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3日目;南京に係わる人々を訪ねて

2013-11-05 14:45:45 | 旅行記

10月14日(月) 6:00起床。昨夜は遅かったので、改めて宿を紹介。窓から見える裏の様子、厨房の煙抜きです。

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フロントは建物右面です。左はレストランですが階上はホテルが伸びていて、建物左面からロビー通らずに出入りできます??深く考えず。。写真撮ってる所は広場。

ここが一泊3,750円(去年5月レート13円、今回VISA16.5円、日本の銀行18円)、日本と物価は変わらない(サービスの質から言えば貴い?いやこの1年の対円レートが暴騰)、でも朝食66円、これが貧富の格差。そしてこの日、中国団体さん大挙宿泊、遅くまで賑やかでした。

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その広場反対側にこの碑楼。広場はこの三ツ星ホテルの玄関先?おばさんここ紹介しなかったな~。まさに観光スポットです。

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まだ7時、まずこれからの宿決め、10時までのチェックアウトを利用して。

地下鉄工事現場?中国では工事がやりやすい?市街地道路も前面閉鎖!皆のための工事だから協力(合作)ですべて?この通りに面していたお店なんか当分は休業?これも中国の常識。

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定番朝食、希飯・ゆで卵・包子〆て4元。珍しく日本的なお粥でした。なみなみとあった半分ほど食べた所でお店の人が、”トッピングあるだろ!”と。

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すぐ近くの夫子廟国際青年宿舎、秦淮河(南京の町で大きなポイント)に面していて、結構雰囲気もあります(今の中国の旅行ブーム用・・・)。

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ドミトリーあり50元/床、チェックインは3時以降、4時頃来ますで予約?OK。となると今のホテルチェックアウトしたらザックを寄存する所が・・・。マ、10時頃まで一回りでまず近くの東水関へ。

道の途中で小鳥の鳴き声。おじいさんの自慢!

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公園になっていますので、勤めのまだな人や年配者が。写真は健康相談?

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四人でのバトミントン、中にいる犬がじっと待っています、行き交うシャットルの下で。

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今の中国どこに行ってもこの手のブロンズが多い。ゆかりの人でしょうが知りません。

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そして東水関。明代南京城外部から城内への水関。

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周りは過っての南京の風情?ここはゆっくりと・・・。

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城壁の煉瓦にはこうして上納者の名前が刻印。年代は明南京築城の年代”洪武十年”

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当時の接着剤?石灰、糯米、菜種油を混ぜたものが使われた?興味ある人は確認してください、セメントでないのは確かです。でも7百年近く前の建築接合剤が今でも機能している!現代のセメントと比較して優劣を評価するのも面白いかも。

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表面を現代で補修、保護しています。何となく違和感・・・。

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城壁の10分の1?勾配の様子。下部は石積でその上に焼煉瓦(一般より高温で)。

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城壁と一体のお堀。景色は大都市南京。

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まずは城壁に沿って武定門まで、基本的には創建時?それにしても圧倒されます。時の皇帝朱元璋、想像以上に臆病者?。幅百メートル近い濠と20メートル近い高さの城壁、当時では難攻不落でしょう。が、近・現代では遺跡です。

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メイン道路の一つですが、よく我慢しているな~と言った感じです。

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オヨよ!と、この町に迷い込みます。

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やはり観光エリアでした。

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と、夫子廟正面に出てきます。

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作業床の無い作業足場!だいぶ減ってきましたが、人の集まるこの場所でもまだまだ。日本の労基法に相当するものって中国にあるのかな?あっても共産党の担当者次第なのかな~。。

私の経験、安全=作業性向上=能率向上。この状態は手間を省いてるようで、大いにロスを生じている。そう中国の今は全てにおいて3,4割のロスの中での発展。これが無くなった時が・・・。

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孔子廟ですが、どうも縁がないのか・・・、あまりにも観光地化した施設には興味が・・・(門票も貴い!)。

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この区域の中でここ膽園は予定。朱元璋が乞食坊主から宗旨替えして反乱軍に加わった時の仲間徐達(明朝での大将軍、後程お墓が・・・)のお屋敷。清末太平天国時には東王の王府30元。

よって太平天国を無産階級の決起としている共産党は資料室を設けプロパガンダしていました。

が、明代の王府屋敷遺構がよく保存されていると。私には蘇州にある庭園の延長?時間もあって駆け足。

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私は西門(裏口)から入ったので出口のここは正門にふさわしく。さて時間ですのでいったん帰って、チェックアウト。ザックの寄存処探しますが結局見つかりません。

ホテルに頼むと当然のように泊まった部屋番で預かってくれます(これは使える?無料ですから!引き換え券渡さない寄存処もあるので)。

 

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さて夕刻まで、と近くの近々オープンのショッピングモールにユニクロ看板。そう、覚悟さえ決めればここ中国は計り知れない購買力が口を開けています。中国でPB作らせて中国で捌く。その点中国の人達は自分達の品質管理は信頼していないので、そこがねらい目ではあります。

ですが自動車のように巨大投資してのこれからは、大いなるリスクを覚悟しなければ。尖閣を理由にしたガス抜き対象は2,3年おき、遠からず破裂は確実です。

さてこれから中華門、そして南京故宮、明孝陵と巡ります。

中華門前の道路も工事中、下水工事の様でした。その先に見えます。

過って南京城の正面、他に南京故宮へ入っていく光華門。結構な観光スポットだと思うのですが・・・、中国観光客向けではない?人もいなく、歴史に浸れます。

 

うっかりして膽園も、ここも老人票使わなかったな・・・34元(内容に比して実に貴い)。

   

音響効果がいいのでしょうか、堂の一つでサックスやっていました。こういうの好きだな~。。

この通路一か所が出入口、内側にある両脇の6つの口や上の8つかの口は兵隊さんの待機所。こうまでする!と言った感じ。。

 

時の経過が!

 

両脇の隠し部屋?から通り過ぎた後に挟み撃ち? 

そうです、この入口が南京城正面入り口、馬車がようやく交差出来るのでしょうか?だから永楽帝は北京に都を移したのか、時代を考えてもやり過ぎ(でも真剣に・・・)。その割合に40年か後の靖難の変ではアッサリと内側から開けられます。

 

ヨヨ!確実に来ていますねここも!  

両脇に一般道が設定されています。

お堀の向こうには報恩寺の現代の仏塔も建設中!

  

こちらの城壁は90年代かに復元された城壁。それにしても今でもここまでやる?と言った感じがします。

  

市内を見渡した様子。

中華門と創建時の南京城。 

修復された城壁の横を中山路へ、地下鉄目指して。

GOO文字制限により続編 ”3日目;南京に係わる人々を訪ねて 続編”http://blog.goo.ne.jp/haishi4706/e/0ce35c90275b56bf2c65e9f655453a8dへ続く。

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