車輪とビール

次の人生を模索する日々

選挙ちょっとだけ追いました

2024-07-09 17:54:53 | 生活

 この惰性で課金してまで延命している本ブログ。意味があるか無いかは知らん。だって惰性ですもの。

 キーボード叩く際のフォーマットも何か変わっており、気に入らないから旧verにしたらしたで改行の間が気に入らず悪態をついている時代遅れのおじいちゃんですこんばんわ。やはり長年「これはこれでしょ」と勝手に思い込んでいるものが自分が把握していないタイミングで気に入らない方向に変わっているとムムムとなってしまうのは人類の性なのでしょうか。

 これあれなのかな。全てhtmlで記載するしかないのかな、ひょっとして。それならそれで古の記憶を呼び戻すという、おじいちゃんリハビリをするだけなんだけど。

 それこそ思うように動かなくなった際は「全て定義すればいいんだろ?」という学びの縁文化であったり、ある種のイキりがふんだんにちりばめられた悪態であります。何故か年を取ると「後で修正すればええやん」が少し後になりがちだ。

 もうこの歳になると「せっかち」何てかわいいものではなく、これまでの人生の成功体験だと思い込んでいる、ある種のまやかしまで解決方法を半自動で見出しに行くから厄介だ。どうせすべての物事に対して「めんどうだからこれならしょうがねぇな」で落ち着くのであればそこから2,3回もすれば「これはこれでありかも」になる未来なのにねぇ。

 

 このタイミングでプレビュー観てみたけど、案外気にはならないのでhtmlという太古の記憶を呼び起こす必要が無いことを悟り胸をなでおろしておりますが、何か気に入らないときは何故かエスカレートするんだよなぁ。

 まぁ、、、表題の件で感じたことなのですが、自分は静岡県に住んでおりまして。正直大学時代の長野県レベルで今の居住地域は気に入っている。南海トラフが来てそれに触発されて周りの火山が活性化したら逃げ場が全てなくなる、将棋で言うところの穴熊みたいな地域ですが、山あり谷あり駿河湾ありで、徒歩圏内に日本の良さがふんだんに味わえる、とても好きな地域である。

 そんな印象はありますが日本は結局東京中心に物事が決まり、勝手にそれが既定路線になり、(メディアの力を借りて)生活に浸食してくる訳で。まぁ今の時代、どこに住んでいてもツールを目に居れたらそういう情報がなだれ込んできてうなだれるメカニズムが働きやすくなる、ある種の自我が情報で決まる時代に既に突入している、と感じている訳ですが。

 

 そんなゴミ論を表明したい訳ではなく話を戻すと自分が期待した結果に対しては2連敗である、というのが正直なところである。自分も良い年なのでマニュフェストをさらっと眺めたりして「この中であればこの人が長であれば弟のお子さん時代に没落していない確率がマシだろう」という評価指標で推す人を決めているのだけど、結局「死ぬまでにこのまま延命すればどうでもよい」勢と「切り取りに踊らされる」勢と「ただのタレント推し」勢といった色々な勢力の各々の推しが各々を蹴落とすための感情論が渦巻いて結局ごちゃついてリソーセスで大敗する、という図式に感じたなぁ、というのが率直な感想であります。

 感情論になればなるほどリソーセスになる、そしてリソーセスが一番強いのが「老人」だから絶望するしかない、という図式をいつまで繰り返すのだろう、というよりいつまでも繰り返されるんだなぁ、というのを感じた昨今であります。

 だって自戒を込めて申し上げると老人になればなるほど感情論に傾くのですもの。最近昔より分別着くときと感情に押し流されるときの両面を感じる。若い時はもちろん感情が一番重要でしたが、おっさんになると感情より理論、そして数字の意味のなさを理解して自分なりの「平等」や「フラット」などという耳障りの良い単語を並べる訳ですが、結局感情に負ける瞬間は少なくない。振り返ると「自分の劣化」を感じて止まない。

 

 やはり老人が多い世の中で民主主義は限界なんじゃないかな、と思う。どこかの超有名人がおっしゃっていた「自由と民主主義は両立しない」というのは本当にその通りだなぁと。

 言い分は誰もが自由を振りかざしているように感じますが、結局自由を奪いあう民主主義になり果てている昨今、以外の感想は無いねぇ。ましてや若人も本当に若いうちから「比較」にさらされまくる昨今では、若いうちから知性を身につけないとそりゃ、、、ねぇというのはしょうがない印象がある。

 

 自分の家庭環境や世の中のSNSのトレンドを覗いたり、ちょっとした本を読んで思うこととして結局最後は「知性」しか生き残りに役立つものはないんだろうなぁ、とふと思いましたまる

 と言いつつ、アイドルオタクは感情丸出しで現場を楽しんだ方が圧倒的に面白いので困ったものです。両立が重要なんすかねぇ(バランス取れたら気苦労してない

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オタクはしんどいの連続だ

2024-07-01 20:13:02 | 生活
 表題の件「人生はそんなもんだ」と勝手に丸めるけど、色々思い馳せると「絶対お子さん養っているご家庭の方が圧倒的にしんどいだろう」と思い馳せている路傍のオタクですこんばんわ。
 表題の件、ふらふらとオタクを嗜んでいる時のまぁまぁ重めの「あぁしんど」となる事象が発生した際はついついいじけてしまう訳ですが、結局趣味の一つでしかなく。ぶっちゃけそれ以上も以下もない。
 ただ、そこに人間関係のようなものが絡むとそうそう簡単に改廃も難しい訳で。

