーチューブでhttps://www.youtube.com/watch?v=QfatUg42xx4

城門の構造が解るかと。

   

ここが城外東からの入口。よく釣り人見かけますが、釣った魚は・・・(勿論食べるでしょ!油で揚げて)。

やはり城壁は修復している?過っては城門の高さで廻らされ、周りの堀も相応の規模で、そういった想像がこれではなかなか・・・。マイイカ!!

 

東門城内の様子、観光客当て外れ?

水門工事、淮河の逆流防止工事?来年はスッキリしてるでしょう、が、城壁まがいを廻したからといって観光客が来るわけでは・・・、マ、街が綺麗?になるんだからいいか。。

 

城内はかなりの大きさ、こういった農地までもあります。

攻防の八公山。

過っての水瓶?

 

淮河の流れ?。

城壁まがいは北門へと続きます。

オ!この北門もかなりの物!

 

でも自分達生活の利便性を犠牲にして、ここまでテーマパーク化したのに、観光客は予定通りなのか・・・(私は国慶節後なので観光客は引いた後かと・・・)。

 

22年前(1991年)の大洪水時の水位だそうです。まだその時は城壁整備は・・・。

北門城外は綺麗に整備されています。

 

北門から中心市街への通り、こちらは人通りが少ない。屋台で韓国チゲ様の、美味しそう!このくらい、で切り分けてくれて、量り売り3.5元

お魚はこうやって売られています、量り売りです。ライギョからコイ、フナ、ナマズ、etcです。

街の加治屋さん、何でも出来ます!。私達が子供の頃は町内にありました。今の状況って何なのでしょう。

 

部屋からの光景。ここでの今の中国の人達の生活!「富裕層!何処に居るんだ?」と言った感じ、でも居るんでしょう何千万人もの富裕層がテレビだインターネットに露出して。そして郊外開発区には政府?の巨大な建物、手の届かない、人のいない高層マンションが。

さて暗くなったところで食事に行きます。火鍋のお店、大なべの火を撮りたかったのですが。

お店の前で売っていたソーセージに内臓肉の燻製?で火鍋出来るまでビール。

乾麺の煮込み?これは美味しかった!

配達されてきた、米粉?ここに置いとくか、です。これだけの物、何日でさばくのか・・・、このエネルギーに圧倒されます。

宿は通りの向うすぐ近く、帰ってシャワー浴びて・・・、今日の安否連絡はイイカで、就寝。

明日は淮南へ戻って臨煥目指して渦陽まで「行きつ戻りつ、結果オーライ」

今日使ったお金;20+6+19+11+10+6+120+5+3.5+9+27=236.5元

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5日目;「湯和が呼ぶ」 鳳陽 明中都

2013-11-11 15:45:32 | 旅行記

10月16日(水) 今日は南京南から新幹線で蚌埠bangbu、そこから明開国の功臣 湯和の墓を訪ね、安徽省鳳陽へ入ります。

5:10起床6:30押金清算して退房。まずは朝食、�葷飩(ワンタン)?食べてると、隣の女性が「・・・」(何か異物が入ってる?)、サッと女老板?(まだ若い!)下げて、自ら厨房へ(調理した若い男性調理人?フム・・・、代わりを出して。何事も無く日常に。。なんだかんだの言い合いも無く。ある意味感心!

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7:50南京南駅。出発ステージ?この下が到着ステージで到着した時はそこを撮影しています。何なのかな~、この巨大さ。

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駅前の眺望。結構な郊外ですが、地下鉄でのアクセスですので不便は感じません。

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そして出発口エントランス。

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エントランスから上がった所の待合スペース。ブランド品店?お客は居ません。

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列車は8:16改札口7番、4号車1C席。

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8:05改札したらそのままホームに下りていきます。動線はスッキリ。

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結構スピードは上下します。列車より運行管理が追いついていない?そう、中国ではそのスピードにソフトが伴っていないようです(マンパワーも含めて、急激な変化だけではない・・・)。でも見栄はって事故起こすより、これで充分だと中国の人達も思ってるのでは。

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在来線では2時間半ほどですが45分ほどで早、到着。ここも蚌埠南、新駅です。

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駅前からのバスで見当つけていた(グーグルで路線番号、バス停も確認できます)ここで下車。

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新しく開発されている区域?でもこの光景には、グーグルも追いつけない?住民?

