3月22日(水);気持ちよく青空!それにしても昨晩は寒かった。いつものダウンは嵩張るので、セーターとユニクロダウンにしたのですが・・・。下からの寒気でしょっちゅう目覚めました、その割に目覚めはいい感じ。
朝食はバターパンに、ドライお粥。まずは体をあたためて、7時には撤収。
7;30には清潔な便所でスッキリ(トイレットペーパーも完備!中国では・・・)で、さあ出発。 この軒下の方が・・・。
丁度お日様も。上流の大滝ダムが有ったんでは吉野川も死んでます。 物語では勇壮な情景ですが。。
当時はどんな道が、どう設定されていたのか?
この道幅では国栖人に担がれた讃良たちの蓮台は・・・(など想像しながら)。
大海人皇子一行が壬申の乱で最初に迎えた矢治峠越え脱出行ですが、津振川もダム湖の下ではあっけなく。
ダム建設時の採石場所?その緑化工事か?。私的には、なんともバカな事をと言った感じ、近年の大雨を考えれば、わざわざ災害の元を作ってるとしか思えません。
3人の釣り人、ヘラ釣りか?。入漁料払ってたようです。 お金払っての魚釣りは馴染めないなー。
山間の家々ではすぐ裏山から我が家を守らねば!でもこの裏山の工事どこがやるのでしょう、個人でここまで・・・?(補助事業かな??、内地ではいたる所で見られます)。
道の駅側フードコーナーでまずは草餅でビール、で、山菜うどん。
ここまで約20キロ?、“温泉あきののゆ”があるのとここ阿騎野は物語によく登場します、少し同じ気を感じたく、今夜のサイト地に予定しています。
サイト予定地は万葉公園、入口駐車場には便所も完備(水もあります)。
幸い?ウイークデイ、まだシーズン外、と、犬の散歩の人(犬の散歩も禁止の看板あったぞ・・)。お互い様!
居なくなるのを待って、目立たない所(奥に黄色のテント)に設営。
阿紀神社近辺に当時屯倉が置かれる。脱出行ではここで昼食!やっと一息ついた大海人一行でしょうか、時速5キロの計算?。千年以上前の道路事情を想像すると皆健脚!それとも事前に脱出時を考えて整備していたのか?(そんな事考えながら、私は3㌔がとこ)。
阿紀神社。 社殿は南向き。 境内の能舞台。 なんだか配置が・・・、マ!イイカ!。
“あきののゆ”に移動。左大宇陀体育館、右ふれあい交流ドーム。
水曜は65歳以上は500円!ここ阿騎野は当時から薬草産地、薬湯(大和当帰)にゆっくり入って(テント一人旅特権?)。
ここ宇陀市の街の中心は近鉄駅がある榛原に、市役所もそちらです。でもこの豪華な施設群はどうしてなのか?里山二つほどつぶすと十分な敷地が・・・、いろんな所からお金が来るし・・・、で???。
榛原まで10キロ近くあります、費用対効果、維持費、etc。豊かなのかな~。
北海道は今鉄道がずたずたになろうとしています。宗谷線は士別・稚内間、網走線全線、根室線釧路・根室間はお金足りませ~ん!その他のローカルはもう止めてバスにしてくださ~い!私達JRは民間会社で~す。もらっていた貯金はあと3年分しかないので~す!。なんだかしっくりこないのは私だけ?
マ!イイカ!
温泉からの帰り、道の駅で地酒ワンカップ(醸造アルコール入りだった!)、つまみの“きざみ奈良漬け”、スーパーでパックご飯にレトルトカレー。晩酌、晩飯確保で我が家?へ。
今晩はあるだけ着込んで寝ろっと!
明日は室生大野三本松 道の駅まで。
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