 趣味は趣味なのでしがらみにならない程度に人間関係を広めないようにしているのが自分のコンセプトであります。レースやウォーキングは完全に一人で嗜めるから大変良い。
 突き詰めるとレースは気に入らない采配がめっちゃあったり謎の金を巻き上げられるシーンやピットウォークでは強引な人間(特にレースクイーンやキャンプ目当ての輩)に出会ったりはあるのだけれど。
 そういった意味だとウォーキングは完全に孤独。せいぜい水分買う時にお店に入るぐらいで何もない。そして靴を買うぐらいで大体完結するからお金もかからない。歩いているときは色々考える時間に宛がえるし、心身共に悪くない気はする。とはいえ、結局疲れるけれどもw(6月は合計560km歩いたらしい
 昔嗜んでいた自転車も結局孤独なので楽でしたね。一時期の自転車ブームでゴミ中年の逆走輩や自動車の運転マナーの劣化によってもう個人的に怖くて乗らなくなってしまったのだけれども。

 何だかんだで自分の人生で嗜んできた趣味は基本孤独でも楽しめるものが多いのですが、そう考えるとドルオタだけは少し特殊なポジションかもしれません。
 というのも、完全に人間が人間を応援するだけの趣味である、と考えている。ただそれだけなのに様々な欲望が渦巻く訳で。それは自分然りである。
 その欲望も色々考えていくと様々な形があり、ベクトルも複雑で、そして全てを考慮することも無理で。

 その根幹は個人的には模倣理論が一番しっくりくるかも。端的に「全ての人間の欲求は比較からくる」という理論でございます。
 「自分は県外だから遠い」とか「争奪戦に敗れた死にそう」とか「そこまでではない」とか。これら全て自分の内側からくるというより何かどこかと比較して「うらやましい」という妬みのエネルギーから発生するものである、というのは薄々気づいてはいる。しかしそのエネルギーは粘り強く簡単に消化できるものではない、という側面と演者さんを第一に考える、という面のせめぎあいに精神がガリガリ削られていく瞬間はどうしても発生してしまう。
 「前者さえなくなれば・・・」と良く思うのだけどやはりどうしてもその瞬間はある時発生する。何なら「演者さんを第一に考えるのであれば全財産ぶち込んだ方が応援になるよ」というゆるぎない現実的な事実と「趣味も良いけど人生はバランスだよ」の狭間も難しい。
 バランスを考えると結局妥協せざる負えないところが生まれる。
 しかしその逆も然りで、妥協しないように突っ走るとどうしても埋めようのない物理の差という現実に突きつけられ、結局その差は埋めることは出来ず絶望し、結局精神が疲労困憊していくのが見えてくる。
 オタク歴はそこそこ積んできたけど、この問題は未だに己の中での解が見つかっていない。

 演者さんは人生をすり減らして日々是精進されておられるのですが、それをマネジメントする事務所の方の戦略や時代のトレンド、ちょっとした運やそれこそ金で差がどんどん広がっていく現実はとてもしんどい。そう考えると芸能はバシッとつかむチャンス、つかみきるまでのプロセスが本当にヤバイ世界だ。
 オタク側は(人生かけている人もいらっしゃるとは思うけど)行きつくところは趣味でしかないのに、ついつい様々な欲が発端で色々な精神状態にさらされる。
 しかし、結局それをどのように消化するかは己であります。認知の仕方と言いましょうか、少しゆがむとすぐ状況のせいにしてしまったりするものなのだけど、突き詰めると己の欲望がゆがんでいることに気付けるか、で大分変る。
 それを認知できたとしても消化するのがこれまた違うプロセスとメソッドが必要なわけで、これが大変難しい。

 結局自分の場合は「自分はみみっちい生き物でしかない」というどことなく哲学的な解釈に陥りがちであります。
 では科学的に解釈しようとしたらどうだろうか、と考え「カワイイとはなんぞや」といった旨について綴られている書籍をいくつか読んでも結局科学的な答えがまだ突き詰められていない、という結論が多い気がする。
 結局のところ、人生の体重が様々なベクトルから乗っかかってその規模や境遇で大きく変わり過ぎるところなのかもしれない、とふと。
 食の文化などと同じで歴史や地域性、表現や注目しているところなど、もう一言では言い表せない、しかしこの多様な文化は日本独自の感性から発展したものなのかもしれませんね。

 つまりドルオタは楽しい瞬間はそれはそれで最高として、欲望から生まれ嫉妬に近いこの心の何かが発生した際の代物をどのように落とし込むか、このプロセス自体が趣味として成立するものなのかもしれません。

 本日体調不良により、天井を見つめながら頭に浮かび整理したものを綴っただけの駄文。
 最近社会学と哲学の読み物をちょいちょい読んでいるのですが、何か物事の解釈に少しバリエーションが増えた気がする。
 どのような趣味を嗜んでも最終的に行きつくのは勉強になるのかもしれません。
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選挙も終わり

2024-05-28 18:54:16 | 生活
 先日グダグダと綴った静岡知事選が幕を閉じました。結果は鈴木氏の勝利。
 自分は東部を気にかけて頂けたように感じた大村氏にベットしましたが、結果は東部地区でもほんの少し優勢というレベルで、静岡西部の圧倒的支持を受けて鈴木氏が当選されました。おめでとうございます。

