車輪とビール

次の人生を模索する日々

選挙ちょっとだけ追いました

2024-07-09 17:54:53 | 生活

 この惰性で課金してまで延命している本ブログ。意味があるか無いかは知らん。だって惰性ですもの。

 キーボード叩く際のフォーマットも何か変わっており、気に入らないから旧verにしたらしたで改行の間が気に入らず悪態をついている時代遅れのおじいちゃんですこんばんわ。やはり長年「これはこれでしょ」と勝手に思い込んでいるものが自分が把握していないタイミングで気に入らない方向に変わっているとムムムとなってしまうのは人類の性なのでしょうか。

 これあれなのかな。全てhtmlで記載するしかないのかな、ひょっとして。それならそれで古の記憶を呼び戻すという、おじいちゃんリハビリをするだけなんだけど。

 それこそ思うように動かなくなった際は「全て定義すればいいんだろ?」という学びの縁文化であったり、ある種のイキりがふんだんにちりばめられた悪態であります。何故か年を取ると「後で修正すればええやん」が少し後になりがちだ。

 もうこの歳になると「せっかち」何てかわいいものではなく、これまでの人生の成功体験だと思い込んでいる、ある種のまやかしまで解決方法を半自動で見出しに行くから厄介だ。どうせすべての物事に対して「めんどうだからこれならしょうがねぇな」で落ち着くのであればそこから2,3回もすれば「これはこれでありかも」になる未来なのにねぇ。

 

 このタイミングでプレビュー観てみたけど、案外気にはならないのでhtmlという太古の記憶を呼び起こす必要が無いことを悟り胸をなでおろしておりますが、何か気に入らないときは何故かエスカレートするんだよなぁ。

 まぁ、、、表題の件で感じたことなのですが、自分は静岡県に住んでおりまして。正直大学時代の長野県レベルで今の居住地域は気に入っている。南海トラフが来てそれに触発されて周りの火山が活性化したら逃げ場が全てなくなる、将棋で言うところの穴熊みたいな地域ですが、山あり谷あり駿河湾ありで、徒歩圏内に日本の良さがふんだんに味わえる、とても好きな地域である。

 そんな印象はありますが日本は結局東京中心に物事が決まり、勝手にそれが既定路線になり、(メディアの力を借りて)生活に浸食してくる訳で。まぁ今の時代、どこに住んでいてもツールを目に居れたらそういう情報がなだれ込んできてうなだれるメカニズムが働きやすくなる、ある種の自我が情報で決まる時代に既に突入している、と感じている訳ですが。

 

 そんなゴミ論を表明したい訳ではなく話を戻すと自分が期待した結果に対しては2連敗である、というのが正直なところである。自分も良い年なのでマニュフェストをさらっと眺めたりして「この中であればこの人が長であれば弟のお子さん時代に没落していない確率がマシだろう」という評価指標で推す人を決めているのだけど、結局「死ぬまでにこのまま延命すればどうでもよい」勢と「切り取りに踊らされる」勢と「ただのタレント推し」勢といった色々な勢力の各々の推しが各々を蹴落とすための感情論が渦巻いて結局ごちゃついてリソーセスで大敗する、という図式に感じたなぁ、というのが率直な感想であります。

 感情論になればなるほどリソーセスになる、そしてリソーセスが一番強いのが「老人」だから絶望するしかない、という図式をいつまで繰り返すのだろう、というよりいつまでも繰り返されるんだなぁ、というのを感じた昨今であります。

 だって自戒を込めて申し上げると老人になればなるほど感情論に傾くのですもの。最近昔より分別着くときと感情に押し流されるときの両面を感じる。若い時はもちろん感情が一番重要でしたが、おっさんになると感情より理論、そして数字の意味のなさを理解して自分なりの「平等」や「フラット」などという耳障りの良い単語を並べる訳ですが、結局感情に負ける瞬間は少なくない。振り返ると「自分の劣化」を感じて止まない。

 

 やはり老人が多い世の中で民主主義は限界なんじゃないかな、と思う。どこかの超有名人がおっしゃっていた「自由と民主主義は両立しない」というのは本当にその通りだなぁと。

