3月は遊び過ぎたが故か、または年男パワーがふんだんに発揮されたが故か。
関東在住のリアルオタク先輩と遊び散らかし飲み散らかしひたすらはじけまくったが故なのか、先週頭に「あ、これヤバイ反動来るわ」とふと思ったところ、やはり来てしまいまして。何て言うか、そこそこ勘良いのでこの手は当たると言いましょうか。
もちろん「おぉ、予想は外れた!よかった!」ということもあるので打率は5割ぐらいではありますが、5割はなかなか当たる方っしょ。
そして今回は「ちょっとヤバイ」ではなく、「なんか超流れが悪そう」という悪寒に近い何かを直感的に感じまして覚悟していたところ、金曜夜あたりからすごいのが来た。
自分なりの評価指標は基本は外乱(?)を受けて変化する「身体面」、「精神面」、「運みたいなもの」の3つで考えておりまして、日常的に何か一つピリッとしないなんてのは当たり前、どれか一つ超良いだけで「えぇやん」となりますし、どれか一つ微妙以下の日ですら「まぁ良くはなかったな」ぐらいですが、さすがに3つの内2つが絶望的にどうしようもないのは中々無い。
今回は何故か「身体がどうしようもないレベル、精神もほぼ枯渇した上に運も超悪い」、という数年に一度のビッグウェーブが来ました。
気分的に落ち込むわけでもなく、一つのどうしようもないものに引きずられ、その引き波に1つも飲まれ、最悪「なんかいいこと見つけれれば」と周りを観ても何て言うか最悪とでも言いましょうか。同時多発的に色々発生しましたねぇ。人間なのでまぁバイアスはあるとしても、だ。
まぁそんなすごいのが来た中で「昔だったらどうしたのだろう」と考えたわけですが、何か昔の場合は「この状況をどうにか打破する方法を」という謎のもがきでさらに落ちていたのかもしれないな、とふと思い出しまして。
もう少し突き詰めると「この状況を打破するには頑張ればなんとかなる」という根拠のない行動に起因して好ましくない応答が入ってくることでさらにぶち落ちていたのかも、という内省もありまして。
また、最近よく読んでいる神経関連の本にもあきらめとは異なりますが、「あるがままを受け入れる」ことの重要性も記載があったなと。
若干体に異変を抱きかかえつつ、精神を突き詰め力尽きた金曜。
という謎の前振り。1行でまとめると「何か辛い流れだったから先週末はなるべく引きこもってみた」、という流れ。
金曜夜から劇的に体調不良だったため酒はそこまで飲めず、土曜朝は二日酔いは残っていなかった。が、雨天で食料もなかったので買い物に車で行くも信号はほとんど赤信号で停車するわ、コインランドリーの乾燥機は空いていないわ、スーパーの駐車場もパンパンだわ、と。
あきらめて過疎ってるスーパーのに行くも駐車場で謎の車両から側突されそうになるわ、矢印で右折しようとするも謎の行動で側突されそうになるわ、と。高々半径3km以内を移動するだけでこれ。
コインランドリーに関しては若干占いじみた面もありますが、これまでの人生では乾燥機目的で自分が行くと1つは超高確率で空いてたんすよね。逆に空いていなかったときはろくな一日にならなかった、というジンクス。まさにその通りですが、今回はその中でも指折りのヒヤリハット遭遇率。ドラクエ3の黄金の爪もびっくりの遭遇率だよ。
これまでの人生であれば「中指たてまくり、わーきゃー叫んでぶちギレて酒飲んで昏睡して終わり」が推察されますが、今回の私は一味違う。
昔「ブッダから学ぶ反応しないことの素晴らしさ」みたいな本を読んだことがありますが、まさにそれ。
そしてそこに最近学んでいる神経科学の面からの根拠も積み上げられ「そんなときはできることを淡々とこなすことが最適解である」、を実践してみた。