 ぶっちゃけ、自分が知事選の誰に票を入れるかの決定的な評価は「自分にとって有利になるか」しかない。選挙全般と言えば全般ですが、地方選は顕著に見える。西部の皆さまが鈴木氏に投票するのは必然だと思いましたので当たり前。
 ただ今回思ったのはあれだけ第三者視点で勝手に感じたのは「これまでの県政に不満があれば大村氏、特になければ or 金落としてくれそうであれば鈴木氏」って評価でした。中部はこれまで従来の県政に対してそこまで嫌悪感は無い投票結果だったと思いますが、清水区を襲った豪雨のゴミ対応で一気に支持者が減った印象を持ってまして。
 そこを踏まえて一気に風向き変わるのかなぁ、と思いましたがそこまでのインパクトもなく。
 東部は東部であれだけないがしろにされてもそんなにインパクトもないってのを感じた、が正直な心境です。

 さらに大村氏の肩書に「現与党支持」の3文字が付いておりまして。これが決定的な差になったのではないか、と推察しております。
 「〇〇党にろくな奴はいねぇ」というステレオな意見がものすごい根強い印象を持つエピソードをかなり目の当たりにしましたね。

 自分はこのローカルの場ではっきり申し上げますが、地方分権は本当に重要だと思っております。何でもかんでも国政を基準に評価するのはもう民主主義でもなんでもなく、完全に「中央集権」を勝手に思い込んだ方々が勝手に首を絞めてそのシナリオに乗ってるだけにしか思えない訳で。中央集権を毛嫌いしている方々が謎の認識で中央集権を加速させているこの構図、どうなんだろう。
 まぁこれも民主主義なのでしょうがないですが、そのエコーチャンバーを想像以上に感じ、いよいよ「民主主義はある程度以上の知識が無いと成り立たないね」と思った今回の選挙でございました。これはこれで勉強になりましたのでよいですが。
 自分が知らない & 公表されていない点で鈴木氏が従来とは異なる県政の方向性を打ち出して頂いているのであれば全く問題はない。そのシーンを感じたら期待する。どっちつかずであれば結局そんなもん、自分の居住地東部ガン無視であれば東部の選挙不参加者や見極めれなかった地方住民のミス、以上も何もない。これだけ辛酸をなめた上でも、だ。しかしこれも民主主義ですし。
 ただ繰り返しますが、そこに国政は1mmも関係ない。そんな東京で決まる物事以上に地方の文化と利権は根強い。だから地方分権という名の「ある程度は現場で統治頑張ってね」という権限を与えているとしか思っていない面もある訳で。とある広島のとある限界集落に足突っ込んでいた市の議会を観れば明らかじゃんって。

 別に誰が当選しても「マシになったらいいなぁ」以上は当初から無いので当選前後で絶望も希望も何もないですが、ココから15年は「これまでの15年とは大きく異なる」のは自明なこの国の状況でそこそこ注目して情報を追った選挙の結果は結局情報の質ではなく、その場のトレンドには勝てませんでした、という虚無な結果だったのかな、という印象。
 ただ繰り返しますがそれも民主主義。自分は投票に行ったので良いことも悪いことも自由に意見を申し上げる権利を得たので良いかと。
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徒然に

2024-05-23 03:10:50 | 生活
 適当に思ったことをつぶやきより少しつぶやきたいときに発動する電子裏紙。
 自分は静岡県という日本有数の「高速道路同じ景色で長い、新幹線飽きる長い」で同じみの都会から脱出するも都会に行くも怠くなりがちな国に住んでおりまして。個人的には不要と考えていますが、リニア問題で全国各地の謎の人達から目の敵にされる地域でも有名であります。
 前知事もよく聞いてみるとリニア自体への否定はしていないんですけどね。さらにトンネルと水脈の関係は想定外の事が発生している、という過去の事例も複数ありますし、あの事例基本泣き寝入りですし(この記事熟成している間にある地域で井戸枯れが発覚したとか)。
 何より静岡以外の地域でもトンネル工事では想定以上の岩やら騒音問題が起こっているという現実もあり、実は [ 静岡 - JR東海 ] 間である意味湧き水でワーキャー騒いでいたことで問題の目線を逸らせていたので、案外Win-Winの関係だった面もあるのではないか、と思っています。まぁ、リニアはどうせ回収できないんじゃないかな、ぐらいにしか思っていないため個人的にはどうでも良いですが。
 東京-大阪は後20年以上必要そうですし、その頃には自分も老いぼれているはずですので今以上にどうでも良い問題になるかも。

 話はそれましたが静岡県は転換期を迎えておりまして。地方分権の頂点である知事選挙が過熱しております。
 個人的には、ですが本ブログでも似たようなニュアンスで主張した気もしますが、政治で一番自分の生活に対して影響がでるのは地方の単位だと思っています。かなり本気で思うこととして、ある区分は様々な要因で大小あれど、良い街を作れるか、は将来に対して大きな影響と意味を持つものだと思っています。やはり地域が第一で、ある程度住みやすいであったり、何か心地よい街は良い人生送りやすくなると思う。
 そして地域そのものの発展の決め手はやはり県政だと思う。特に自分が住んでいる静岡の右側は東京のお金が入ってくる、結構利権が複雑怪奇な地域で県政からは放置気味で有名。元知事様の問題発言後にSNSでは「これだから静岡県民は~ww」的な声も数多く目に入りましたが、静岡県は大きく3つの地方に分かれており、浜松と静岡に対しての力の入れようと東部の放置っぷりを「西高東低」と皮肉るぐらい地域住民の県政に対しての期待は異なります。いや、異なっておりましたといった方が今は正しいですかね。
 熱海の山のメガソやら沼津の高架問題でまざまざと見せつけられました。「こいつ何にも考えていねぇ」と。特に沼津に関しては結構発展遅らせた算段も出ておりまして。沼津市街地の慢性的な渋滞やらそれに合わせた再開発やら、素人が少し考えても影響度は大きい事業だと思うのですが。
 まぁ、だからと言って立ち退きやらなんやら問題は出てましたが、リニアより簡単な問題にしか見えませんでしたわ、自分の視点では。