 言い分は誰もが自由を振りかざしているように感じますが、結局自由を奪いあう民主主義になり果てている昨今、以外の感想は無いねぇ。ましてや若人も本当に若いうちから「比較」にさらされまくる昨今では、若いうちから知性を身につけないとそりゃ、、、ねぇというのはしょうがない印象がある。

 

 自分の家庭環境や世の中のSNSのトレンドを覗いたり、ちょっとした本を読んで思うこととして結局最後は「知性」しか生き残りに役立つものはないんだろうなぁ、とふと思いましたまる

 と言いつつ、アイドルオタクは感情丸出しで現場を楽しんだ方が圧倒的に面白いので困ったものです。両立が重要なんすかねぇ(バランス取れたら気苦労してない

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オタクはしんどいの連続だ

2024-07-01 20:13:02 | 生活
 表題の件「人生はそんなもんだ」と勝手に丸めるけど、色々思い馳せると「絶対お子さん養っているご家庭の方が圧倒的にしんどいだろう」と思い馳せている路傍のオタクですこんばんわ。
 表題の件、ふらふらとオタクを嗜んでいる時のまぁまぁ重めの「あぁしんど」となる事象が発生した際はついついいじけてしまう訳ですが、結局趣味の一つでしかなく。ぶっちゃけそれ以上も以下もない。
 ただ、そこに人間関係のようなものが絡むとそうそう簡単に改廃も難しい訳で。

 趣味は趣味なのでしがらみにならない程度に人間関係を広めないようにしているのが自分のコンセプトであります。レースやウォーキングは完全に一人で嗜めるから大変良い。
 突き詰めるとレースは気に入らない采配がめっちゃあったり謎の金を巻き上げられるシーンやピットウォークでは強引な人間(特にレースクイーンやキャンプ目当ての輩)に出会ったりはあるのだけれど。
 そういった意味だとウォーキングは完全に孤独。せいぜい水分買う時にお店に入るぐらいで何もない。そして靴を買うぐらいで大体完結するからお金もかからない。歩いているときは色々考える時間に宛がえるし、心身共に悪くない気はする。とはいえ、結局疲れるけれどもw(6月は合計560km歩いたらしい
 昔嗜んでいた自転車も結局孤独なので楽でしたね。一時期の自転車ブームでゴミ中年の逆走輩や自動車の運転マナーの劣化によってもう個人的に怖くて乗らなくなってしまったのだけれども。

 何だかんだで自分の人生で嗜んできた趣味は基本孤独でも楽しめるものが多いのですが、そう考えるとドルオタだけは少し特殊なポジションかもしれません。
 というのも、完全に人間が人間を応援するだけの趣味である、と考えている。ただそれだけなのに様々な欲望が渦巻く訳で。それは自分然りである。
 その欲望も色々考えていくと様々な形があり、ベクトルも複雑で、そして全てを考慮することも無理で。

 その根幹は個人的には模倣理論が一番しっくりくるかも。端的に「全ての人間の欲求は比較からくる」という理論でございます。
 「自分は県外だから遠い」とか「争奪戦に敗れた死にそう」とか「そこまでではない」とか。これら全て自分の内側からくるというより何かどこかと比較して「うらやましい」という妬みのエネルギーから発生するものである、というのは薄々気づいてはいる。しかしそのエネルギーは粘り強く簡単に消化できるものではない、という側面と演者さんを第一に考える、という面のせめぎあいに精神がガリガリ削られていく瞬間はどうしても発生してしまう。
 「前者さえなくなれば・・・」と良く思うのだけどやはりどうしてもその瞬間はある時発生する。何なら「演者さんを第一に考えるのであれば全財産ぶち込んだ方が応援になるよ」というゆるぎない現実的な事実と「趣味も良いけど人生はバランスだよ」の狭間も難しい。
 バランスを考えると結局妥協せざる負えないところが生まれる。
 しかしその逆も然りで、妥協しないように突っ走るとどうしても埋めようのない物理の差という現実に突きつけられ、結局その差は埋めることは出来ず絶望し、結局精神が疲労困憊していくのが見えてくる。
 オタク歴はそこそこ積んできたけど、この問題は未だに己の中での解が見つかっていない。