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こちらは既存の街の方向ですが、こちらも!

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そしてすぐ目の前のここも!

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クレーンが見えるので建設中!もう止められない?

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この道路の先にも!あっちもこっちも。。そして記憶しているのは、この先に湯和墓あるはず。グーグル地図プリントアウトして来るんだった(予定は近い反対方向から入る予定でした、そう、予定は予定、絶えず臨機応変、でも予定があるから出来る事だと思っています)。

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まともな道路になって ホ!

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ヤヤ!どっちだ。今書きながらグーグルで確認すると、まるで違う新設道路を進んでいました。初めっから間違ってたようです。

思い浮かべながら(まるっきり違うとは思いもしないで!)、左へ。それにしても、こんな道路、新設だと思います?。

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ここらから会う人、会う人に聞きます、皆この先だと。

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この近くで聞くと、右手の山の向こうだと!そうです、左は下って湖に出そうですから。

で、分け入った林の中を進みます。ザック担いでます、まるで山登り?

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たどり着きました!陵墓の裏のよう。辿って行くと、見えます!到着です。

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門が開いています(後の話ですが、正門の方は施錠されていました!)、で覗くように入って行くと、管理人さん居ます。門票5元だと。何処からと訊くので「日本から」と、でも聴き取ってくれません、パスポート見せると、おじさんハア?です。”こんにちわ”と言っては(抗日テレビの影響)、先にたって案内してくれます(門番いいのかな~)。

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湯和の墓です。

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おじさん、ここに居た二人に私の説明。

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お賽銭あげ、お参りすると、ここを降りて行きなと。

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調べると「?�柳襄武王?和�鋲位」と書かれているよう。石棺まであります、遺体も?でも綺麗すぎでは・・・、信じることにします。

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私は裏口から入ったのですが、こちらが参道。これから鳳陽に行くと言って表のほうへ退出しようとすると、おじさん付いて来ます。解るからと言っても・・・。

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この位置から左に道?(住宅街の中の・・)があり・・・、なんと先には鉄柵です。おじさん鍵持っていて開けてくれます。と言う事は、ここに来ていたら入れなかったと言う事?

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こんな格好で裏口から入って来たのです、それも日本から。まるで玄奘三蔵?オット怒られそう!

住宅街抜けた道路を左に曲がろうとすると、まだ付いて来ているおじさん、右だと言います。よく訊くと、左のほうの道路は現在工事中でバスは通っていないと!

で、また元来た道に戻ってると、タクシーがすれ違います。お客降ろしての戻りのタクシーに手を上げて「到鳳陽多少銭?」「四十kuai」「好!」で鳳陽までタクシー。

それにしても、偶然に偶然が重なって・・・、湯和さんお呼び?、キット・・・・。

湯和については調べると含蓄あり。

タクシーは15,6㌔を爆走40元は地元値段。ここでも、この両側工業団地、工場もそれなりに張り付いてるようです。片側3車線歩道付、でも道路は一部区間が弾丸では意味無いのでは?イヤ、出来る所から作って、これ中国の常識!

11時過ぎには長途汽車站到着(この三ツ星ホテルの向う500mほど先)、明日の寿県行きを訊きますが、ここから出ない?西站から、らしい?。

近くらしいのですが見当も付かない(ここまでシュミレートしていません)、で3輪タクシー?をつかまえ”西站”と告げます。5元?なんと500m程先でした。

そのチョット寂しい鳳陽客運西站。直行便は無く先ずは、9:00淮南行きです。

で宿探し、一番近くの相応しい賓館へ。外人泊めてくれるまで探すしか・・・。

看板の下、表にはフロントはありません、路地の奥、人が居ます。部屋は80元有ります、で、”外人は良いか””可以!”です。カーさん(老板?)こちらトーさん、他は友達?。横にベットのある受付で何か言っています。”受付チョット待って”らしい(勿論、泊まれるなら少々は待ちます)。

その内トーさん出て行って・・・、暫くすると若手連れてきました。そこに居た人はまだ外人の宿帳記入やったこと無い?、出来る者を何処かからか連れて来たのです。

私も横で見ていて外人登録覚えました(後日役立つことに!)。

思っていた以上に清潔!南の方がレベル高い?