 それはそれとして、県政に期待するのは東部地方で加熱している再開発の推進ですね。何でもかんでも再開発を望む訳ではないですが、これからバンバン人口が減りまくるのはほぼ自明でリソースが無くなってからでは投資ができなくなる問題が発生するのではないか、と考えています。
 これからは地域差が勝手に広がっていき、、、みたいな。伊豆半島をすこし考えてみると東伊豆は東急の血が入ってくるのである程度観光を基軸に発展させる術がないわけではない、とは思いますが西伊豆は県の政策がいるよなぁ、と。伊豆全体かもしれませんが、地方インフラ問題がダイレクトにのしかかってきそうな地域ですし。
 「どうにかするんだろうけどどうにもならない可能性はあるかもしれない」みたいな、不安のようなものはついて回ると言いましょうか。
 かといって全てのインフラを自治体単位で維持するのも恐らく無理になっていく。どんどん解決が狭まっていき、、、というような算段も消滅可能性自治体という形で先日出されたかと。それはそう。街は枯れたら戻すのはものすごい時間と労力が必要になりますし。今の日本ではそもそも簡単に人は増えないでしょうし(ここに関しては独身の自分が言うのもあれですが)。
 また、ここから15年が人口分布上どんどん厳しい分布になっていく、というのももうわかりきっていることで、ここから何を投資して・・・というより何を切り捨てるのか、と何をするのか、が重要なのかなぁ、とおぼろげに考えています。
 東京都知事選もいよいよ過熱して参りましたが、東京一極集中の解体は心の底から期待している。地方側がいくらハブや受け入れ態勢を作ったところで人が定住しなければ街は枯れていく。それはさすがに国と都知事が連携しなければ無理でしょうに。プロジェクションマッピングで遊んでいるようなお方では維持に走って得たお金で遊んでいるようにしか見えず、無理だわ。
 と言うことで、どうしようもない地域はどうしようもないとして、どうにかできそうな地域や復興の起点となる地域を盛り上げるための一つの材料として、再開発を通じて昭和っぽい街からちょっと良い街になると良いなぁ、と思っておりまして。アーケード撤廃などで商店街の見た目が変わるというのは実際ちょっと寂しいですが。

 大体上記のような読み取りをしている前提で今回の静岡県知事候補者を眺めてると、結局「現状維持」や「あれやります」が多い。金無いしこれから人減るのに?そんな候補者には投票しないね。
 また、選挙の声みたいなものを見ると地方分権という言葉を知らないのか「○○党だから、、、」とかしっちゃかめっちゃかな意見も少なくない。
 自分が年を取ったのか、今日日情報収集しやすい時代でも結局政策やら何やりたい人なのか以上に自分の見た範囲の「印象」でしかないんだな、と今回改めて強く思いましたわ。
 そう思う一つの事例として、静岡県のインフルエンサーの方が「今回は本気で知事選と向き合ってみた」という旨でドキュメンタリーチックなブログを発信されているのですが(ものすごく素晴らしい記事です)、候補者から応援する人を実質決めたタイミング辺りからすんごい嫌がらせやゴミみたいな意見が大量に来たとか。これも生々しいドキュメンタリーとなっており、大変興味深く拝見させて頂いております。

 この現状はまさに社会学の本やら某有名な教授が仰るような「阿保も参加できるのが民主主義の弱点」の一つの形なのかなぁ、と徒然に。タレント議員乱立や議員様ご自身やそれ系支持者やらスポンサー関連の情報操作(≒ひっくるめて既得権益)ももうどうしようもないですね。
 全部次の世代が自分の時代以上に苦しくなる気しかしないのですが、、、「今さえ良ければ」世代が作った社会で起こっていることですな。100年後や何やらに社会の教科書に「ゴミ世代が作った負の遺産」とでも評されるのでしょうか。それまでに日本が残っていればいいけど死んでるから答えを知ることは無いでしょう。

 まぁ、選挙の投票率を上げるには「周りが選挙に行くこと」が最大の政策とも聴いたことありますし、そんなもんかもです。
 まとめとしては「なるようにしかならん」と頭を真っ白にして何も考えることなく死に向かっていこうと思います。
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ソウルメイトって大事だよね

2024-02-01 18:55:46 | 生活
 先日ですが大学時代からの戦友と言いましょうか、ソウルメイトと一献嗜む機会がありまして。
 自分の2023年は「ゴミみたいな一年になりそうだ」からの「せめてゴミなりに調子よかった気がする程度の体の軽さを目指しませんか」のスローガンのもと、体重63kgを目指して行脚し追い込み余裕で目標を達成したのですが、その根幹はやはり「カッコよく死にてぇ」があります。