 演者さんは人生をすり減らして日々是精進されておられるのですが、それをマネジメントする事務所の方の戦略や時代のトレンド、ちょっとした運やそれこそ金で差がどんどん広がっていく現実はとてもしんどい。そう考えると芸能はバシッとつかむチャンス、つかみきるまでのプロセスが本当にヤバイ世界だ。
 オタク側は(人生かけている人もいらっしゃるとは思うけど)行きつくところは趣味でしかないのに、ついつい様々な欲が発端で色々な精神状態にさらされる。
 しかし、結局それをどのように消化するかは己であります。認知の仕方と言いましょうか、少しゆがむとすぐ状況のせいにしてしまったりするものなのだけど、突き詰めると己の欲望がゆがんでいることに気付けるか、で大分変る。
 それを認知できたとしても消化するのがこれまた違うプロセスとメソッドが必要なわけで、これが大変難しい。

 結局自分の場合は「自分はみみっちい生き物でしかない」というどことなく哲学的な解釈に陥りがちであります。
 では科学的に解釈しようとしたらどうだろうか、と考え「カワイイとはなんぞや」といった旨について綴られている書籍をいくつか読んでも結局科学的な答えがまだ突き詰められていない、という結論が多い気がする。
 結局のところ、人生の体重が様々なベクトルから乗っかかってその規模や境遇で大きく変わり過ぎるところなのかもしれない、とふと。
 食の文化などと同じで歴史や地域性、表現や注目しているところなど、もう一言では言い表せない、しかしこの多様な文化は日本独自の感性から発展したものなのかもしれませんね。

 つまりドルオタは楽しい瞬間はそれはそれで最高として、欲望から生まれ嫉妬に近いこの心の何かが発生した際の代物をどのように落とし込むか、このプロセス自体が趣味として成立するものなのかもしれません。

 本日体調不良により、天井を見つめながら頭に浮かび整理したものを綴っただけの駄文。
 最近社会学と哲学の読み物をちょいちょい読んでいるのですが、何か物事の解釈に少しバリエーションが増えた気がする。
 どのような趣味を嗜んでも最終的に行きつくのは勉強になるのかもしれません。
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選挙も終わり

2024-05-28 18:54:16 | 生活
 先日グダグダと綴った静岡知事選が幕を閉じました。結果は鈴木氏の勝利。
 自分は東部を気にかけて頂けたように感じた大村氏にベットしましたが、結果は東部地区でもほんの少し優勢というレベルで、静岡西部の圧倒的支持を受けて鈴木氏が当選されました。おめでとうございます。

 ぶっちゃけ、自分が知事選の誰に票を入れるかの決定的な評価は「自分にとって有利になるか」しかない。選挙全般と言えば全般ですが、地方選は顕著に見える。西部の皆さまが鈴木氏に投票するのは必然だと思いましたので当たり前。
 ただ今回思ったのはあれだけ第三者視点で勝手に感じたのは「これまでの県政に不満があれば大村氏、特になければ or 金落としてくれそうであれば鈴木氏」って評価でした。中部はこれまで従来の県政に対してそこまで嫌悪感は無い投票結果だったと思いますが、清水区を襲った豪雨のゴミ対応で一気に支持者が減った印象を持ってまして。
 そこを踏まえて一気に風向き変わるのかなぁ、と思いましたがそこまでのインパクトもなく。
 東部は東部であれだけないがしろにされてもそんなにインパクトもないってのを感じた、が正直な心境です。

 さらに大村氏の肩書に「現与党支持」の3文字が付いておりまして。これが決定的な差になったのではないか、と推察しております。
 「〇〇党にろくな奴はいねぇ」というステレオな意見がものすごい根強い印象を持つエピソードをかなり目の当たりにしましたね。