 

受け付けの時に、目指す明皇陵へのバスはないか訊くと、無いのでタクシーだと。

明皇陵:明初代洪武帝の両親のお墓を、建国後故郷に建設したもの、でも水飲み百姓、自身も乞食坊主では、お墓は故郷への凱旋?これと対なのが明中都。

まずは食事して、と 表に出ると、件の親父と若者、声かけてきます。よく聞く?と、彼は息子、一緒に俺の車で明皇陵まで案内して・・・、料金は200元だと。

なぜ息子が一緒?(今謎が解けます、貰った名刺、近くの町のホンダ現地デーラーに勤めてる?少し日本語出来る?)。その時は深く考えていません、まず、問題を処理です。

10キロ弱の距離、往復でも30分?、待ってもらっても2時間がとこ?(下調べ済み!)、”2時間ほどだから100元だろ”と言うと・・・、少し時間はかかりましたが(その気になって息子?まで呼び寄せて、皮算用済み?)彼ら納得!タクシー料金から考えると割り増で妥当?いい加減にお金を払うのは決して好い事ではないと思っています。

では、食事をしてくるので、”下午1点ここで”で食事に。

食事は水餃子半斤にビールで15元?

さてガイド付き?ハイヤーで出発。

街を出た途端に、大型トレーラーが横転、皆さんそこに突っ込んできます。これも経験済み、路肩だ、畑だ、通れる所を・・・(大型の運ちゃんは休憩タイム?)、後は知ったこっちゃ無いで、一歩前へ。半前にはチャンと着きます、老人票25元で参観、二人は駐車場?(入口広場)で待機。

明代は中国礼制の確立期?この墓制が以後明清を通して採用された?ただ、ここだけは北向き!ところで明代は真北から東に振られて設定され、清代は西に振られますが、何か意味があるのか?

1㌔できかないな~。。ではご覧ください。

     

そして祭壇、さすが墳丘は形だけに留めています。

 

振り返った様子と気になった物をスナップ。

              

何かご利益?

   

も少し・・・、マイイカ!

見学はこれだけ、で1時間もかからず、戻りです。

GOOブログ文字数制限の為続編、”5日目;「湯和が呼ぶ」 鳳陽 明中都 続編”http://blog.goo.ne.jp/haishi4706/e/f64dc4ca7311f385ab728fe89ea3b376に続きます。

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4日目;南京、南唐陵と孫呉、石頭城

2013-11-07 12:02:08 | 旅行記

このブログ見ようとすると、褌のようにダラダラ続いて・・・、との指摘。タイトルをクリックすると各タイトルにバラケて最新に設定されます、お試しを!

10月15日(火) 南京城の中華門と並ぶ明皇城への正門、光華門を見て、郊外、南唐2代の陵墓、戻って時間にあわせ、建康(三国時代呉の都、南京の呼称)時代の、守りの要、石頭城から台城(南京城修復の始まり、日本も協力)の予定で。

まずは近くで朝食、この小龍包は美味しかった。7元 バスに乗って光華門へ

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着いたところでここは・・・、

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皇城へ続く2キロの御道街の道。

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見せ場じゃ・・・、この方が良いかな。。建物もこう迫ってたら・・・、でもここは中国、すぐ引っ越してもらえるのでしょうが、マ!イイカ。

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公園でごまかされた感じ。

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でも抗日戦での陣地跡はシッカリと。

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創建時のレンガは残っています。

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裏の家並みの中に紛れ込んだのですが、その中で使われていた石材、城壁基礎の石でないかな~。。

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バスで地下鉄駅へ、1号線小行站(郊外)下車、155路で終点祖堂山まで、なぜか4,50分も乗って、ここは1元。優先席のお二人はお墓参り、降りる停留所を迷ってると皆で面倒見ていました。何処も同じ!