逆説的に「体調、精神共にきつい時にできることを淡々とこなす以外は何もしない」とも言えまして。
実践してみた結果、たどり着いたのは「無味乾燥」。ドーパミンもアドレナリンもほぼ出さない週末となりましたな。
何かしんどいので「おいしい」も「まずい」もない。何かしんどいので「たのしい」も「つまらない」もない。すべての感情を「こんなもんだろ」と帰着させた週末。「クソ眠い」には全く逆らえませんでしたがw
しかし、ネットを遠ざけると意外に集中して穏やかに過ごせるのね。人や外部の情報とほぼ関わらず、ほとんどの事象に「こんなもんだろ」を2日続けると何故か「普通は新鮮なのか?」という謎の自己啓発も芽生えまして。
従来は「普通は幸せである」とでも言いましょうか「何気なく生活できる日々は悪くないのかもしれない」、と思ってましたがそうではなく、「何気ない生活」は幸せ過ぎるからできることなのかもしれない、という観点が芽生えまして。
というのも、「こんなもんだろ」に全て結論づけると「あ、脳みそ使わなくていい。めっちゃ楽」という体験もできまして。
普通に過ごす、それだけでも脳みそのエネルギを結構すり減らしているのかもしれない。少し詰めると状況がよろしくないときは疲れるものですが、その最中に「ちょろっと考えて行動起こして打破を試みる」という行為は脳へのエネルギが不足している状況でさらにエネルギを使うが故、バランスが崩れて余計悪化する、という面もあるのかもしれない。
しかし、解決しなければ脳がエネルギを使い続け、疲弊するスパイラルに陥る可能性が高くなる、という構図も推察される。
従来に比べても瞬間最大風速は比較的高めのしんどい状況でしたが、今回は既に「前日よりまし」という潮流に乗りつつあるのを感じている。
結局淡々とこなす、それはある種の強力なツールであり、省エネなのかもしれない。
という、単にキーボードをたたきたかった中年の、ただただとりまとめのない文章。
関東在住のリアルオタク先輩と遊び散らかし飲み散らかしひたすらはじけまくったが故なのか、先週頭に「あ、これヤバイ反動来るわ」とふと思ったところ、やはり来てしまいまして。何て言うか、そこそこ勘良いのでこの手は当たると言いましょうか。
もちろん「おぉ、予想は外れた!よかった!」ということもあるので打率は5割ぐらいではありますが、5割はなかなか当たる方っしょ。
そして今回は「ちょっとヤバイ」ではなく、「なんか超流れが悪そう」という悪寒に近い何かを直感的に感じまして覚悟していたところ、金曜夜あたりからすごいのが来た。
自分なりの評価指標は基本は外乱(?)を受けて変化する「身体面」、「精神面」、「運みたいなもの」の3つで考えておりまして、日常的に何か一つピリッとしないなんてのは当たり前、どれか一つ超良いだけで「えぇやん」となりますし、どれか一つ微妙以下の日ですら「まぁ良くはなかったな」ぐらいですが、さすがに3つの内2つが絶望的にどうしようもないのは中々無い。
今回は何故か「身体がどうしようもないレベル、精神もほぼ枯渇した上に運も超悪い」、という数年に一度のビッグウェーブが来ました。
気分的に落ち込むわけでもなく、一つのどうしようもないものに引きずられ、その引き波に1つも飲まれ、最悪「なんかいいこと見つけれれば」と周りを観ても何て言うか最悪とでも言いましょうか。同時多発的に色々発生しましたねぇ。人間なのでまぁバイアスはあるとしても、だ。
まぁそんなすごいのが来た中で「昔だったらどうしたのだろう」と考えたわけですが、何か昔の場合は「この状況をどうにか打破する方法を」という謎のもがきでさらに落ちていたのかもしれないな、とふと思い出しまして。
