自由人の発信 おっさんの中国一人旅から国内旅。

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6日目;南北抗争の城、今の寿春

2013-11-13 16:16:20 | 旅行記

10月17日(木) 6:30起床、淮南行きバスは9時、近くの龍興寺を。このお寺は中止された中都の資材を使って建立されたとかのお寺。

これを書いている今日もネットで中国情報をチェックしていると、ニューヨーク・タイムズ記事転載で、中国の水汚染の酷さとして、水道水は臭気がひどく、当然飲めないという記事が報道されていました。

でも私は旅の間の2週間、いつも違う場所で水道水をポットで沸かしたお湯に、茶葉を入れて飲んでいます。ミネラルウオーターは買いません(サービス物は利用しますが)、いつも快調です。

思います、「中国では・・・、らしい」、と言う話。伝聞とは途中の媒体のフィルターを経たもの、解ってるが、自己の希望で信じようとするのが人族、ヒト。。

7時過ぎていますが、ママはまだお休み?そっとフロント(寝室?)前を通って。鍵はかかっていませんでした、このゲート(玄関?)。

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グーグル思い出しながら、この方向へ。すぐ近くのはず。

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キョロキョロト探しましたが、すぐ後ろにあります。

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前は到着したバスターミナル(右手欠けてる建物)。

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7時半ですが開いています、老人票です。

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街の中、創建は洪武帝です、当時はこの奥行きで、両側もあった広大な寺院だった。

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天王殿?仏教寺院でない? 朱元璋は少年の頃、生きていく為にお寺に入り、乞食僧として放浪した時期があります。よって、宗教の裏面も見てきたのでしょう、皇帝となってからは為政者として仏教を利用しています。当時盛んであった仏教は禅宗系だったようですから、禅宗として創建されたと思います。

中国仏教は共産党政権になってより、特に文革時に完全と言えるほどに中断してしまい、改革解放後の今再建時期といった所かと思いますが、同時並行して社会主義資本経済なる、社会体制の中、地域観光事業的な傾向が前面に出て、信仰対象とし参観すると戸惑います。

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中は工事真っ盛り、参詣者は拒まずです。。

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中都が中止になったので、ここの修復、改築にその資材が多く使われたと読んだのですが、全ては現代再建?仏像の類も今様にキンピカ、記録は遠慮しました。

この碑文には「第一山」とあります。なんだか600年も経っていないようなー。その点中国の人達は、その歴史的(骨董的)価値より、その事実を大切に!なので甦らせ?今を大切?にします。

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観光!観光!なのかも。。

中国一般住宅での鉄筋コンクリートに使われる鉄筋は、日本と違って写真の右材料でなく、6ミリのコイル状にしたのを、伸ばして使うようです。伸ばす道具(機械?)もあります。

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これでは参観に1時間もかからず、宿に戻る途中で朝食。6元、地方は2,3割安い?

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宿に戻って退房、カーさん居ません(ベットは・・・)、清算(押金)あるので、声かけます。フム?表?の便所から・・・。「ア、行くの!」です。

80元の旅館、部屋もそれ相当!でもこれも今の中国。だからどうという気はありません、共産党はどうしようとするのかです。この国内状況を周辺国との緊張関係に置き換えてほしくないものです。

そうだ、ここには花鼓があったんだ!残念。。

さてこれからは内陸をあちらこちらとバスの旅。先ず淮南まで。中型、19元。100㌔弱3時間?

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この地域の農村では、時期(刈入れ後)もあり農地にはあまり人が居ません、耕運機かトラクターです。多くの人が都会に出稼ぎ、人手が無いこともあって機械化?。ある意味日本が歩んできた道か。農地は広大、区画整地もそこそこ整備されて、手入れはされていると感じました。

ただ気になったのが一般道(県道以上、国道以下?町々を結んでる)の老化、劣化。今では高速だけでなく一般道もアスファルトが多くなっていますが、それまではコンクリート信仰。当時の車の重量も今では倍々?

コンクリート舗装は傷むと補修が利かない!その更新工事も豪快?そこのけそこのけ、良くなるんだから合作です。

この工事前の道路は・・・、酷い所を避けながら、前にいる車を追い越すのに、真ん中走るバイクをどけようと、クラクション鳴らしっぱなし?で。スピード出せる所ではここぞとばかりスピード上げて走ります。まるでカーチェイス気分?つい手に汗、手にしていたバックで防護姿勢です。

お願いだから、車掌?やお客さん、運転手と話ししないで!、運転手さん運転に集中してください!(ハハハ、任せておけ!かな?)

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地方には、そこそここの手のセメント工場が見られます。原料の石灰石、粘土は国土を覆っています、燃料の石炭は網の目の運河で、そしてこの工場。建物も道路も工作物はこの便利な材料で全てまかなっていたのでしょう。でもこれからはこの粉塵が・・・(日本でも過ってはセメント工場の近くの家は雨漏りしないとかでしたが・・・。)。

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11時過ぎに淮南バスセンター到着。

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ここから六安行きで寿県下車です。このチケットの発車時間には流水と・・・(随時と言う意味かな~)。11:45発車でした。

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ここでもターミナル出るとあちらこちらとお客探し?なんだか待ち合わせ場所があるよう?携帯にも入るようです。そしてここのような少し大きな町(市)から出る時には、なんとも知れないチェックポイントがあり乗客の確認受けます(確認する係り員もいれば、明らかに見るだけの?)、フム・・・、お金がかかるの?通行税??車掌さんが払ってるような・・・。そう、システム、これ中国の常識?(だれも文句言わないし・・)。

寿県までは30㌔弱、1時頃グーグル地図とマルッキリ違う、寿県のバスターミナル前で降ろされます。。ハハー、また新設ターミナルだなと。

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丁度街に戻るようなタクシーがいます。「到城市多少銭?」「10kuai」「好!」で街へ。かなりの郊外!