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通った軟件(ソフト)大道の沿道開発区にある企業群一部。南京は4人に一人は大学生。だからではないでしょうが、でも稼がないことには。。そうこの10年株式会社中国共産党?はお金を求めて狂奔してきました。彼らの勤務評定?

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そしてこの開発。

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そして空き家の山。ここはいくらか入居していました。でもここじゃー生活が・・・。少し我慢すればそのうち・・・。今回の旅ではこの光景がしばしば入ってきます。

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終点下車、オットすぐ横に・・・?警備員出てきて、ここは霊園。この先から入って行くとのこと。

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その手の標識が見えます。

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振り返った所。メジャーじゃないのかな~。

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その霊園の中が見えます。私は15,6年霊園関係に携わっていたので・・・。

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この塔は納骨堂ですね!下はまだ土葬区域?

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裏の通用口少し開いていたので・・・、ゴメンナサイ~で。日本の霊園以上の規模と整備。

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下の写真はカロート(納骨)仕様ですね。今はレーザーで墓石に写真転写できます。海外では結構故人の写真なんか飾りますね、個人墓的です。日本でも近頃はこの個人墓や夫婦墓が増えてきました。

そういえば20年ほど前に上海郊外で霊園の話があって、経営者のお供で・・・。そう、これだけの人口、亡くなってる数もそれ相当、当然墓所の用意ですね。近くには他にも何箇所か霊園(同乗のお年よりも他で降りました)、きっと風水がいいのでしょう(古刹?もあるようです)。このあと地方に入っていくと、畑の中に土饅頭でした。

確実に豊かにはなっているのです。話がそれています。。

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と、霊園を出た所、南唐陵へ・・・、ヤギさんのお通り。でもヤギ飼いがいませんが・・・、行き先わかってるのかな~。

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南唐二陵到着。当然老人票、近頃日本人が来ないのでもてる?

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今から1100年程前、宋に滅ぼされる南京に都を構えた国、唐を名乗っていたのでこの名称。中国の歴史では、南は常に北に隷属、明といえども、3代(実質2代)には都は北京に移っています。北の腕力、南の財力、これは今も??。。

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途中で中学生の課外授業が引き上げて行きましたが、他に見学者はいません。撮影禁止の表示・・・、でもフラッシュは使用していませんのでご容赦!その影響かボケボケ、拡大しないほうが解りやすい。。

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次は2代李�儲の墓、彼の代で実質滅んでいました。そう宋の前代、後周 柴栄の南征です。この後の旅で攻防の地を通過します。

入口を塞いでいた石だとか、無造作ですね。。

       

園内の碑廊にあった2点。 

同じく園内にあった博物館!

      

これだけと言っていいかと。

11時半いい時間です、バスも丁度一往復?ここでの乗客は私だけ11:50発車。1元

この近く4,5キロの所に鄭和のお墓もありますがパス。

運転手さんアズマシクナイ!手上げて来るお客は無視するは、お客居るのに通過するは!日本なら問題だぞ!

戻ったバス停付近のお店の包子、美味しそうでしたがお昼時で並んでいます。並べばよかったな~。。

お金の引き出しや宿でのメールもあるので、一旦宿へ。オ、イチジクだ!途中の露天で、三つか食べたところ、12元?やはり露天は相手で少し吹っかけますね、悪いとは言えないのが中国です。

昼食は牛肉拉面8元、場所によってインフレ。

地下鉄で石頭城へ、地下鉄2号線漢中門下車、歩きで・・・。ところが道路は工事中、工事中だと道は寸断!工事囲いに沿って目指していたのですが、諦め戻り、迂回します。中国の地図は、スケールがない(どこでも一枚に収める)ので思わぬ距離を!

