豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三つれづれ日記

2016年11月15日 07時27分25秒 | 日記
(Vol 1512 ) 福島原発事故避難児童のいじめに対する手記からみる いじめ対策


報道によると 横浜市内に避難してきた児童は 転校先の小学校において いじめを受けていた 旨の手記を発表

このことは 転校生は 多かれ少なかれ いじめを受ける状況にある

このいじめをどうなくすか

いじめは 今始まったものではないが いじめ ということを報道 意識始めたのは まだ浅い

ではどうしたら いじめをなくすことができるか


学校内外に いじめ110番という 受け皿を作る

訴えがあった時 被害の大小に限らず 学校側 教員は 真摯に向き合う

いじめられていると思う生徒の 逃げ場 受容 する場 の確保


ということが必要ではないか

現行でも 何らかの対応はとっているようであるが それは 管理する側にとって都合のよい体制のようである


手記の中では 先生に相談しても 取り合ってくれなかった と述べている

このことからしても いじめられている生徒に対する ケア は不十分である


いじめる 生徒 はいじめをどう考えるのか

いじめと遊び カツアゲ を 別物と考えている

また 自分の優位性を示す行動としている

先生が 学級の中で訴えても 先生の真意を受け取らず 優位性を示すことばかりを考えているため いじめの認識すら持たない

集団における行動では 2割が積極的行動 6割が追随型行動 2割が無関心行動 と分けることができる

この中のうち いじめる側になるのが 無関心行動の2割である

この2割の生徒は 自己中心的にあるといえる

故に 先生の話には 傾聴という姿勢はとらないために いじめるということの意味も 先生の意図も理解しない




いじめている子供に 注意しても いじめてはいない 遊んでいるだけだ

いじめかどうか決めるのは 他人じゃない 自分だ と真面目になって いう始末である

これが いじめるものの実態


どう いじめ という定義を 具体例を挙げて 理解させるか

いじめる側が 遊びと思っていることが いじめ になる ということを 事例を事細かく 挙げて 示す必要があるのではないか


特に 学校教育現場では 先生の目の届かないところで 事件は起きていることを 重視すべきではないか


学校外においても 一般人は 見かけたら注意するなり 通報する という姿勢が必要ではないか


いじめをなくすには 大人子供すべての人が 訴える 注意する 監視する ということが大事ではないか


受け皿として 警察 学校 教育委員会 などに いじめ通報受信システムを 構築する必要があるのではないか


いじめる人間をなくすには 非難する目 が必要である


どこにでも 見ている目がある という 意識をさせることではないだろうか









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