自由人の発信 おっさんの中国一人旅から国内旅。

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

6日目:大板鎮から遼上京臨潢府(巴林左旗=林東)へ

2011-05-26 11:59:29 | 旅行記

4月28日(木)晴れ:5:40起床・・・、マップケースがない!エエ!どこだ!!バスセンター?石の青空市?風呂や?。。青空市なし、バスセンターなし。ボロボロのマップケース、ゴミでしょう予定表、旅資料、中国各位・・・。フム・・・、なくなった物は返ってこない!。

腹ごしらえ!朝食は少龍包に希飯。なんだか石の市場が活況!何人か、通りにもお店広げています。車で乗り付けるバイヤー?バイヤーを案内する斡旋や?まだ時間もあるし面白そうなので覗きます。

6033158c84cf4182af1c79e75a3a4b88

なんと昨日とは様変わり、すごい熱気。街(北京、上海?)からのバイヤーブローカーがこれまた仕入れてきた製品石や採石場から直送の原石、拾ってきた?(怒られそ!)石を並べてるおばさん、お兄さん、おじさんと丁々発止のやり取り(雰囲気で)。品物を見栄えよく潤いよく、水をかけたり、拭いたり。100以上のブースになるでしょう(1ブース両腕広げた程度ですが)。その広場の周り四方には高価そうな印石を売るお店(一軒一軒まともな店)が囲んでいます。そのお店の人も掘り出しもの物色してる?といった雰囲気です。

値段が折り合わない(折り合うわけない!)・・・、買い手側おじさん、車のキーで石に傷つけ喚きます。売り手のおばさん動じません(周りは味方?)。とすると、バイヤーおじさん石持ったまま他のブースへ(こうなったら手放すと他の者に持っていかれる?)・・・。

こちらは原石?採石場から持ってきたばかり?袋からゴロゴロと並べます、まだ洗ってもいません。早速物色するバイヤー、その石ホロってさっと舐めました。2個ほど(両手で持たなきゃー程の石)買うようです、百元札が3枚?へ~。。

私は2cm角ほどの印鑑様の石を山にして、どれでも選んでといったものから記念に一つ、「多少銭?」「3元」10元札出すと釣りの1元札がたりません。「2個、5元、好マ?」「好!」で2個ほどを記念品に(今日行く所にもっとあったら・・・、でもなぜか林東にはありませんでした。ここで買っていて正解?)。巴林石は大板鎮(巴林右旗)です。。

8時前にはターミナルへ、8:30出発。マップケース取っておいてくれても・・・。。バスは一般国道を林東へ

バスの中、隣の客の読んでる新聞の見出し、原発事故の記事です。30代後半?格別な人ではありません(バスのお客です)、が、熱心に読んでいます。私が日本人だと名乗って、いろいろと書いてるようだが、私が住んでる北海道は今の所何も問題は無いというと、かなり理解をしているようでした。

Dscf0037

活字から想像できるでしょうが、今後の多くの問題点を記しています(日本の指導者にお願いしたい。世界から見られてる。。陰でガナリ立てたり、持ちなれない権力を振り回したり、詭弁を弄して核心をはぐらかすのも、もう止めにして手に負えないなら次に役立てて欲しい。が、無理でしょう、それが解らないから・・・)。政府自体は今後原発を推進していくことは表明していますので、あおる様な記事にはなっていないと。この記事は、読み終わったら頂けないかといって、持ってきました(翻訳した時には追加掲載します)。

彼は去年かに東京・ディズニーランドに行ってるそうで、その時の写真(アイホーン)を見せてくれました。なんだか言ってるのですが、聞き取れません。筆記してもらいました。

日本の清潔さにはかなりのショックを受けたようです。自分らはソフト面で30年遅れてると(軟実力と標記してます)。。そして国が大きすぎると。

Dscf0110

そうです、汚いより綺麗。ゴミがそこらじゅうより、ゴミなし。便所での悪臭、人の物より清潔、ゆっくり座ってなど解りきっています。でも今までの歴史というか過程での習慣、貧しさからの結果。これらを理解せずして、今の中国の習慣は理解できないし、仲良しにもなれない。それがどうしたと言えばそれまで、でもお隣と仲良く出来なくて、自分だけが豊かに、幸せになれるのか。そして原発による結果だし。。

10時ころ(写真で時間特定していたのですが・・)、祖州路と書いた案内板。左手山並の中に開祖阿保機、2代目徳光の陵墓があるはずです。が、またタクシーで引き返して・・・、考えると昨日の感激は一度でこそと思い、この雰囲気で済ませます。それにしても思っていた以上に上京のある所は広大、盆地と言うより、もう平原です。遼の国の雄大さを実感。。移動する先々で思うのですが、ここが草原で、契丹の民が馬を駆り、羊やヤギを追っていた事を想像すると、いまの耕された目の前に複雑。。

11時ころバスターミナルに到着。頭に入ってる場所とは違うよう?運転手君に博物館を訊くと、出て左側すぐ?どうもつかめない(資料がない!)。地図と宿を求めて賑やかな方へと向かいます。四つ角に面した民族賓館、少し高いかな?と思いきや安い部屋は一泊40元(シャワーなし、トイレ共同、でも街の中心?です)で即決。さて地図です、カウンターの小姐に訊くと繁華街の中に本屋さんあるそうです。

サッパリそれらしき本屋さん見つかりません。百貨店に入っても衣料品か生活雑貨?。請問!請問!でやっと見つけます、なるほど2階の壁に看板?何かのお店の脇から上がります。やっとたどり着いた本屋さんですが、物は赤峰の地図、裏は赤峰行政区域(帰国して点検中に発見、脇にここも含めて主な町の略図?ありました!)、これも無くしていた(赤峰で買ってたやつ)ので取り敢えず購入(10元?高いぞ・・・)。さてやっぱり位置関係つかめないので包車を使って博物館へ(5元)。