小一時間かかって、到着?14:20

 

綺麗に整備された公園。

岩崖の上に城壁か~、といった感じ。

     

城壁削って橋架けなきゃーいけなかったのかな~。。

城門の一つ、明末閉鎖されていたのを、2003年に再開したと書いています。

   

進むにつれ、岩崖は大きくそそり立ってきます。 

過っては長江(揚子江)に面していた?その流れでえぐられた跡?崖の地層は礫交じり堆積岩。

   

諸葛亮孔明がここを称して云々と書いています。三国時代呉の都 建康の守りとしてこの石頭城は利いていた。。

南京城では城壁として完璧に取り入れています。崖が後退している所は、基礎から城壁。

 

ここからクライマックス!

     

600年前のレンガ接着剤。

と、ここが正門。

日本人観光客も過ってはそこそこいたのか、日本語表記もあります。

  

路地の向こうにも延々と城壁は繋がっています。 

石頭城路を抜けた所でバス移動。台城に向かいます、ただ現在地図には台城の表記は無く鶏鳴寺の北に城壁博物館、台城公園等表記あるので、鶏鳴寺目指します。下図は明代南京城。台城について興味のある方はこちらを。。http://www2.lib.yamagata-u.ac.jp/elib/serials/hgca/011/hgca-11-00290033.pdf#search='%E5%8D%97%E4%BA%AC+%E5%8F%B0%E5%9F%8E'

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3日目;南京に係わる人々を訪ねて

2013-11-05 14:45:45 | 旅行記

10月14日(月) 6:00起床。昨夜は遅かったので、改めて宿を紹介。窓から見える裏の様子、厨房の煙抜きです。

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フロントは建物右面です。左はレストランですが階上はホテルが伸びていて、建物左面からロビー通らずに出入りできます??深く考えず。。写真撮ってる所は広場。

ここが一泊3,750円(去年5月レート13円、今回VISA16.5円、日本の銀行18円)、日本と物価は変わらない(サービスの質から言えば貴い?いやこの1年の対円レートが暴騰)、でも朝食66円、これが貧富の格差。そしてこの日、中国団体さん大挙宿泊、遅くまで賑やかでした。

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その広場反対側にこの碑楼。広場はこの三ツ星ホテルの玄関先?おばさんここ紹介しなかったな~。まさに観光スポットです。

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まだ7時、まずこれからの宿決め、10時までのチェックアウトを利用して。

地下鉄工事現場?中国では工事がやりやすい?市街地道路も前面閉鎖!皆のための工事だから協力(合作)ですべて?この通りに面していたお店なんか当分は休業?これも中国の常識。

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定番朝食、希飯・ゆで卵・包子〆て4元。珍しく日本的なお粥でした。なみなみとあった半分ほど食べた所でお店の人が、”トッピングあるだろ!”と。

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すぐ近くの夫子廟国際青年宿舎、秦淮河(南京の町で大きなポイント)に面していて、結構雰囲気もあります(今の中国の旅行ブーム用・・・)。

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ドミトリーあり50元/床、チェックインは3時以降、4時頃来ますで予約?OK。となると今のホテルチェックアウトしたらザックを寄存する所が・・・。マ、10時頃まで一回りでまず近くの東水関へ。

道の途中で小鳥の鳴き声。おじいさんの自慢!

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公園になっていますので、勤めのまだな人や年配者が。写真は健康相談?

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四人でのバトミントン、中にいる犬がじっと待っています、行き交うシャットルの下で。

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今の中国どこに行ってもこの手のブロンズが多い。ゆかりの人でしょうが知りません。

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そして東水関。明代南京城外部から城内への水関。

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周りは過っての南京の風情?ここはゆっくりと・・・。

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城壁の煉瓦にはこうして上納者の名前が刻印。年代は明南京築城の年代”洪武十年”

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当時の接着剤?石灰、糯米、菜種油を混ぜたものが使われた?興味ある人は確認してください、セメントでないのは確かです。でも7百年近く前の建築接合剤が今でも機能している!現代のセメントと比較して優劣を評価するのも面白いかも。

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表面を現代で補修、保護しています。何となく違和感・・・。

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城壁の10分の1?勾配の様子。下部は石積でその上に焼煉瓦(一般より高温で)。