寿春です。時間もまだ早いので、街のここ入口で降ります。

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お堀はいいとして、城壁は・・・。

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少し寿春の説明;春秋戦国時代には、楚の国が秦に追われて荊州からここに都を移します。三国志にも度々出てくる地名ですが、魏晋南北朝時代の「�倍水の戦い」はこのすぐ近くの川を挟んだ戦い。宋建国前の後周による南唐攻めにおける劉仁贍による1年半に及ぶ篭城。西の襄陽、東の寿春、東西の戦略拠点。

そんな寿春の城郭を想像していたので、この規模は少しがっかりです。

この城門は新しいぞ!もっとも昔の城門では今住んでる人が生活できないか。

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南北を貫くメイン道路。まずは腹ごしらえ、�葷飩(ワンタン)6元。

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さて今日の宿、まず目に入った相応しい雅家賓館へ。アア、表靴屋の脇を通って、「今晩一人だけど部屋ある?」「有!」120元、外国人可。でパスポート、「オオ、日本人だって!」そこに居た皆さん注目!

さて外人用 宿帳記入。女老板?どれが名前?です。初めての記入で何がなんだか状態。カウンター越しに見ていましたが・・・、「どら、俺が記入してあげようか!」(ここで面倒になって断られるとまた探さねば・・・、丁度昨日記入の仕方見ていました!)「ア、出来るの!だったら替わって」で私が記入「ホイ、お前さんの名前は?」とかで、無事記入終了!周りの連中からは尊敬?の眼差し(私の為ですが・・・)。

パスポート、コピーして来るので貸してくれです(パスポートの大切さが解っていない?)。部屋はこんなもんでしょう、それなりに清潔。

でも頭の上にトイレペーパー置いていたんでは、使う時わからないだろ!

パスポートコピーなかなか帰ってきません、ただの白黒コピーに何処まで行ったのかです。

街の中心交差点。

先ずは時間制限ある博物館へ。博物館前の何か?確認していません。奥は図書館と表示あります。

博物館入口?

中の構内にはあちらこちらとお年寄りが暇つぶし。。

 

これこそ管理して、綺麗に色塗りしてもいいかと。

中国では一村一品ではありませんが、博物館があります。ある意味不釣合いと思えるほどの建物で。

そして12時から14時半まで休み(閉館)ます。後五分ほどです。

淝水の戦いがメインテーマ?

  

前秦苻坚 苻坚之弟苻融?東晋 謝安謝安之侄 謝玄? 

展示品の磁器。由来が説明ありません、マ、こんな物があったと言うことで。。

    そこそこの物のようですが・・・。

これには由来がありました。

 

2,3年前から中国でも博物館は無料になりました。でもその為か、内容が貧弱になったような・・・、スタッフも倦んでるような。写真とっても平気な所が多くなりました。

表に出た所で3輪タクシーで東門へ。

これは古い!明清代でしょう、甕城も残っています。

城楼の上にはこの碑もあります。 そして音楽好きの人が集まっての演奏会様子をユーチューブでhttps://www.youtube.com/watch?v=QfatUg42xx4

城門の構造が解るかと。

   

ここが城外東からの入口。よく釣り人見かけますが、釣った魚は・・・(勿論食べるでしょ!油で揚げて)。

やはり城壁は修復している?過っては城門の高さで廻らされ、周りの堀も相応の規模で、そういった想像がこれではなかなか・・・。マイイカ!!

 

東門城内の様子、観光客当て外れ?

水門工事、淮河の逆流防止工事?来年はスッキリしてるでしょう、が、城壁まがいを廻したからといって観光客が来るわけでは・・・、マ、街が綺麗?になるんだからいいか。。

 

城内はかなりの大きさ、こういった農地までもあります。

攻防の八公山。

過っての水瓶?

 

淮河の流れ?。

城壁まがいは北門へと続きます。

オ!この北門もかなりの物!

 

でも自分達生活の利便性を犠牲にして、ここまでテーマパーク化したのに、観光客は予定通りなのか・・・(私は国慶節後なので観光客は引いた後かと・・・)。

 

22年前(1991年)の大洪水時の水位だそうです。まだその時は城壁整備は・・・。

北門城外は綺麗に整備されています。

 

北門から中心市街への通り、こちらは人通りが少ない。屋台で韓国チゲ様の、美味しそう!このくらい、で切り分けてくれて、量り売り3.5元

お魚はこうやって売られています、量り売りです。ライギョからコイ、フナ、ナマズ、etcです。

街の加治屋さん、何でも出来ます!。私達が子供の頃は町内にありました。今の状況って何なのでしょう。

 

部屋からの光景。ここでの今の中国の人達の生活!「富裕層!何処に居るんだ?」と言った感じ、でも居るんでしょう何千万人もの富裕層がテレビだインターネットに露出して。そして郊外開発区には政府?の巨大な建物、手の届かない、人のいない高層マンションが。

さて暗くなったところで食事に行きます。火鍋のお店、大なべの火を撮りたかったのですが。

お店の前で売っていたソーセージに内臓肉の燻製?で火鍋出来るまでビール。

乾麺の煮込み?これは美味しかった!

配達されてきた、米粉?ここに置いとくか、です。これだけの物、何日でさばくのか・・・、このエネルギーに圧倒されます。

宿は通りの向うすぐ近く、帰ってシャワー浴びて・・・、今日の安否連絡はイイカで、就寝。

明日は淮南へ戻って臨煥目指して渦陽まで「行きつ戻りつ、結果オーライ」

今日使ったお金;20+6+19+11+10+6+120+5+3.5+9+27=236.5元

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