車輪とビール

次の人生を模索する日々

これだけは真剣に

2020-06-23 18:15:23 | 
 https://www.as-web.jp/f1/593634

 自分の人生レベルの根幹だ。上記記事を拝見し、自分が大好きなモータースポーツに対する思いを綴らせて頂く。
 自分は正直申し上げる。自分の青春は佐藤琢磨選手。自分の人生を変えてくれたのも佐藤琢磨選手。自分の生きる方向性を変えてくれたのも佐藤琢磨選手。
 そんな大学時代だった、モタスポにのめりこみ、時間が空き次第モタスポ情報を集めるだけ集めていた時代である。
 (正直、情熱の方向性の正当性なんてどうでもいいんです。)

 「中学生なのに何やってもレベルが違うドライバーがいる」

 詳細は忘れたけどこのような情報が目に入り、注目していたドライバーがまさに可夢偉選手。当時はもう海外に進出していた時ですが、声は確か聴いたことが合ったかなぁ、といった人が「見てる人は見てるんだ」と思ったものです。
 そして日本のモタスポは紆余曲折あれど、「ものづくり」という原理原則から目を背けなかったメーカーの努力の結果、時代に左右されない強い業界を危機感を常に持ちながら邁進している姿を観ると、本当に「自分の選択は外しては無いな」と思わせてくれます。
 そしてその瞬間が凝縮されるシーンが多いモタスポがまた徐々に隆起し始めている瞬間が訪れつつあったのを感じていたのも、生きていてうれしい要員の一つでした。それが体感しやすいカテゴリが・・・・まぁ、これ以上はただの戯言です。

 話を先に戻しますが、もう何年も前から気になっていた可夢偉選手がF1に進出。
 そしてF1に真剣に向き合い、FPで不運のクラッシュで「ひょっとしてT社から可夢偉選手が明日走るかも」を現地で体験できた時の会場の雰囲気は忘れられません。
 あの時、自分が兼ねて観察してきていたS字のふるまいを現場で観ていて「T社の〇号車のマシンは何かアンダー強すぎやしないか」という印象の中、メーカー母国GP悲劇のクラッシュがあり、会場が異様な雰囲気に包まれつつあったのはまだ鮮明に脳裏に記憶されております。実際、その年は可夢偉選手の走行はありませんでしたが、夢と期待があった。
 「ひょっとして母国で・・」この意味が分かるほどモタスポに熱中していたからこそ、今もなおダラダラとモタスポ熱が心に灯っている根幹だったのかもしれません。数年経って思うことですが、小林可夢偉選手も自分の中では佐藤琢磨選手と同等以上のチャレンジャーであり、尊敬できる人物であり、そして青春そのものだったのかなぁ、と昨年SF全通して漠然に思ったものです。

 そしてその後は政治とお金に才能が押しつぶされてF1を追われていったドライバーというのは国内モタスポファンの共通見解だと思ってる。
 然るべきときに然るべき「環境」が手元にある難しさ、これをモタスポファンに痛感させられた事象の一つではないでしょうか。
 「あぁ、あの時あのマシンがあれば・・」、と自分も良く思います。マクラーレンを亜久里さんのマシンが抜いたシーンは墓まで持っていくシーンですが、あの時のクレバーでチャレンジングなスキルがあれば・・・何て言うのはただのたられば。
 それを痛感し、受け入れ、今は今で良い応援をしていく。そしてその渦中でも良いドライバーは応援したい。これが自分のモタスポを応援し続ける根幹であり、そして日本人ドライバーがF1表彰台常連になる瞬間を目にしたい、という夢であります。
 しかしそこで終わりではなく、持ち前のバイタリティの強さと知性が現代モタスポをけん引している一人になったのは本当に素晴らしいことであり、そして尊敬できる人物であります。
 話はそれますが、中嶋一貴選手やF1レベルのドライバーといった、世界を知るドライバーが日本国内で真剣につばぜり合いをしているシーンが多々あるのを痛感したところ、そここそSFに惹かれたですよ。

 それはさておき、応援者として自分自身の夢ではない理由としては、その夢に向かっていけるほどの年齢でもなく、バイタリティいの強さもなく、そして何より「時代に乗り切れていない」と思うが故。
 「今の時代はチャンスなんだ」と感じるのはただ単に年を食って少し外野から見守ることでそう思ったからなのだろうなぁ、と漠然に。
 そこにチャレンジしていく姿、そして姿は姿勢につながり、言動につながり、行動につながる。結果にはつながらないときは多々あっても、その過程が人を鍛える、それこそがモータースポーツの真骨頂があると思っている。

 いくら道具有りきのスポーツというのがわかっていても、そしてそれを覆す術がだんだん減っていると思えど、です。
 そしてその姿勢を体現するのは役者ではなく 主役 兼 中心人物として人に夢を魅せるのがドライバー。そこに惹かれてキレる参謀や名将といった人が付いていくシーンに奥深さがある。
 そして何よりもリアル。予選が始まったらそれは現実となる。そして実際のレースはもう言い訳できない。
 どこで観戦していても、人が多いポイントなら周りの雰囲気からの緊張感から来る高揚感、なければ無いで目視でわかるタイヤの温め方に対する所作から来る緊張感、そして実況の煽り。レッドシグナルが消えたらもう言い訳は一切通用しない世界が眼前に広がる。

 ワンミスで自分の2、3年の年収が修理費で吹っ飛ぶ意味、ここも実は見方が変わります。
 年をとればとるほど自分に対してのお金の価値がわかってくるものでして。コンマ〇秒のブレーキタッチのミスだけで簡単に年収が吹っ飛ぶ世界が目の前にある訳です。グランツーリスモなら「リトライ」を押すだけですが、リアルは大きく異なる。
 そんな期待と価値の圧力をはねのけてベストを尽くすとか・・・本当にすごいスポーツ。

 その重圧の頂点がF1であり、これは不変だと思ってる。てか、そうあるべきだと思っている。
 だから、音とスケールと戦略がしょぼくなったと感じた瞬間に切ってしまったのだけど。。。

 今、モタスポもかなり厳しい。モタスポは所詮車業界の道楽でしかない。「実験場」何てカッコいい言い方もありましたが、実験場は自分で作ればいい時代になってしまった。そんなのは頭のいい人はいくらでもわかっているのが昨今。
 ところが何故モタスポは消滅しないのか、それは最後は「人間が操作するから」と感じていたのが昔。
 今は「人間が作る世界だから」と思うようになっている。

 結局人間がすごい進化しても、そのノウハウを集積回路に焼きこんでも、最後は人間が判断したからだと思うのです。
 トリガーは人間が持っている、そして人間の面白いところはプラスマイナスでは語れない奥深さ。

 そんなシーンをモタスポは真剣に観れば観るほど魅せてくれるのです。
 だから今年も楽しいシーズンをまだまだ期待している訳です。
 そしてその世界に触れさせてくれたのが大学時代の戦友、佐藤琢磨選手、小林可夢偉選手なのです。

 ここで綴ったのも所詮一部。まだまだライムはあふれますがこの気持ちをもって飲みなおすわ。
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