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城壁と一体のお堀。景色は大都市南京。

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まずは城壁に沿って武定門まで、基本的には創建時?それにしても圧倒されます。時の皇帝朱元璋、想像以上に臆病者?。幅百メートル近い濠と20メートル近い高さの城壁、当時では難攻不落でしょう。が、近・現代では遺跡です。

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メイン道路の一つですが、よく我慢しているな~と言った感じです。

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オヨよ!と、この町に迷い込みます。

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やはり観光エリアでした。

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と、夫子廟正面に出てきます。

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作業床の無い作業足場!だいぶ減ってきましたが、人の集まるこの場所でもまだまだ。日本の労基法に相当するものって中国にあるのかな?あっても共産党の担当者次第なのかな~。。

私の経験、安全=作業性向上=能率向上。この状態は手間を省いてるようで、大いにロスを生じている。そう中国の今は全てにおいて3,4割のロスの中での発展。これが無くなった時が・・・。

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孔子廟ですが、どうも縁がないのか・・・、あまりにも観光地化した施設には興味が・・・(門票も貴い!)。

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この区域の中でここ膽園は予定。朱元璋が乞食坊主から宗旨替えして反乱軍に加わった時の仲間徐達(明朝での大将軍、後程お墓が・・・)のお屋敷。清末太平天国時には東王の王府30元。

よって太平天国を無産階級の決起としている共産党は資料室を設けプロパガンダしていました。

が、明代の王府屋敷遺構がよく保存されていると。私には蘇州にある庭園の延長?時間もあって駆け足。

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私は西門(裏口)から入ったので出口のここは正門にふさわしく。さて時間ですのでいったん帰って、チェックアウト。ザックの寄存処探しますが結局見つかりません。

ホテルに頼むと当然のように泊まった部屋番で預かってくれます(これは使える?無料ですから!引き換え券渡さない寄存処もあるので)。

 

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さて夕刻まで、と近くの近々オープンのショッピングモールにユニクロ看板。そう、覚悟さえ決めればここ中国は計り知れない購買力が口を開けています。中国でPB作らせて中国で捌く。その点中国の人達は自分達の品質管理は信頼していないので、そこがねらい目ではあります。

ですが自動車のように巨大投資してのこれからは、大いなるリスクを覚悟しなければ。尖閣を理由にしたガス抜き対象は2,3年おき、遠からず破裂は確実です。

さてこれから中華門、そして南京故宮、明孝陵と巡ります。

中華門前の道路も工事中、下水工事の様でした。その先に見えます。

過って南京城の正面、他に南京故宮へ入っていく光華門。結構な観光スポットだと思うのですが・・・、中国観光客向けではない?人もいなく、歴史に浸れます。

 

うっかりして膽園も、ここも老人票使わなかったな・・・34元(内容に比して実に貴い)。

   

音響効果がいいのでしょうか、堂の一つでサックスやっていました。こういうの好きだな~。。

この通路一か所が出入口、内側にある両脇の6つの口や上の8つかの口は兵隊さんの待機所。こうまでする!と言った感じ。。

 

時の経過が!

 

両脇の隠し部屋?から通り過ぎた後に挟み撃ち? 

そうです、この入口が南京城正面入り口、馬車がようやく交差出来るのでしょうか?だから永楽帝は北京に都を移したのか、時代を考えてもやり過ぎ(でも真剣に・・・)。その割合に40年か後の靖難の変ではアッサリと内側から開けられます。

 

ヨヨ!確実に来ていますねここも!  

両脇に一般道が設定されています。

お堀の向こうには報恩寺の現代の仏塔も建設中!

  

こちらの城壁は90年代かに復元された城壁。それにしても今でもここまでやる?と言った感じがします。

  

市内を見渡した様子。

中華門と創建時の南京城。 

修復された城壁の横を中山路へ、地下鉄目指して。

GOO文字制限により続編 ”3日目;南京に係わる人々を訪ねて 続編”http://blog.goo.ne.jp/haishi4706/e/0ce35c90275b56bf2c65e9f655453a8dへ続く。

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