 男の子であればやはりカッコつけたいもの。そしてカッコつける相手は自分自身である。外野ではない。外野に甘える能力ももちろん大事ではあるけど、カッコイイは結局主観であり、自分なりにカッコよければ周りの目などどうでもよい。
 ファッションがどうたらとか、スタイルがどうたらとか、客観的に重要なパラメータはたくさんあるのは承知ですが、やはりカッコイイは自分がカッコイイを目指さなければ意味がない。評価は結局周りが勝手に決めるのでどうでもよく、自分が目指すべき像に向かうプロセスに意味がある、と信じて止まない。
 これは自分が「速い」「カッコイイ」に並んで大好きな「カワイイ」という核の部分に通づるのかもしれない。路傍のドルオタではありますが、いつぞやからダラダラと「カワイイとは何ぞや」の本であったり論文であったりを読んでいるわけですが、納得いく論調やそれらしいデータはあれど、やはり誰も「解」にはたどり着けていない印象がある。
 そこを突き詰めていくと結局神経科学と哲学の境界に触れざるを得ない、と思う昨今、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 そんなクソ背景はともかく、「長生きしたい訳ではない & 案外追い込んでも人間は死なない」と理解してからは上記行動指針「適当にカッコつけて死にたい」で現世に留まっているわけですが、案外そういう人とは巡り合わない。逆に「ティンときた」人は大体友達。
 自分も他人もどうせ理解しても意味ないからどうでも良い。その上で距離を詰めても少し離してもふらっと話せる人が好きですね。

 表記戦友とは恐らく1年ちょいぶりにあったのだけどめっちゃシュッとなっとりまして。
 モチベーションを拝聴すると中期的な目標はもちろん全然違えど、目指すべき年の取り方が何か似たような目標であったりと。誰が聴いてもカッコいいと思わせるには外見と行動に説得力がなければならない、と考えている。行動が外見を作り、考え方を育み、そしてそれが経験となって還元される。これが自分の人生観と最近なりつつある。自分のような顔のベースがオタクとか、体系がデブとかどうでもよろしい。何を目指すか、をはっきり述べれるか、が大事なんだろうなぁ、と5年ぐらい前から思い始めて最近確信に変わりつつある。
 職人脳なのかもしれませんが、やはり年をとっても何かを追っていくプロセス、ココが大事なんだと思ってやまない昨今である。
 経営者側の人間は年の割に妙にエネルギッシュなのもそういうところなのかもしれませんね。現場とは乖離があるのかもしれんけど、何かを目指したポジティブな言動は大事なんだ、やっぱ。

 上記戦友と話して思った事として、やっぱ大事なことは強みであったり、何かを目指す意志を見える化することはある種のブランドを築くところに通じていらっしゃり、かなり刺激を頂きましたわ。当たり前のように楽しかったし良い飲み会だったなぁ。戦友は良いね。
 「それがエネルギッシュとかいう表現の根本なのかなぁ」とおぼろげに思ったり、「やっぱ行動力こそがエネルギの根本なのかなぁ」と思ったり、そうこう考えて7km歩いてカプセルホテルに帰りましたとさ、めでたしめでたし。

 ちなみに、そのカプセルホテルのサウナは自分の人生指折りで好きなサウナです。
 なんか「ウナギのかば焼きの気分が味わえる」と思う、そんな内側から外が焦げ付き始める感覚が最高でして。この日もデトックスさせて頂きました。

 また話は変わりますが、結局自分は下賤なのか、ビジネスホテルの個室は快適なんだけど何か味気なさを感じてまして(肉体的にしんどい時は個室で泊まるけど)。
 やはりカプセルのあの「寝かけてるのに音うるせえな」であったり、朝の「てめぇ、アラームきっとけや」であったり、ちょっとした騒音にいらっとするのが好きなようです。
 今宵も超酔いどれのおじさん徒然日記を綴ってしまった。妙に疲れているので本日は早く寝ましょう。
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やっと終わる

2023-12-31 23:52:26 | 生活
 2023年は率直に前半6月までぐらいは酷い一年だったな。もちろん良い記憶もあるけど、ガッカリした方が圧倒的に多かったっすねぇ。
 7月ぐらいから色々良い事も起こり、9月で「2023年は悪いこともあったけど良いこともあったね」とおかげさまで消化できるまで持ち越し、振り返ると良い思い出が収支トントンちょい+ぐらいまで持ち越せたかなぁと。

 仕事面はこれまた社会問題が直撃したわけだけど日々こなす上では全く問題なし。久々にストレスあんまなしの状況に持ち込めたのはよかった。
 気付きとしては「OJT」とか「育成」なんて言葉があるけど、あれはその気にさせることが一番重要で、その状況を作るためにはやはり何か魅せれるものが無いと意味ないね。その魅せる側も受け取り手も結局「意識」なんでしょうに。
 「阿保は何故阿保なのか」という疑問に対して彷徨っていた最中、肌に合ったのかある時出会った神経科学の面からちょっと考えてみようとなり、4,5年ぐらい関連書物をふらっと読んでいるのだけど、結局人間は脳みそ何だろうな。
 かじっただけの知識の感想としては「複雑に見えて組み合わせはシンプル」が故か、機能としては複雑怪奇でようわからんっす。
 考えてみれば「ニューラルネットワークってすごいな、数学的によくわからないメソッドだけど」のよくわからないが頭の中できまぐれに自然に超高速で行われて、さらに組み合わせが無限にあるってことだからそりゃ隣人、好きな人、長年の友人含めて自分以外の考えている事なんてわかる訳がないなと。さらに構造と機能の狭間の「意識」という面を考えるともう???しかない。意識を考えると機能面からももちろん構造面からもわかるものではないので心とか言われているものに着目するわけで。そうなると哲学になってくる。
 で、最近は科学と哲学の狭間をふらふらと思いふけったりしている訳ですが、結局は脳みそなんだろうな、とやっと思い始めているってのが最近すねぇ。(一番わかっている気にはなるけど)自分の脳の中身すらわかってないのに他人の脳にアクセスなんてできない。
 従って育成は「受け取り側の取り組みが土台」であるが故、その「土台の築き方を手伝うところ」が一番重要なんだろう、とちゃんと解釈できた一年だったな。・・・なんの話や?