もう少し突き詰めると「この状況を打破するには頑張ればなんとかなる」という根拠のない行動に起因して好ましくない応答が入ってくることでさらにぶち落ちていたのかも、という内省もありまして。
また、最近よく読んでいる神経関連の本にもあきらめとは異なりますが、「あるがままを受け入れる」ことの重要性も記載があったなと。
若干体に異変を抱きかかえつつ、精神を突き詰め力尽きた金曜。
という謎の前振り。1行でまとめると「何か辛い流れだったから先週末はなるべく引きこもってみた」、という流れ。
金曜夜から劇的に体調不良だったため酒はそこまで飲めず、土曜朝は二日酔いは残っていなかった。が、雨天で食料もなかったので買い物に車で行くも信号はほとんど赤信号で停車するわ、コインランドリーの乾燥機は空いていないわ、スーパーの駐車場もパンパンだわ、と。
あきらめて過疎ってるスーパーのに行くも駐車場で謎の車両から側突されそうになるわ、矢印で右折しようとするも謎の行動で側突されそうになるわ、と。高々半径3km以内を移動するだけでこれ。
コインランドリーに関しては若干占いじみた面もありますが、これまでの人生では乾燥機目的で自分が行くと1つは超高確率で空いてたんすよね。逆に空いていなかったときはろくな一日にならなかった、というジンクス。まさにその通りですが、今回はその中でも指折りのヒヤリハット遭遇率。ドラクエ3の黄金の爪もびっくりの遭遇率だよ。
これまでの人生であれば「中指たてまくり、わーきゃー叫んでぶちギレて酒飲んで昏睡して終わり」が推察されますが、今回の私は一味違う。
昔「ブッダから学ぶ反応しないことの素晴らしさ」みたいな本を読んだことがありますが、まさにそれ。
そしてそこに最近学んでいる神経科学の面からの根拠も積み上げられ「そんなときはできることを淡々とこなすことが最適解である」、を実践してみた。
逆説的に「体調、精神共にきつい時にできることを淡々とこなす以外は何もしない」とも言えまして。
実践してみた結果、たどり着いたのは「無味乾燥」。ドーパミンもアドレナリンもほぼ出さない週末となりましたな。
何かしんどいので「おいしい」も「まずい」もない。何かしんどいので「たのしい」も「つまらない」もない。すべての感情を「こんなもんだろ」と帰着させた週末。「クソ眠い」には全く逆らえませんでしたがw
しかし、ネットを遠ざけると意外に集中して穏やかに過ごせるのね。人や外部の情報とほぼ関わらず、ほとんどの事象に「こんなもんだろ」を2日続けると何故か「普通は新鮮なのか?」という謎の自己啓発も芽生えまして。
従来は「普通は幸せである」とでも言いましょうか「何気なく生活できる日々は悪くないのかもしれない」、と思ってましたがそうではなく、「何気ない生活」は幸せ過ぎるからできることなのかもしれない、という観点が芽生えまして。
というのも、「こんなもんだろ」に全て結論づけると「あ、脳みそ使わなくていい。めっちゃ楽」という体験もできまして。
普通に過ごす、それだけでも脳みそのエネルギを結構すり減らしているのかもしれない。少し詰めると状況がよろしくないときは疲れるものですが、その最中に「ちょろっと考えて行動起こして打破を試みる」という行為は脳へのエネルギが不足している状況でさらにエネルギを使うが故、バランスが崩れて余計悪化する、という面もあるのかもしれない。
しかし、解決しなければ脳がエネルギを使い続け、疲弊するスパイラルに陥る可能性が高くなる、という構図も推察される。
従来に比べても瞬間最大風速は比較的高めのしんどい状況でしたが、今回は既に「前日よりまし」という潮流に乗りつつあるのを感じている。
結局淡々とこなす、それはある種の強力なツールであり、省エネなのかもしれない。
という、単にキーボードをたたきたかった中年の、ただただとりまとめのない文章。