先日有名シェフが、年収300、400万の人には、高級レストランの水の値段は云々、と発言し、謝罪しているが、
これは、しかし、残念がら事実であろう。
まだ、日本では、見下した表現だとして、「謝罪」が当たり前のような社会だ。が、
そのうち、黙って置いて行った水が800円もすることに抗議すらできない社会になるだろうと思う。
なぜなら、それが国際化だからだ。
脱法ハウスのことが報道された。
二畳半で、事務所として賃貸しているという。そこを住居として利用している。
脱法を前面に出すことは、実は間違いで、ここに住居を構え無ければ生きてはいけない現状に焦点を合わすべきだろうと思う。
脱法は、確信犯で、褒められたことではないが、一方ではそれでも有難さを感じる人々もいる。
ところが、住居なら窓が必要だの、消防法がどうだの、と脱法にばかり目を向けている。
これには、なにかイヤな意図を感じる。
これも、脱法が悪い。法律に合った部屋を提供するべきだという、
いかにも貧民層を思慮した論調ばかりになりだろう。
なぜなら、それがグローバル化だからだ。
以前からグローバル化が叫ばれてきたし、政権もそれを推進してきた。
確かにグローバル化はすすんでいる。
社長と労働者の給与の格差は100倍になった。
可哀そう、この感覚は、日本人にはなじまない。
バカにすることと、同じ意味だとだれもが熟知しているからだ。