 自分はこのローカルの場ではっきり申し上げますが、地方分権は本当に重要だと思っております。何でもかんでも国政を基準に評価するのはもう民主主義でもなんでもなく、完全に「中央集権」を勝手に思い込んだ方々が勝手に首を絞めてそのシナリオに乗ってるだけにしか思えない訳で。中央集権を毛嫌いしている方々が謎の認識で中央集権を加速させているこの構図、どうなんだろう。
 まぁこれも民主主義なのでしょうがないですが、そのエコーチャンバーを想像以上に感じ、いよいよ「民主主義はある程度以上の知識が無いと成り立たないね」と思った今回の選挙でございました。これはこれで勉強になりましたのでよいですが。
 自分が知らない & 公表されていない点で鈴木氏が従来とは異なる県政の方向性を打ち出して頂いているのであれば全く問題はない。そのシーンを感じたら期待する。どっちつかずであれば結局そんなもん、自分の居住地東部ガン無視であれば東部の選挙不参加者や見極めれなかった地方住民のミス、以上も何もない。これだけ辛酸をなめた上でも、だ。しかしこれも民主主義ですし。
 ただ繰り返しますが、そこに国政は1mmも関係ない。そんな東京で決まる物事以上に地方の文化と利権は根強い。だから地方分権という名の「ある程度は現場で統治頑張ってね」という権限を与えているとしか思っていない面もある訳で。とある広島のとある限界集落に足突っ込んでいた市の議会を観れば明らかじゃんって。

 別に誰が当選しても「マシになったらいいなぁ」以上は当初から無いので当選前後で絶望も希望も何もないですが、ココから15年は「これまでの15年とは大きく異なる」のは自明なこの国の状況でそこそこ注目して情報を追った選挙の結果は結局情報の質ではなく、その場のトレンドには勝てませんでした、という虚無な結果だったのかな、という印象。
 ただ繰り返しますがそれも民主主義。自分は投票に行ったので良いことも悪いことも自由に意見を申し上げる権利を得たので良いかと。
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徒然に

2024-05-23 03:10:50 | 生活
 適当に思ったことをつぶやきより少しつぶやきたいときに発動する電子裏紙。
 自分は静岡県という日本有数の「高速道路同じ景色で長い、新幹線飽きる長い」で同じみの都会から脱出するも都会に行くも怠くなりがちな国に住んでおりまして。個人的には不要と考えていますが、リニア問題で全国各地の謎の人達から目の敵にされる地域でも有名であります。
 前知事もよく聞いてみるとリニア自体への否定はしていないんですけどね。さらにトンネルと水脈の関係は想定外の事が発生している、という過去の事例も複数ありますし、あの事例基本泣き寝入りですし(この記事熟成している間にある地域で井戸枯れが発覚したとか)。
 何より静岡以外の地域でもトンネル工事では想定以上の岩やら騒音問題が起こっているという現実もあり、実は [ 静岡 - JR東海 ] 間である意味湧き水でワーキャー騒いでいたことで問題の目線を逸らせていたので、案外Win-Winの関係だった面もあるのではないか、と思っています。まぁ、リニアはどうせ回収できないんじゃないかな、ぐらいにしか思っていないため個人的にはどうでも良いですが。
 東京-大阪は後20年以上必要そうですし、その頃には自分も老いぼれているはずですので今以上にどうでも良い問題になるかも。

 話はそれましたが静岡県は転換期を迎えておりまして。地方分権の頂点である知事選挙が過熱しております。
 個人的には、ですが本ブログでも似たようなニュアンスで主張した気もしますが、政治で一番自分の生活に対して影響がでるのは地方の単位だと思っています。かなり本気で思うこととして、ある区分は様々な要因で大小あれど、良い街を作れるか、は将来に対して大きな影響と意味を持つものだと思っています。やはり地域が第一で、ある程度住みやすいであったり、何か心地よい街は良い人生送りやすくなると思う。
 そして地域そのものの発展の決め手はやはり県政だと思う。特に自分が住んでいる静岡の右側は東京のお金が入ってくる、結構利権が複雑怪奇な地域で県政からは放置気味で有名。元知事様の問題発言後にSNSでは「これだから静岡県民は~ww」的な声も数多く目に入りましたが、静岡県は大きく3つの地方に分かれており、浜松と静岡に対しての力の入れようと東部の放置っぷりを「西高東低」と皮肉るぐらい地域住民の県政に対しての期待は異なります。いや、異なっておりましたといった方が今は正しいですかね。
 熱海の山のメガソやら沼津の高架問題でまざまざと見せつけられました。「こいつ何にも考えていねぇ」と。特に沼津に関しては結構発展遅らせた算段も出ておりまして。沼津市街地の慢性的な渋滞やらそれに合わせた再開発やら、素人が少し考えても影響度は大きい事業だと思うのですが。
 まぁ、だからと言って立ち退きやらなんやら問題は出てましたが、リニアより簡単な問題にしか見えませんでしたわ、自分の視点では。

