フルートおじさんの八ヶ岳日記

美しい雑木林の四季、人々との交流、いびつなフルートの音

静かな夏の一日 倉本聡「歸國」を観る

2010-08-14 | 日記

今日も申し分なく暑い。庭にはピンクのゼフィランシスが咲き始めた。午前中は、撮りためてきた写真の整理を行う。昨日は、「アダージョの森」の「樹木」を整理した。今日は「草花」の整理をする。これが、思っている以上に手間取ってしまって、ホームページにアップできたのは「サ行」までだった。

午後はフルートの練習。ロングトーンを丁寧にやる。「毎日の練習」はパターン3。テンポ92が、少し遅く感じるようになってきた。ようやく、イギリス旅行のブランクが解消できたかな。

「ロマンティック・エチュード」、NO15「糸巻き車」は、どうしても何箇所かミスしてしまう。何とかノーミスで(演奏の内容は別にして)気持ちよく終わりたいものだ。NO16は中間部を集中的に練習する。

バッハは、ポロネーズのdoubleの運指、パディヌリの流れを練習した。あまり変わらない。

八ヶ岳フルートアンサンブルの「カルメン」を全曲流す。やはり第1楽章が一番厄介だ。スタッカートがパリッと音が出ない、高音のトリルの運指が厄介だ。第2楽章は、1オクターブを上げる演奏の練習をする。それ以外は、つかえるところを何度か練習した。

時間があったので、「フルート名曲31」からアトランダムに吹いてみる。フォーレの「シシリエンヌ」「子守唄」。両曲とも、聞かせどころが難しい。あと「カルメン間奏曲」「モーツァルト アンダンテ」を昔練習したことを思い出しながらやる。「アンダンテ」が、どうもうまく吹けなかった。


夜は、倉本聡「歸國」を観た。舞台で行われた演劇をテレビドラマ化したものである。

深夜の東京駅、最終電車が出た後に一台の軍用列車が入ってきた。そこに乗っていたのは、第2次大戦の末期に南の海で玉砕し、そのまま海に沈んだ英霊達。
「彼らは今の日本を見てどう思うのか」、これがこのドラマのテーマだ。

ドラマを見た後の感想を率直に言うと、このテーマは、あまり掘り下げられてはいなかったのではないか。大宮上等兵(ビートたけし)の妹が浅草で踊り子をして息子を育て、その息子大宮健一(石坂浩二)が東大教授に出世するや親を見捨ててしまった、というくだり。「恥を知れ」と大宮上等兵が大宮健一を殴リ倒すシーンがハイライトだった。

逆にドラマを見ていて、戦前の日本と現代の日本が妙に繋がっているのを感じた。
大宮上等兵兄妹が東北から浅草に出てきたのは「両親を亡くし、親戚をたらいまわしにされた」生活から脱却するためだが、それは、家族・親戚の絆の崩壊と、1950年代の東京への上京風潮そのものではないか。戦前の浅草が、まるで現代の道頓堀のような感じだったのも、面白い。

経済的豊かさ、便利さ・速さの追求、部屋中・町中・国中に溢れる物、飽食グルメブーム、家族、近隣関係の崩壊、独居死、道路建設と土砂崩れ、進む自然破壊etc 取り上げるべきテーマはいくらでもある。

今夜も八千草薫が出てきた。このドラマで、ホッとさせるシーンだ。音楽学校でチェロを習っている木谷少尉(小栗旬)の恋人役だった。戦後は独身を通し音楽の教師をしてきた。彼女は「最近の子供は、歌を忘れたカナリアのよう」というセリフを語る。

秋吉部隊長が山梨県小渕沢の旧家を訪ねるシーンもあれば、東京美術学校(現東京芸大)に在籍していた画学生の作品が展示されている、信州上田の戦没画学生慰霊美術館「無言館」も映し出された。山梨、長野の地名が出るとれしくなる。

倉本聡は、秋吉部隊長(長渕剛)が最後に言った、汗を流して身体を動かす「貧幸」という生活スタイルを私たちに伝えたかったのであろうか。

倉本
「あれよあれよという間に、経済と科学文明の中で己を見失って狂奔している今の日本人の姿を見たら、一体、彼らは何を想うのか。怒りと悲しみと絶望の中で、ただ唖然と立ち尽くすのではあるまいか。…

その六十余年を生きて来て、そうした変化にずっと立ち会ってきた僕ら自身でさえ、
この急激な変量の中で唖然と立ちすくんでいるのだから、六十余年の空白を経て浦島太郎のようにこの国に戻り立った英霊たちの驚愕は、想像するに余りある。

これは鎮魂のドラマであり、怒りと悲しみのドラマでもある。もう先のない僕らの世代が、一つの時代の小さな証人として遺しておかねばと思い、書き下ろしたものである。」

テレビドラマと対比して「舞台の劇は、英霊讃美に傾かず、説教臭さに染まず、重い投げかけがあった」(朝日「天声人語」)