車輪とビール

次の人生を模索する日々

オタクはしんどいの連続だ

2024-07-01 20:13:02 | 生活
 表題の件「人生はそんなもんだ」と勝手に丸めるけど、色々思い馳せると「絶対お子さん養っているご家庭の方が圧倒的にしんどいだろう」と思い馳せている路傍のオタクですこんばんわ。
 表題の件、ふらふらとオタクを嗜んでいる時のまぁまぁ重めの「あぁしんど」となる事象が発生した際はついついいじけてしまう訳ですが、結局趣味の一つでしかなく。ぶっちゃけそれ以上も以下もない。
 ただ、そこに人間関係のようなものが絡むとそうそう簡単に改廃も難しい訳で。

 趣味は趣味なのでしがらみにならない程度に人間関係を広めないようにしているのが自分のコンセプトであります。レースやウォーキングは完全に一人で嗜めるから大変良い。
 突き詰めるとレースは気に入らない采配がめっちゃあったり謎の金を巻き上げられるシーンやピットウォークでは強引な人間(特にレースクイーンやキャンプ目当ての輩)に出会ったりはあるのだけれど。
 そういった意味だとウォーキングは完全に孤独。せいぜい水分買う時にお店に入るぐらいで何もない。そして靴を買うぐらいで大体完結するからお金もかからない。歩いているときは色々考える時間に宛がえるし、心身共に悪くない気はする。とはいえ、結局疲れるけれどもw(6月は合計560km歩いたらしい
 昔嗜んでいた自転車も結局孤独なので楽でしたね。一時期の自転車ブームでゴミ中年の逆走輩や自動車の運転マナーの劣化によってもう個人的に怖くて乗らなくなってしまったのだけれども。

 何だかんだで自分の人生で嗜んできた趣味は基本孤独でも楽しめるものが多いのですが、そう考えるとドルオタだけは少し特殊なポジションかもしれません。
 というのも、完全に人間が人間を応援するだけの趣味である、と考えている。ただそれだけなのに様々な欲望が渦巻く訳で。それは自分然りである。
 その欲望も色々考えていくと様々な形があり、ベクトルも複雑で、そして全てを考慮することも無理で。

 その根幹は個人的には模倣理論が一番しっくりくるかも。端的に「全ての人間の欲求は比較からくる」という理論でございます。
 「自分は県外だから遠い」とか「争奪戦に敗れた死にそう」とか「そこまでではない」とか。これら全て自分の内側からくるというより何かどこかと比較して「うらやましい」という妬みのエネルギーから発生するものである、というのは薄々気づいてはいる。しかしそのエネルギーは粘り強く簡単に消化できるものではない、という側面と演者さんを第一に考える、という面のせめぎあいに精神がガリガリ削られていく瞬間はどうしても発生してしまう。
 「前者さえなくなれば・・・」と良く思うのだけどやはりどうしてもその瞬間はある時発生する。何なら「演者さんを第一に考えるのであれば全財産ぶち込んだ方が応援になるよ」というゆるぎない現実的な事実と「趣味も良いけど人生はバランスだよ」の狭間も難しい。
 バランスを考えると結局妥協せざる負えないところが生まれる。
 しかしその逆も然りで、妥協しないように突っ走るとどうしても埋めようのない物理の差という現実に突きつけられ、結局その差は埋めることは出来ず絶望し、結局精神が疲労困憊していくのが見えてくる。
 オタク歴はそこそこ積んできたけど、この問題は未だに己の中での解が見つかっていない。

 演者さんは人生をすり減らして日々是精進されておられるのですが、それをマネジメントする事務所の方の戦略や時代のトレンド、ちょっとした運やそれこそ金で差がどんどん広がっていく現実はとてもしんどい。そう考えると芸能はバシッとつかむチャンス、つかみきるまでのプロセスが本当にヤバイ世界だ。
 オタク側は(人生かけている人もいらっしゃるとは思うけど)行きつくところは趣味でしかないのに、ついつい様々な欲が発端で色々な精神状態にさらされる。
 しかし、結局それをどのように消化するかは己であります。認知の仕方と言いましょうか、少しゆがむとすぐ状況のせいにしてしまったりするものなのだけど、突き詰めると己の欲望がゆがんでいることに気付けるか、で大分変る。
 それを認知できたとしても消化するのがこれまた違うプロセスとメソッドが必要なわけで、これが大変難しい。

 結局自分の場合は「自分はみみっちい生き物でしかない」というどことなく哲学的な解釈に陥りがちであります。
 では科学的に解釈しようとしたらどうだろうか、と考え「カワイイとはなんぞや」といった旨について綴られている書籍をいくつか読んでも結局科学的な答えがまだ突き詰められていない、という結論が多い気がする。
 結局のところ、人生の体重が様々なベクトルから乗っかかってその規模や境遇で大きく変わり過ぎるところなのかもしれない、とふと。
 食の文化などと同じで歴史や地域性、表現や注目しているところなど、もう一言では言い表せない、しかしこの多様な文化は日本独自の感性から発展したものなのかもしれませんね。

 つまりドルオタは楽しい瞬間はそれはそれで最高として、欲望から生まれ嫉妬に近いこの心の何かが発生した際の代物をどのように落とし込むか、このプロセス自体が趣味として成立するものなのかもしれません。

 本日体調不良により、天井を見つめながら頭に浮かび整理したものを綴っただけの駄文。
 最近社会学と哲学の読み物をちょいちょい読んでいるのですが、何か物事の解釈に少しバリエーションが増えた気がする。
 どのような趣味を嗜んでも最終的に行きつくのは勉強になるのかもしれません。
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