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8日目;臨渙 途中下車、商丘まで。「公案 お茶とは?」

2013-11-19 15:39:07 | 旅行記

10月19日(土) 臨渙という町を訪ねます。中国百度から臨渙URLを辿ると、茶楼の他に城塞遺構が?グーグル映像で見ると確認できます。思いがけない何かがあるかも。。

4:50起床 バスは6:20発車、5:40には退房します。小姐カウンターの向こうでお休み、悪いけど清算あるので。

帰国して4,5日後天安門でのテロ?がありましたが、旅行中だったら泊まる所探しで大変になるところでした。日本人の2週間以内の旅はビザ免除ですが、こんな時は皆、係わりになるのを嫌って、部屋なしで対応してくるので。。

世界で2番目の経済大国?これって私には褒め殺し的に聞こえるのですが、まだまだ多くの点で発展途上、特に体制そのものが、と。。日本が先進国というのもおめでたい事ですが。

早い時間でもバスセンター近辺には食べ物屋さん営業始めています。小龍包(餃子のような・・・)に希飯は3種類の中からこの八宝粥4元。

6時前ですが出勤早々の服務員チケット発行(普通は時間まで平気で待たせるので、こんな時は感動!)、途中下車なので宿州行きバス(ネットで確認していました)を探しますが見当たりません(早いので改札員はまだ?)、時間も迫ったので、チケット見せると、屯してる運転手が顎で・・・、エ?徐州行き?そう、こんなもんです、没問題!

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途中のお客拾いながら、バスは臨渙に入ります(手前の町の名前をチェック)、バスセンターでもあるかと思っていますと、車掌さん「着いたよ!」、到着です。次ぎ乗る時もここからだな!と。。

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コンクリート舗装はがして、開放転圧か?ここを夜走ると・・・(街灯はありませんよ)、勿論自己責任です。

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当然ザック預けるところはありません。町の輪郭はグーグルで頭に入っています。で、まず城郭を見ながら街へと。

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工事中?でもちゃんと標示板あります。臨渙はさんずい!チケットが間違い?マイイカ。

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なんとなく盛り上がっているこちらへ。

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この状態の路面状況!今抱えているこれも重大な問題と思います。運輸関係の損失は計り知れない、早急な対応を必要としていますが、こんな目立たない?所に金をつぎ込む政治体制ではない、そしてここまで放置する。まして、この粉塵は珪肺の元です。その一方で2,30年後の街作りに邁進(ここの町には無人のマンション群は無いようでした)。

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北面、確実に遺構は認められますが・・・。

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東面。足元には城壁のレンガ?。土盛りはお墓です。

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今は墓地?急に墓地になった訳ではないでしょうから・・・、これも時の流れ!。この中に仏さんいるのかな~、等々思いながら。歴史的背景を知らない遺跡では、思うものも・・・。

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臨渙の街、そこそこの規模です。

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オット、新しい仏さん?それにしてもどうして埋葬しないのでしょう?土葬でも無く、ナニ葬?日本には墓地埋葬法といって法の下で処理されていますが。

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街路に出た所で、この先を辿るのはやめて、街の茶館を探しに。このコンクリートのブロックは?

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なにやら・・・。これは国共内戦時の共産党プロパガンダ。

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天主堂?教会でしょう。今の中国では宗教は難しいものがあるような様子です。

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街の中に入っていくと、あります、茶館でなく茶楼。時代を潜りぬけて来た?解説なしで解るかと。。

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使われる茶葉、棒棒茶といって、日本で言う茎茶系やその他?

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ザック背負った胡散臭い年寄りがヌラ~と、そしてザックおろして腰掛けてしまいます。何人かがチラッと見るだけ。すると近寄った人が「ni nali?」「cong riben」「ナニ?」「riben!」いつもこれです、私の中国語。そもそも日本と言う語彙が日常的でない?

解らせたい時はパスポート見せます、ト、漢字です。「オ!おい、この親父、日本人だって!」です。そこで、「riben beihaidao!」と、「北海道だって!」この発音は通じます。

老板出てきて、名刺くれます。よく来たといった歓待。写真撮ってもいいかと、許可もらって。

いくらするのか?訊くと、1元、4元、6元と色々ある、で、4元のを頼むとこれを出してきました。茶碗は天目、浸ります、ユックリと。

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向かいもお客?で満席。

そしてこの獅子は・・・。

いいものを拝見しました。皆さん抗日戦時代は生まれる前か幼児期?、国共内戦から共和国建国、毛沢東時代から文革、そして改革開放、社会主義市場経済?翻弄されたことでしょう(関係ない?)が、ここで時を楽しんでる人達の様子を覗ってると、なんとも言えない・・・、難しいようで・・・。何なのでしょう?。

ここは安徽省のまさにど田舎!それがどうしたと言ったところでしょうか。。「日本?それ何処にあるの?」です。

「公案 お茶とは」 ただそのもの「お茶!」

持っていたお菓子(白い恋人、バター飴)を振舞おうかとも思いましたが、ここの人達にはそれこそ不遜!ただ時を楽しみます。

でも中国の人でこの様子をカメラ(一眼レフ)に収めようとしてやって来てる人が二人ほどいました、その筋では中国で知られた存在?マ、私が知るのだから!。

老板の友達?書法家?の方が私になにやら、どうも今書を進呈するので待ってのような・・、価値の解らない者が頂いても、と、少し時間も経ったのでそこを離れて例のバス停らしき場所に向います。

丁度バスが見えます、走ってセーフ、「去百善」5元。2時間ほどの滞在でしたが、ある意味今回の旅のハイライト。

バスは20分程で百善の街へ、「商丘へ行くんだが」と言うと「向かいで待ってろ」と。そ、ここでいつ来るか分からない、何処行きか分からないバスを待つのです。

 

でもよくしたもので(実に中国は便利がいい?)最初のは違いくさいのでやり過ごすと、次のバスは乗り換え地の永城でなく商丘行きの表示! そう遠くからでも分かるように経由地も含めて大きなj表示をフロントに出しています。商丘まで40元。

お決まりのお客を探しながら、クラクションバクバク、追い越しガンガンですが、お客の方がいまいちで永城のバスセンターへ入ります。

車掌?が他のバスとなにやら話しています。オット、乗り換えです。そう乗客お互いに満員にならないので、「ここからはまとめて、そちらのバスで運ぼう」です(こんな事を運転しながら、携帯で・・・)。払い戻しや追加料金はありません、そう乗り換えれば運んでくれるのです。

バス同士の清算ってどうするんだろ?途中下車の客も居ます。お金の受け渡しをしてる様子はありません。お互い様って事は無いでしょう。摩訶不思議?解ると簡単でしょうが。。

1時には商丘に入ります。

商丘について;古代殷(紀元前17世紀~紀元前11世紀)の最初の王がここ商を都にしていた(後に現在の殷墟へ都は移る)。商人という語彙はここより生まれたと。。古代、黄河はこの地の近くを東へ流れ、中原の要衝。北宋時は南京応天府と呼ばれ副都、北宋滅亡時皇帝の弟がこの地で南宋をたて、後杭州臨安へ都を移す。現在も中心市街地から離れた所に城塞都市が残る。

バスはバスセンターに到着、でも?ここは駅前のバスセンターではない・・・。だって写真左に見えるチケット売り場じゃー。表に出て地図を購入、現在地を売店で聞きます。

 

駅前バスセンターへ三輪タクシーで移動5元。明日の許昌行き7:10を確認して近くの相応な宿探し。

 

中国ではチェックインは3時以降なんてうるさく言いません、なので着いた所ですぐ宿探ししてザックをはずします。YHや星付きは言ってたかも?。

今日の宿屋の前から、この雑然とした雰囲気が馴染みます。この程度の街での駅前そこそこでは、外人は問題ないよう、豪華単人間で80元。中国語サイン。。無くすと保証金帰ってきません?

   

キイと一緒に渡された物。このトイレの紙が丈夫!なので水に溶けにくい、よって便器に流しては詰まりの元。部屋のキイもユニーク、開け方に少しテクニック?フロアーで工事していた若者が教えてくれました。

部屋は申し分有りません、ある意味その町の物価水準が解るかと。

    

遅いお昼、烏骨鶏麺8元、お店が綺麗だと少し・・・。

駅前から市内バス1路乗るのに少しもたついて、商丘雎陽城へ。

   

広場の便所も繁忙期のみ?、それとも使用すると汚れるので・・・。

お堀周辺の整備はこれから?

中はすっかり観光地!

 

城門は明清時代の物の様ですが、甕城もなく公園。模型ではかなりの規模です、残念。

 

城壁は映画のセット?外形はあるのですが・・・、これからセットの整備でしょうか、周りの家は中国式移転のようです。現下の中国、観光花盛り、産業の誘致より手っ取り早い?テーマパーク作りです。

   

南門の先にあります。安禄山の乱の時、反乱軍に抵抗してここ雎陽城に立て篭もり最後には落城、処刑された忠臣。

  

唐代書家顔真卿によるこの地で行われた八関斎という法会の由来の書を記した碑、真卿63才772年の書を篆刻した物。

         

  

創建時の物、よって新しい物は1992年再興されたものです。では篆刻された字体は顔真卿と言えるのでしょうか・・・、くどいと言うことでなく、書の原本が存在しているのか?、如何様の臨書なのか・・・。。

マ!そう言う由来の碑があったでいいかな・・・。ところでこの穴は?抜き取った?まさか!ではどうして??

時間は4時半になろうとしています。表にバス停あります、駅まで1元。

少し早いのですが食事に。宿のすぐ裏が夜市的になって、沢山の屋台。写っていませんが、前に焼肉屋台、こちらは羊肉です。

塊の中から、この肉を此のくらいで、量り売り。50元もしますが、たまには動物性もと。再度この香料を付けてしっかり焼いて、この様に切ってくれます。ヤアー、こんなに食えるか・・・。

このテーブルから見える赤い小屋の屋台、ナンの様な生地をコネ、伸ばしては、このかまに張り付け焼きます。下の口に燃料の石炭継ぎ足します。

結構買っていきます、美味しいのでしょう。

 

屋台の親父にビールはと言うと、右手のお店からと。お店のカーさんからで3元。

多いと思いながらも食べてしまいます。

さて腰を上げて引き上げようとすると、パンやの右側の親父が、声出して来ます。どうもビール代を払わないで、と言ってるよう。右手のお店にいた息子を呼びます。

ビールを買った時に勘定をカーさんにあげたのですが、そのカーさん子供を叱ってるうちに、家に連れ帰った?通じない中国語ですが、「給媽々費了!」(これでいいのか?)、息子は見ていた?納得した?肉屋の親父、しょうがねーな、といった所。

たかだか3元ですが、事は真剣に、一瞬緊張しました(親父の迫力に)。この状況は中国ではいつも隣り合わせ。

どうも・・・、このテーブル親父達のお店?よその食べ物(いい値段!)持ってきて・・・、親父気に食わなかった?

有問題、不過没問題!

ホテルの廊下、そこそこ?でも振り返ったエレベータ・・・。駅前見ながらの今様ですが。

  

明日は許昌までのバス旅、題して「激論あって次がある」

今日使ったお金;4+12+4+5+40+5+5+80+8+1+5+5+10+1+3+50=238元(×16.5=3,927円)

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