 趣味は・・・結局はしゃいじゃったなw
 私生活ですさまじいゴミ事象に出会い、今年は虚しさを痛感した訳だけど世の中の状況も相まって外出が普通の状況下で本当によかったわ。今年は久々にドルオタを楽しんだ訳ですが、完全に色々吹っ飛ばせる時間があるってのは貴重だ。
 アイカレ/おむすびコロコロは過渡期がぬめぬめ続いているのは気になりますが、良い瞬間も見ることできたしな。
 レース関連はSFはちょっと離れてしまったけどWECとS耐が楽しい。特にWECは技術戦争が発生している。速くよりうまく転がす、という技術が随所にみられるのがとても楽しい。また、緩い情報オープンな状況もとても楽しい。現地に行ったら行ったでここ数年以上に盛り上がりを感じたし、やはり色とりどりのGTカーは観ていて楽しい。推しメーカーも独特で別に遅い訳でも無いので楽しい。また一番重要な点として「超速くてカッコいい」。ここがちゃんとあるのがとても良い。エアロも蹴る瞬間もレース中の色とりどりのエキゾーストも全て良い。
 今年はタイミングもあって24hは行かなかったけど、来年は調整したものです。

 色々思い返すと何て言うか、または初老に突撃したからか、自分は頑張ってる人への応援が好きなんだろうなぁ。
 頑張り方がわからないけど頑張ってる人と頑張ってる風の怠惰な人の選球眼は大分ついた気がする。ある時の目と土壇場の踏ん張り方が違う。
 まぁ、そう思ってるだけなんだけど。
 来年もふらっと頑張ってる人を応援している気になって生きていこうと思います。
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11月〆

2023-11-29 18:36:22 | 生活
 WECやらアイカレツアー全通体験記やら綴っておくのも良いか、と思った事がいくつかあったのだけど時が過ぎ去っていくのは早いものです。
 まぁそんな体験に感謝しながらダラダラとここまで運よく生きてこれたことに感謝すべきなのでしょうけれども。
 さて、またまたまたまた放置してしまった本ブログ、綴りたい訳ではないのだけど気が向いたからキーボードを叩いております。
 理由は何となくキーボードを何となく叩く口実が欲しかったから以上も以下もないのだけれども。つまりとりとめのない駄文を残す。

 23年を振り返ると年始から6月末までは私生活人生最悪レベルの流れ、そこから内側からぶった切った流れで外側の捉え方も切り替わり、7月末からアガッて8月中旬にググっと良い感じに。そして9月頭で完全に良い潮流に乗り、9/20に今年の全ての「-」要素が精算され、今年の53な流れを断ち切ってふんわり楽しんでいる2023年。まぁ来年もいくつか怪しげな要素はあったりしますが、まぁ最悪ぶっ千切れる状況に持ち込めているので心穏やかな状況であることがましな要素だったりします。

 何て言うか正直申し上げると、今年はドルオタだったおかげで乗り切れているって面は結構ある。寝る以外で色々頭からメンドクサイ要素を吹っ飛ばしてくれる何かがあって本当に良かった。知識がいくつか増えても、案外じっとりとした案件は頭にこびり付いて離れないもので。
 趣味であるウォーキング中は色々な材料を整理して見つめなおす時間になってはいたのだけど、哲学的な視点で人生を観てしまう傾向が強く、結局深堀はするけど割り切る材料にはたどり着けなかった。
 きつい運動中は頭真っ白、目の前でできることをやるって感じになりますが、持久力方面は最終的に内省してしまうものなのでしょうか。

 と主張しつつ、これは様々なプロフェッショナル全般に当てはまる事かもしれませんが、、、特にアスリートの方が綴った本などを読んで思ったこととして自分を見つめて高めるプロセスは完全に一致してるんじゃないかなってひと昔前から思ってまして。だから自分のやってきたことをちゃんと言語化できるアスリートの言葉には経験以上に知的な面とアーティストのような、ひとえに言霊と表現していいような「チカラ」を感じることが多いなって印象があります。
 実際起こったエピソードにその時に感じたことを載せるのって、実はかなりなスキルが要求されると思う昨今でございます。面白いエピソードトークって脚色以上に何か情景が浮かび上がるしな。そこまで昇華させるプロセスに大事なのはその場で感じたことを理解する力が重要だと思うのです。現実、話がはずみますし。逆に何となくの情景を出汁に作るエピソードは何か薄味って印象ですねぇ。こちらも実体験w

