豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三つれづれ日記

2016年11月17日 08時48分27秒 | 日記
( Vol 1514 ) 東京オリンピックの施設選択には 施設をシンボル化という考え方があるのではないか


オリンピック委員会の森氏は 選手本位で 施設選定を行ってきた というが それは真意であろうか

森氏特有の 論じ方ではないだろうか

統計手法に似ている 方便を使っているように思う

統計では 全体の数量が減少した中で ある種のものが変化していないとき 占める割合は 変化前より 割合が増えたと捉えて 示すことがある

これは 正しいか

ここには 意図をもって 統計を使っている

割合は 増えてみえているが 数量的には変化がない

正しくは 全体が減少しているが これだけは 変化がない と示すべきなのであるが

変化がないことを 別の形で 問題として捉え 取り上げようとする 表現手法


このトリックと同様なことが 政治家たち 権力者たちは 方便で使う

森氏も 同様である


選手本位という言葉は 聞こえがいい しかし 実態は違うはずである


今までの経緯から判断すると 東京オリンピックの施設は 国力を示す機会として捉えていたのではないか

そこには 権力者 と 利権が 多く絡んでいたのではないか


いま 日本の財政は 疲弊している その中でも 莫大な金額を投入して オリンピック施設を作るべきか 考えなければならない


今後のオリンピックにおいての施設建設費用のありようを 提起する機会に捉えることではないだろうか


ただ単に シンボル化することは 考え直さなければならないのではないか


そのようなことから 今回の オリンピック施設選定 建設は どこか歪んでいるのではないか


選手本位 というのは 詭弁でしかない


利権と 見栄 で決定していくようでは 情けない


オリンピック開催 について 基本から 考えてほしいものである



方便で 話を はぐらかしては困る





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする