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おっさんの一人旅 壬申の乱をたどって宇陀から榛原経由名張。

2017-04-01 17:00:05 | 旅行記

3月23日(木)晴れ

やはり下からの寒気で・・・、コンビニでカイロを用意するか・・・。

朝食はインスタントラーメンで。

7:37出発、痕跡なし! 当然お便所使わせていただきます。やはり清潔!トイレットペーパーも。。

宇陀の町並拝見しながら離れます。でもこの時間では人通りはないのですが、日本の豊かさを感じてしまいます。

  

ここ宇陀は昔から薬草の採取地、森野旧薬園碑。看板は吉野葛ですが案内をお願いできるようです。 

この様な住宅を維持するって公私のエネルギーは半端でないことでしょう。    郵便局も合わせて!    

ここまで街路整備されたなら電線の地中化を一気に・・・、限られた予算の中でやった事、後でああだこうだは失礼!、街の人達にただただ敬意。

軒下まで漆喰!防火でしょうか?  職人さんまで含めた維持システムも・・・、街の生活も含めて。。 

側溝を流れる水、道標にかかれた地名。 

宇陀松山藩陣屋町としてできた街は江戸時代は天領。伊勢街道、初瀬街道の要衝、また薬草生産地として栄えた町並みのようです。

  

人の見えない中、9時には離れ、宇陀川に沿って榛原まで、自転車道が整備されています。   

川は農業用水の取水堰が多い為か魚影が見当たりません。 

でも右上の水はね、カワセミが潜った後!残念! 小魚をくわえていました。

榛原手前の桜並木、これを書いてる今は満開? 

11:20榛原の町 宇陀市役所。 近鉄榛原駅。 近鉄沿線のベットタウン。 

お昼前です。まともな食事も頑張りの元、で駅からの商店街?の中のお店へ。大当たり!定食700円ですが、とんかつにサバの焼き物、ひじきの小鉢?サラダ、味噌汁?香の物、ご飯とテーブル一杯に。

ひょんな話から中国談義、身近な人で中国からお嫁さんを迎えたんだが、やはりダメで帰られたとかの話。

「あたらないかもしれないが、中国ではみな仲間がいて、食事などは一人で食べる事はなく、貧しいなりに、皆助け合ってるので、急に日本にきて、一人での生活では余程のことが無い限りむり、子供でもいれば頑張れるかもしれませんが・・・・。」

「日本はどんな地方に行っても豊かで、どこでもお年寄りもきれいです。でも豊かさとは単純ではないようです。」

変わった話題でついつい、「また来た時はどうぞ!」で名刺いただきます“ハンドメイド&クッキング、フレンド 幸”さんでした。

 

榛原から室生大野への国道、道路脇の融雪剤。北海道から見れば少し異様な光景です。  

ゴミの焼却施設 日本では法令で各自治体による廃棄物の処理が義務づけられ、こういった処理施設が全国隅々まで、でもまだまだ世界では余裕のある?国でないと・・・。

そう、均質な豊かさ!・・・??。 

室生寺への道、 2013年かに訪ねています。http://blog.goo.ne.jp/haishi4706/e/0516268ea98d3379bcf84e93953587da

榛原から室生大野を通って名張へ抜けるまでの宇陀川は険しい地形を縫っています。1400年前の道は何処を通って?

    

物語では名張手前、ここ三本松あたりで夜を迎えたようです、宮滝から40㌔の地点。 大海人一行は夕暮れの中、休まず名張へ。私は・・・。

時間は3時半過ぎ、既に20㌔?、今日のサイト予定地道の駅“宇陀路 室生”です。 向かいにはロウソン、駐在所。  

今晩の携帯カイロだ!とロウソンに。説明書き読むと就寝時には使用しないでと!フム・・・。さんざん考えた末もう一日我慢!万一より我慢を選択。。

目立たないように駐車場がけ下で。 まえは宇陀川。 

レストランあるので今日は奮発!うどん&ミニカツ丼定食、地ビール。

寝酒用にワンカップ(つまみは昨日の奈良漬け)、お土産少々。

昨夜と同じくゴアテックスの雨具も着込んで、早々と就寝。携帯も鳴ることなく、全ての情報を遮断?されてる・・・。

 

3月24日(金)晴れ、今日は名張まで10㌔?関空は17:35。

今朝はそんなに冷えず(慣れただけ?)、明るくなったところで、起床。 

体調よし!で、まずは夜露を付けてるフライを看板利用して少しでも干します。

日常と同じよう?に用足し、洗面へ。道の駅の年配管理人?さん。「おはよう!どの車で寝ていたの?」、・・・「ア、いやテントです。」、おじさん「・・・・」。

ここももちろん完璧。 こんなメッセージ初めて!ここの人達の人柄を感じます。

朝食はもう一つのインスタントラーメン。今日は飛行機、で、それなりのパッキング。

7:45出発。駐車場奥の面白いオブジェ。  

三本松駅入り口、名張まで9㌔と。 俄然交通量が気になります。

畑にはネギが!カミさん野菜だけを待ってるのでしょうが・・・。 

米粉のカステラ!これからなので寄る余裕なく。 

沿道の六地蔵さん。 

なかなか山間から抜けません。 

逆に交通量の割に歩く所が無くなって!引っ掛けられたら?こんな記事“北海道からの70歳の老人ザックを車に引っ掛けられ即死”

    

でも可笑しいんじゃ・・・、道路に人が歩く所がないなんて、後進国以下かも!!

“後から迫ってくる運転手さん、どうぞわき見しないでください!”と呪文を唱えながら、無事通過!。

やっと国道からそれます。  

国土地理院の地図持参です、現在地確認しながら田園の中をのびのびです。 

素晴らしい台地の集落、地方豪族と言った感じ。 

近鉄電車の横を。 食用でしょうか。 

東、伊勢方面の山々 

西側山腹に開かれた近年の住宅地。 どうしてこんな所に!何年か前 広島安佐地区?での土石流を思います。どんな手立てをしてもこの地形は変わらない、早めの避難しかありません。

振り返って、榛原方向。 

名張市赤目町丈六地区。赤目とは何か・・・。   

家の前をきれいな水が、と、ある家から白く濁った排水が水路に!興ざめ。  

黄色の花が木一杯に、春。 

名張の町、源流から付かず離れずやって来た宇陀川。 

川越しに見えた葬儀場、壁面には“あなたを忘れない”会館名“紫蘭しらん”。 

立派な道標、解説ないのでどこまで60丁か・・・。 

名張の町へ。 宇陀川は名張川に合流してここまで。 

江戸川乱歩生家。 

初瀬街道やなせ宿?伊勢街道は?   

造り酒屋。  

地元歌人について。  

名張町中の道標、“いせ”と・・・。 

名張藤堂家屋敷跡は?今は学校か? 

10:40名張駅到着!今回一人旅終着。 駅前ロウソンでアジフライ間食。コンビニはロウソンばかり、なぜ?。

ここは1時頃発てばいいので、観光案内のパンフで見どころを。名張藤堂家屋敷は小学校前にあります。

藤堂家の分家、よってお城は無く上級武士の屋敷遺構が評価されて。          豊臣秀吉朱印状  秀吉、丹羽長秀書簡    

少し早めですが急行に合わせて大阪上本町、乗り換えで難波。

難波駅前商店街のうどん屋さん、30年から続いてるそうで、親子丼セット510円!安!ウマ!満腹!。  大阪食い倒れ!と言うんでしょうか???

4時前ですが関空到着。 予定どおり北海道帰着!ザックも回収して帰宅。

そして日常?がまた始まります。

 こんな感じの地形図です。

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