 話を相当戻すと、全てを揮発させてくれるレベルの暴力的なカワイさは再生力の高いゴミエネルギーを粉微塵にしてくれると言いましょうか。
 その粉微塵にした後の空白の時間が無かったら今もなお迷宮を彷徨っていたんじゃないかなって思っておりまして。
 睡眠以外では恐らくそういった粘着性のあるメモリーをリセットする瞬間や機会って常に考えてしまっているが故か案外少ないものだと思うのです。さらに粘着性があるからか、寝る瞬間までずっと考えている。よく「モヤモヤ」といった擬音で表現されますが、実際であってみるとそんなかわいらしい4文字で表現できるものではない。
 自分が数学科出身で頭がバグるぐらい数式と向き合った経験が支えてくれているからか、発散性の高い方程式を見つめあった際の解が出るギリギリの境界条件をひたすら突き詰める作業に似ていると思うのです。ほんの少し条件変えるだけで様々な作用が働き、意図せぬ方向に行かないか不安でしょうがなくなってしまうと言いましょうか。今はそのあたりを組み合わせ論で探してくれる術があるので他のところで禿げ散らかしているのでしょうけど。
 ある種の突き詰め方が他人の主観の正解がわからないからか、自然科学から人文・哲学的になるとさらに厄介で悩みを超越して自問自答が始まり、結局寝れなくなると言いましょうか。お酒は確かに一瞬どうでもよくなるけど、結局考えてしまう。
 しかしそういったものを吹き飛ばしてくれる瞬間最大風速を体験することは本当に良いことです。「今日は良い一日だった。めんどいことは明日に持ち越そう」と思わせてくれる、ループ処理にウェイトをくれると言いましょうか。その時間がすごく大事だった。

 本当に人生、何がどのように作用してくれるかわからないものです。「消える時は好きなまま」という自分の心情は間違っていなかったんだ。看取るまで続けばベストではありますが、嫌いや苦手になる前に離れるという選択肢は本当に大事だなって思いますわ。嫌いになったエピソードって何か残るし、続いたら続いた分だけ歪むしなぁ。
 くだらない人生を歩み続けるアラフォーの人生経験談ではありますが、MPを回復させてくれる何かがあるってのはすごく重要なんだなって思ったのが2023年でございます。

 文脈やら主張やらはどうでもよく、ほろよいで気が向くままにキーボードを叩けたので満足です。
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ジョギングできる人は超人だ

2023-08-26 18:56:19 | 生活
 すさまじくどうでも良い事ですが、体が多少仕上がってきたので今週木曜日の仕事終わった後にジョギングにチャレンジしてみた。
 コース取りは近所の山でやってみましたが、5minで諦めたね。心拍は一瞬で170いくし、一瞬で足いてぇし。
 ペースがわからんとか走り方がわからんとか、それ以前に訳がわからない。

 「上りでやってみたのが悪かった」と仮説を踏んで下り2km程度はジョギングしてみたけど、下りであれば確かにできない訳ではない。
 が、結局心拍も上がるし足いてぇ。中負荷だ、、
 悟った・・・「ジョギングしている人はありとあらゆる痛みに耐えしのぐことができる超人なんだ」、と。前々から思っていたけどジョギングしている人はすごい。

 40km以上歩けても、5kmジョギングできる気がしない。
 1[w]休みなしで毎日20km以上歩くことは恐らくできるが、毎日5km追い込める人は訳が分からない。畏怖の念である。
 どうやったら走れるのだろう。戦友曰く「慣れやで」と仰っておられた気がするが、マジかよ。。
 何となくチャレンジして絶望して結局ウォーキングに戻る、というチャレンジ精神皆無のしおれたおじさんと化した。

 逆にウォーキングは結構好調で、本日クソ暑い中、9[min/km]を切るペースで40km歩けたので良いんじゃないかなと。
 体重もここ10年以上観ていない領域まで突入できたし、「心拍数見ながらひたすら歩き続ける」という自転車のLSDと全く変わらないことをやり続けている気がする。
 富士山麓に住んでいることだし、ウルトラウォーキングを目標にしてみようかなぁ。
 60kmは歩いたことあるけど、100kmは未知だ。どうなるんだろう、という興味。
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夏休み終わる

2023-08-23 22:14:29 | 生活
 半生でも指折りのゴミみたいな半年となった2023年。GWは最悪だったけど6月末からようやく徐々に潮目が変わり、夏休みはまぁまぁでした、という結果。

 ただ、その結果に至るまでも中々ありまして。まず、7月中旬にスピード違反で検挙されてしまう、というね。
 しかもカブで、でございます。ボケっと飛ばしていたら何か追い越し車線から早い何かがきたなぁ、と思ったら知ってるバイクでしたねぇ。
 「あっ、だめだこりゃ」と冷静に検挙されました。人生3回目になると冷静に対応できるのね。。100%自分が悪いのでおとなしく捕まる、というお話。
 検挙されて以来、信号無視やら煽り散らかしてぶっ飛ばしていく高級車を見るたびに「全員つかまっちまえ」という呪いをかけまくる昨今を過ごしております。110ccで捕まって何故大排気量でぶっ飛ばす天井人は捕まらないのだろう、という自分の振舞いは棚に置いておいてぐぎぎ、、、となっております。
 が、私は元気です。これでもGW~6月中旬近辺の精神状態よりはるかにマシですw