10037792_221034

何のことない運転手行っていた通り!!オマケにお昼でしたが、係員に2時半からだと(よく解らないな~、でも閉館といわれるより・・・)。表広場には阿保機の騎馬像、中国ではこの手の像が多い。

仏塔がある筈だと、丁度いた子供(小学高学、低学年友達?)に絵を描いて尋ねると、指差します。少し捜したのですがそれらしき塔は見えません(勝手に白塔を想像!実物は10mほどの小塔)。諦めてまず食事だ。それから上京探し!なにせ立ち居地が読めない。。

北ではshuan肉が美味しいそう。その看板のお店に入ります。出てきたのはラムシャブ!30元以上、値段の割には少しお粗末。隣は4人かでお昼から盛り上がっています、3人はご相伴?(中国では請客といってお金の余裕ある人が、友達誘ったり、一緒に食事すると おごり です。割り勘という習慣はありません、けちん坊は嫌われるそうです)。隣の席の私に興味、日本からがなかなか通じないので、パスポート見せると。店の老板も交えて・・・、パスポート見るのも初めて?今日の胴元スッカリ私の世話やきます(何度も乾杯!)。その雰囲気もありそこそこ満足(一人旅はこういった交歓が楽しい、相手から近づいてきます)。。

では2時半まで都跡を見学と思いますが、まず見渡すと、横道の先に小山(博物館の写真の後ろよく見ると土盛りが連なってる)がみえます。昔のままの住宅街を抜けた所、見えた土盛りは、城壁跡です、連なっています。上へ上がると、つかめました、この街の位置関係。城壁(版築)跡が残ってる程度で、なんとも知れない土盛り(最高で8m程度?2キロ四方?)が連なって外郭が確認できる、といったところ。あった看板には、ここを毀損したものは罰せられますと。用意した資料にここの資料も・・・。さて城内にはなにも、少し歩いてみましたが、仏塔跡に瓦ヶ、内城門辺りの礎石?縦横に道らしきもの、放牧地になってるようです。北東辺には公路も横切っています。確かに街よりも広いこの遺跡では持て余すでしょう(平城京の復元は?、お金持ち日本!!)。私はこうして変わっているこの状況の方が好き。。

01300000164305121393185156725

少し古い航空写真です。城壁の形が確認できます、中心よりヤヤ右下がその入口です。町は左下に広がっています。道路が左に斜め横切っています。川は南になります。

2時過ぎたので博物館に向かいます(城壁のすぐ横!)。開いているので入っていきます、職員さんも・・・。中国では博物館は無料になっているからか、かえって訪れる人も居なく・・・、今日は私の為の博物館。ビデオを見て、展示室に入っていくと、電気もついていません(職員の人も全然構いません!)、自分で照明つけて鑑賞。写真も撮り放題(いい写真・・・?)。出土品や、祖陵・奉陵からの副葬品?壁画、駱駝の馬車等々。

4時半、相変わらず私だけなので、切り上げてあげないと・・・。そういえば博物館の写真にもあった石作りの観音像(ここに残ってる唯一当時の遺物?倒れるのを補強?している)を見ておかなければ!!と再度上京跡に入ります。写真を借りました。ここの広さも解かるかと。。

F19

観音像の位置を聞くと、アッチ!!端から端まで歩かされました。でも途中では遥かかなた(20キロ程?南の丘)の南塔を望めます(足元にはプレーリードッグならぬ野鼠だらけ)。写真はパクリ、よって違う場所から南塔の様子です。

F110

行ってはいない南塔から上京方面を望みます。

01300000239924122176003031121

当時の豊かさ(今よりある意味豊かなのかも・・・)を感じるよう。でもそんな気分で近づいた観音像、なんだか違うような・・・、なんと立派な観音像にしてしまっています!!あの観音様はどうしたのか!!まさに文化財に対する価値観の違いです(しょうがありませんここは中国、中国の価値観で処理するのは当たり前?でしょう)。30分以上かけて歩いてきたのに・・・、いっぺんに疲れて・・・、近くの公路へ。やって来た包車(3輪バイク)で戻ります(街まで6元)。

まだ陽はあるので、運転手のおやじに、もう一つの仏塔(北塔)を知ってるかと尋ねると、「知道!」そこまで10元で。北塔は街の中、裏の丘といったところに静かに佇んでいました。1000年の時を!まさに歴史は後戻らない。「ゆく川の流れは絶えずして・・・、久しく留まりたるためしなし、・・・(方丈記)」(そういえばおやじとこの包車も写真に・・・)。。

おやじ面白いやつだと思ったのか、他にいい所があると言ってるよう。。「よし、そこに行ってくれ、いくらだ?」「全部で15元(200円)!」「好!」

ハハハ!町外れの団地の擁壁に、街の歴史のレリーフが50メートルほどにわたって、勿論主役は阿保機。焼物か、鋳物かと触ると、なんと樹脂!。面白半分でここまではしないでしょう、彼らの価値観。。おやじも自慢そうです。別れ際にはずんで20元!一人旅のよさ、面白さ。。結構豪勢なもの食べて(またまた値段から)、今日はシャワー無しで就寝。

今日使ったお金:7.5+5+40+10+5+42+20+46=175.5元(2,282円)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 5日目:赤峰から慶陵(遼代 ... | トップ | 7日目:上京臨潢府から赤峰... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

旅行記」カテゴリの最新記事