 それはそれとして、県政に期待するのは東部地方で加熱している再開発の推進ですね。何でもかんでも再開発を望む訳ではないですが、これからバンバン人口が減りまくるのはほぼ自明でリソースが無くなってからでは投資ができなくなる問題が発生するのではないか、と考えています。
 これからは地域差が勝手に広がっていき、、、みたいな。伊豆半島をすこし考えてみると東伊豆は東急の血が入ってくるのである程度観光を基軸に発展させる術がないわけではない、とは思いますが西伊豆は県の政策がいるよなぁ、と。伊豆全体かもしれませんが、地方インフラ問題がダイレクトにのしかかってきそうな地域ですし。
 「どうにかするんだろうけどどうにもならない可能性はあるかもしれない」みたいな、不安のようなものはついて回ると言いましょうか。
 かといって全てのインフラを自治体単位で維持するのも恐らく無理になっていく。どんどん解決が狭まっていき、、、というような算段も消滅可能性自治体という形で先日出されたかと。それはそう。街は枯れたら戻すのはものすごい時間と労力が必要になりますし。今の日本ではそもそも簡単に人は増えないでしょうし(ここに関しては独身の自分が言うのもあれですが)。
 また、ここから15年が人口分布上どんどん厳しい分布になっていく、というのももうわかりきっていることで、ここから何を投資して・・・というより何を切り捨てるのか、と何をするのか、が重要なのかなぁ、とおぼろげに考えています。
 東京都知事選もいよいよ過熱して参りましたが、東京一極集中の解体は心の底から期待している。地方側がいくらハブや受け入れ態勢を作ったところで人が定住しなければ街は枯れていく。それはさすがに国と都知事が連携しなければ無理でしょうに。プロジェクションマッピングで遊んでいるようなお方では維持に走って得たお金で遊んでいるようにしか見えず、無理だわ。
 と言うことで、どうしようもない地域はどうしようもないとして、どうにかできそうな地域や復興の起点となる地域を盛り上げるための一つの材料として、再開発を通じて昭和っぽい街からちょっと良い街になると良いなぁ、と思っておりまして。アーケード撤廃などで商店街の見た目が変わるというのは実際ちょっと寂しいですが。

 大体上記のような読み取りをしている前提で今回の静岡県知事候補者を眺めてると、結局「現状維持」や「あれやります」が多い。金無いしこれから人減るのに?そんな候補者には投票しないね。
 また、選挙の声みたいなものを見ると地方分権という言葉を知らないのか「○○党だから、、、」とかしっちゃかめっちゃかな意見も少なくない。
 自分が年を取ったのか、今日日情報収集しやすい時代でも結局政策やら何やりたい人なのか以上に自分の見た範囲の「印象」でしかないんだな、と今回改めて強く思いましたわ。
 そう思う一つの事例として、静岡県のインフルエンサーの方が「今回は本気で知事選と向き合ってみた」という旨でドキュメンタリーチックなブログを発信されているのですが(ものすごく素晴らしい記事です)、候補者から応援する人を実質決めたタイミング辺りからすんごい嫌がらせやゴミみたいな意見が大量に来たとか。これも生々しいドキュメンタリーとなっており、大変興味深く拝見させて頂いております。

 この現状はまさに社会学の本やら某有名な教授が仰るような「阿保も参加できるのが民主主義の弱点」の一つの形なのかなぁ、と徒然に。タレント議員乱立や議員様ご自身やそれ系支持者やらスポンサー関連の情報操作(≒ひっくるめて既得権益)ももうどうしようもないですね。
 全部次の世代が自分の時代以上に苦しくなる気しかしないのですが、、、「今さえ良ければ」世代が作った社会で起こっていることですな。100年後や何やらに社会の教科書に「ゴミ世代が作った負の遺産」とでも評されるのでしょうか。それまでに日本が残っていればいいけど死んでるから答えを知ることは無いでしょう。