 夏休み直前にはそんなバッドイベントもありましたが、夏休み自体は中々な結果となったので良しと。
 予定は [ 東京のマイメンと酒を飲もう + 前回述べたアイカレさん関連 ]で埋め、中盤は戦友とツーリング的な何か、後半はダイエット、という計画でしたが、台風とちょっとしたトラブルで前半の目玉イベントアイカレさん観た後はひたすら酒 & ウォーキング。
 足が出来上がってきたので夏休みガンガン歩いていたらどうやら合計220km程度歩いたそうで。夏休み10日の内、結局引きこもっていた日が2日、3日間は東京でアイカレキャンペーンだった中でこの距離は中々。

 また今年は半端ない暑さである。体感として9時にはもうちょっとでも調子に乗ろうものなら即、体がオーバーヒートする感覚です。
 歩くときは大体5~6時間程度歩くのですが、2~3リットルは飲まなければやられるので、歩くだけでもちょいちょいお金がかかるというね。
 ガバ飲みしてもふらっとくる瞬間があるぐらい、今年の日差しと暑さは過去一じゃないか疑惑がある程度にヤバイ印象。
 これまでも夏でも自転車乗っていたり、それこそ歩き回って外には結構外に出てる & 熱中症対策 のノウハウは多少自信があるのですが、それらでは通じない程度に暑い。亜熱帯気候じゃん・・・

 という、代謝がバチバチによくなったのか、おかげで少しやせてきた気がする、夏休み楽しかったなぁ、筋肉痛が治らないなぁ、疲れがとれないなぁ、というただただキーボードを叩きたかっただけのオチ。
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8ガッツ

2023-08-03 02:06:41 | 生活
 今月初のK点越えビッグ寝落ちをかまして目が覚めた初老ありけり。あなかしこ、あなかしこ。

 今回の寝落ちは非常に高評価であります。まず寝覚めがよい。
 所詮寝落ちなのでまだ眠いと言えば眠い。しかし寝落ちの後に重要なのは眠気ではない。脳みそのクリア感なのである。寝落ち、もとい飲酒の素晴らしいところは「すっきりしても正解、ボコボコになっても正解」である。が、肉体的には当たり前ながらすっきりしたいものである。
 その評価が一番わかる瞬間は寝落ちした直後に神髄がある、と考えている。寝落ちは字面のごとく、意識せずにぶち落ちることである。そして飲酒は日々のちまちました事象を脳内から追い出し意識を吹っ飛ばしてくれる、魔法の行為であります。
 そして脳みそが働くのを辞め怠くなり、布団に横になった瞬間にバチっと寝落ちする、というのがMy 黄金ルート。黄金は「おうごん」も良いけど「こがね」の方が粋に感じるのは何故だろう。

 それはどうでも良いとして寝落ちから先ほど目覚めましたが、その瞬間が素晴らしかった。肉体面では眠気と怠さは取れていない。むしろ飲酒する時点でそんなものは求めていない。しかし脳みそのクリア感がここ最近では最高峰であり、ついついキーボードを叩いている、という現状であります。
 寝落ちするときは寝る瞬間の前提条件として無意識なので、部屋の電気を消さずに堕ちることが多い。
 状態としては瞬断とシャットダウンの境界をまたいだ状態と言いましょうか、メモリやキャッシュがクリアされる領域とされない領域がある、中途半端な再起動とでも言いましょうか。そんな現象と捉えると、都合の良い記憶がクリアされたり、どうでもよいゴミみたいな情報がまぁまぁ綺麗に消去された後の目覚めが実現できた際、「おぉ、ええ寝落ちやんけ」につながっている、と考察しております。

 一般的にはベストではないのは理解している。「飲酒せずにバチっと快眠できて超すっきり目覚め」が心身共に最高の状態である。それはわかる。
 しかし「浮世は絶望」と考えているのが悪いのか、自分は何故か肉体の疲労だけではどうもうまく寝れなくなってしまっている。さすがに24時間以上起きているときは5h程度は寝れるけど、40km以上歩いたり、ばちぼこに肉体を痛めつけても最近2h程度しか寝れないのである。
 恐らく老化もあるが+αとして、肥溜めと化した精神状態も大きいのではないか、と考えている。最近妙に色々考えることが多い。
 若いときより物事を細分化する能力は(整合性は別問題として)高くなっているはずなので、単純化できるようになっているはずなのに、単純化した後に前に戻って混沌とした世界に足を突っ込んでいき、「あ、結局これ無理ゲーじゃね?」みたいな、ある種の袋小路に迷い込んでしまったなぁ、と感じる時が多くなっている。
 そうなると大体「無理ゲーだから考えるのを辞めて記憶から消し去り、Let's 昏睡」という訳にはいかない、といった不器用がこんにちわしてくる。そしてリセットするために悩みはじめ、最後はぐっだぐだに中途半端に寝る、といったのが飲まない日の睡眠の大まかな流れである。
 こうなると飲酒からの寝落ちの方が高いリラックス効果が得られる可能性がある、という算段があってもいいのではないか、と仮説が生まれる訳です。
 また、寝落ちは上記のように「都合よく記憶がクリアされるか否か」のギャンブル要素もあるため、ある種のわくわく感もある訳です。
 現時点は脳みそが大変クリアなので「大勝」である。大勝って「おおがち」も良いけど「たいしょう」の方が耳障り良い印象有り。

 それはどうでも良いとして、ついつい寝落ちのすばらしさについて綴ってしまった。
 酔いは覚めてしまった上に眠いので、中途半端に寝てみようと思います。本日の昼間は睡魔との戦いになりましょう。
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