 まぁ、選挙の投票率を上げるには「周りが選挙に行くこと」が最大の政策とも聴いたことありますし、そんなもんかもです。
 まとめとしては「なるようにしかならん」と頭を真っ白にして何も考えることなく死に向かっていこうと思います。
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エモいとは

2024-05-17 21:27:57 | IDOL
 居住地静岡県の知事選が活発となっていまして。これからの15年をどうしのぐのか、という視点を考えるととても重要な選挙となりますが、それはそれで感じたことがあるので別としましょう。

 まぁ、、、あれです。中年独身アイドルオタク視点のブラウザログでございます。
 世間では「推し活」なんて言葉がありますが、結局人間何かにすがりたい、ということなのでしょうか。
 ネットが完全普及する以前であればそれは自分の中の信仰であったり、宗教などがすがる対象だったと思います。結局死ぬ生き物で先を考えた時の不安であったり、己の劣化に対してのある種の恐怖であったり。朽ち果てる瞬間に何か「悔いのないように」であったり、「朽ち果てた先も安らかに」であったりを願う気持ちが出るのは自分自身も思ったことはありますし、哲学と神経/脳関連の何かの学問のコラムで読んだことがある気もします。内容的には養老先生の本かインタビュー動画でそう感じただけかもしれませんが、勝手につじつまは合ってる気もしてるような気もしています。そんな気もしているのでそういう気なんでしょう、というゴミみたいな天丼はどうでもよいとしまして。
 宗教と聞くと色々ありますが、「何か徳のようなものをマイレージのように積んで幸せになろう」というものではなく、ある種の哲学的な「生きるや死の意味を通じて自己の存在の意味を突き詰める」といった真理の捉え方のような説法を聴くと「なるほどなぁ」となることが多かったりします。
 理論として興味深く耳を傾けると「今を頑張ろう」となる気になる。昔から続いているってそういうことなのかなぁ、とおぼろげに思うことがあります・・・なんの話だ?

 そうでした、宗教ではなくidle(偶像)の方でした。ネットが普及したことで人間の情報源が大分変り、AIの進化で触れ方が変わり、何にすがるのかのメカニズムが変わったんだろうなぁ、的なことを言いたかったんだそう言えば。
 今やインターネットは当たり前になり、AIはバンバン活用され、嘘か誠かは別に自分に合った同じような情報がひたすら流れ込んでくることで信じてしまうメカニズム(多様性の科学は良い本だったな)に当てられるのが当たり前の時代ですが、それによって人が信用するものと情報処理の許容量とけだるさのバランスで、結局現実で気が良くなるものが盛り上がっているよ、現実で身の回りで良い気にさせてくれるものを「推し」と呼び、大小表現の姿形は在れど「推しをある種の崇拝する」というものの一つの表現方法として「推し活」という言葉がはやっているのかなぁ、と勝手に思っております。「宗教に比べて「リスクが少ない」という印象を受けやすい、といった面もある」というような旨もどこかで読んだような。
 まぁ要するにカジュアルにすがれる点が今の時代にマッチしてる、というまとめになるのでしょうか。確かに世の中不安過ぎてお手軽じゃないとやっていられない、という気もしてますが。そういった背景を踏まえ、ビジネスライクに打ち出した造語なのかもですな。
 実際コンテンツもインフラも「推しなら消費は止む無し」であります。最近では自分のはまっているものまで「推し」という単語に含まれて使われてるところから、受動側だけではなく、能動側の意味合いも含まれているような。実際オタクは能動的でなければやっていられないですし。
 修行を「受動的と見るか能動的と見るか」の違いに通づるものがあるのでしょうか。含まれる意味合いのベクトルと深さは全く異なるものだと思いますが、目的に対する行動という面だけを考えた上で能動と呼べるのであれば通づるものはある?
 オタクの度を過ぎた能動はただの浪費でしかなく、時間とお金が吹っ飛ぶだけですが、、、まぁ何事も節度と敬意を踏んだ付き合い方を心掛ければ結果も良いものとなるものです。

 通常以上に紆余曲折つづら折りを経た上記は前提としまして、表題の件。
 今一番応援しているアイドルカレッジ 兼 おむすびコロコロの高橋媛さんソロステージが開催される、ということでまたまたまたまた年休消化を盾に5/15 PM-16は会社を合法的に休み拝観して参りました。
 ソロステージはアイカレさんの事務所であるブルーローズさんが主催する定期公演という、客側は基本理解者のいわばホームグラウンド。失敗しようが受けがよかろうが、勝手に良いところを見つけて楽しむ気立てが全体的にある、という特徴がある気がしています。
 それ故か、普段見れない組み合わせやチャレンジングなセトリといった、ちょっとしたプレミアム感を感じるイベントですね。地方民にとっては参加するハードルは高いですが、、、まぁその内地方民救済ライブみたいなものがあると良いねぇ。現実としてはもうふた盛り上がりは必要でしょうか。
 高橋さんのソロステは昨年7月に予定されてはいましたが、延期されて8月に開催された記憶は大変新しい。個人的にはとても素敵なステージでしたが、ミスを大変悔やんでおられた様子は伺えた。ファン側ができることは応援しかないのだけど、気になっていました。

 じゃぁ今回はどうだったのか?完全にパワーアップされておられた。開催の少し前に体調を崩されておられたようでお休みされておりまして、体調は完璧ではないようでしたが、、、何よりですね。表情が大変明るく衣装映えも超よろしく、曲調にもバチっと合わさり、会場もノっており。ポジティブな面が全面にでた、大変素敵ステージでございました。
 前回のリベンジ、という訳でも無く、ただただ前回からさらにパワーアップした魅力を会場に魅せつけた、良いステージでしたねぇ。

 さらにぶっ刺さった要素はセトリでございます。2曲披露された訳ですが、その内の一曲がまさかのエビ中さんのラブリースマイリーベイビー。
 曲の前振りで全てがつながった瞬間、頭抱えた。

 ラブリースマイリーベイビー。この曲は本ブログでも感情先行の思いを何度か綴った思い出があるエビ中唯一無二の永遠の推し、りななんが一番お気に入りだった曲であります。ソロバースデーで会心の笑顔で披露された記憶は今でも頭の中に残っております。そして、それ以外にもファミえんやら何やらかんやら、、、
 そんなただでさえ思い入れが大変強い曲を今一番応援している子が「好きな曲」と称してソロで披露して頂ける・・・久々に脳みそが多方面からぶん殴られた感覚でしたねぇ。
 曲がまず好き、数々の素敵シーンのフラッシュバック、りななんの上記会心の笑顔と歌声、そして今目の前で起こっているいっちゃん好きな子の最高過ぎる現実・・・全ての良い思い出が6次元で脳を揺さぶりまくる感覚。
 ここまでは経験したことが無かった、、、最近老化が激しく「過去のシーンを思い出してニヤニヤするのは年取ったからや」と決めつけて居たのですがそれだけではなかった。良い思い出は残しておけばいいし残しておくことで今がブーストされる時もあるなんて知らない世界だった。
 実はおぼろげに「エビ中はやっぱ曲好きだしライブ行こうかなぁ」とぼんやり思っていたぐらい、今も曲を聴いている程度には好きなGrp。

 ルーツは薄いかなぁ、なんて思っていたのだけど。そして披露されたら披露されたで狂喜乱舞するのだろうか、何て思っていたのですが、まさかこんなにポジティブな感情がバチボコに揺さぶられて「感謝、うれしさ、尊さ」の全てが入り乱れる、表現できない胸の高まりをこの年で味わえるとは。

 曲が終わったとき、心で理解した。「あぁ、これがエモいなのかぁ」と。ラップ好きなのが原因なのか、感動が混じった上で昂ったときに「エモいやん」なんて表現したりつぶやくことはこれまでもあったものの、それはそれでエモいのだろうけど。そのワンランク上の、とんでもない量のポジティブな思い出と目の前に広がる5感が躍動する体験、それらを処理しきれない頭と心。そして時定数遅れてとてつもない余韻の重圧。
 こんな黄金体験ができるとは思ってもみなかった、、、

 最近ある程度遊んできたが故か「アイドルオタクはこういうもんだ」と思っていた節がありましたが、ダメだね。まだ知らん世界は無限にあるわ。
 結論として「楽しむならちゃんと体で楽しんだ方が良い」と〆。
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