フルートおじさんの八ヶ岳日記

美しい雑木林の四季、人々との交流、いびつなフルートの音

カレル・チャペク「園芸家の一年」

2012-12-28 | ガーデニング

チェコの作家であり、ジャーナリストのカレル・チャペック(1890~1938)、「ロボット」という言葉を作った。彼は、熱心な園芸家としても知られ、300種以上の植物を庭で育てていた。この本は、園芸家としてのカレル・チャペックの1年=12カ月を、ひと月ごとに、章を立てて、園芸作業などを軽妙に面白く綴っている。

例えば、

1月 園芸家は石のように固く生気を失った土地の中で凍えている根っこのこと、乾いて氷のように冷たい風に骨の髄まで吹きつけられている枝のこと、秋に植物が自分の全財産をしまい込んだ凍りついている蕾のことを思う。

3月 蕾が開き芽が出てくるのは、そのときが満ち、自然の法則にかなったからだ。そこで謙虚に人間の無力さを悟る。「忍耐こそ智恵の母」ということが理解できる。

4月 芽吹きだけではなく、植え付けの月でもある。やがてある日のこと170本もの苗や苗木が我が家に集合し、土の中に植え込んでくれと望む。その瞬間になって園芸家は、自分の庭をしげしげと見わたし、植える場所がどこにもなかったことを知り、たちまち心を沈ませる。

5月 ロックガーデンに高山植物を咲かせることの喜び、美しさ。恵みの雨。

12月 「園芸家の生き方」

  私たち園芸家は未来に対してい生きている。バラが咲くと来年はもっとよく咲くだろうと考える。そして10年後にはこのトウヒの若木が1人前の成木になるだろう。その10年が過去のものになってくれさえしたら。50年後にはこのシラカバの木々がどんなになっているか早く見たいものだ。
真正の最善のものは私たちの前方、未来にある。これからの1年、また1年は成長と美を加えていく。
神様のおかげで、有難いことに私たちはまたもう1年未来に進むのだ。

カレル・チャペックはドイツのゲシュタポから狙われていた。新聞で共同作業をしていた兄は、ナチスの強制収容所で亡くなり、ゲシュタポが自宅に踏み込んだときには、既に彼は、その生涯を終えていた。


師走は、「合唱」を聴こう

2012-12-27 | フルート

 年の瀬になると、大掃除や忘年会もさることながら、やはりベートーヴェンの「第九」を聴きたくなってくるものだ。そんなことをつぶやいていると、「第九」の演奏会に合唱で出演するする方がいて、よろしかったらお越しになりませんか、という運びになった。

少し前の話だったのが、いよいよ、今日、その演奏会を迎えた。場所は福島のシンフォニーホール、時間は19時開演。

折角、梅田近辺に出かけるので、昼過ぎに家を出る。妻は伊勢丹でゆっくりウィンドウショッピングをしたいというので、梅田で2時間ほど別行動を取る。私は、早速ヨドバシカメラに行こう。

私のような旧来の携帯は「ガラパゴス携帯」と呼ばれているらしいが、スマートフォーンに代えるとどうなるか話を聞く。色々あるが、機種代70000円ほど、月々の使用料金が6000円超になるらしい。要は外出中もインターネットができるのがメリットだが、ほとんど外出しない私には、それだけのコストをかける価値がどう考えてもないので、今回は見合わせることにする。そのうちに、料金が下がってくるのを待とう。

パソコンはどうか、今使っているDELLのノートパソコンの躯体にガタがきていて、そのうち壊れるという不安が付きまとっている。windows8になったということもあり、新しいのが欲しくなった。売り場を見ると、ASUSのS56CMが値段も安くいいかな。デスクトップではMacの一体型の新しい機種(iMac MD093J/A)が、何ともいえずお洒落なのが気になる。

その後、夕食を済ませて、JR福島駅へ。開演15分前に会場のシンフォニーホールに到着。

演奏会は1部と2部に分かれている。1部は、福田祥子ソプラノ、角田和弘テノールでプッチーニの「蝶々夫人」より、有名なアリアの演奏があった。「合唱」の前に、歌曲を聴いたのは初めてで、非常に楽しい前菜だった。この二人は「合唱」でも独唱した。

いよいよ待ちに待った「合唱」が始まった。第1楽章の、神秘的で力強い動機、軽快な第2楽章は管楽器の躍動が楽しい。一転して、天国を思わせる第3楽章の静かで美しい旋律。それが、終わるといよいよ第4楽章だ。喜びの歌が、コントラバス~実に美しいヴァイオリンに移り、力強いトゥッティとなる。

バリトンが「友よ、この調べではなく、声を合わせて歓喜に満ちた調べを歌おう!」と呼びかけると、満を持していた総勢210名の合唱が始まった。この場面はいくら聴いても鳥肌が立つ。その後の男声合唱の荘厳さ、女声合唱の清澄さ、怒涛のフィナーレ。

現田茂夫(ソプラノの佐藤しのぶの夫)の指揮は、きびきびしていて大きく、見ていても美しかった。オーケストラもよくまとまっていた。(管楽器にやや不満を残したが)鳴りやまぬ拍手に応えた、「蛍の光」のアンコールが、胸にしみる美しさだった。

「合唱」はやはりいい、来年もまた聴きに行こう。

 


ご近所忘年会

2012-12-25 | 人々との交流

 今日は、ご近所の方々との忘年会だ。集まったのは、50代後半~70台前半の元気な「元若者」達4夫婦8名。ご婦人がたは昨年清里の拙宅までお越しいただいた方々。ご主人方ともガーデン・バーベキューやカラオケに行ったりしている間柄だ。

会場は、家からは少し離れたとある創作料理の店。あまり大きくない店なので、他に一組の客が入って、今夜は貸し切りとのこと。

フィーリングカップル4対4で座ろうとしたら、いつも逢っている人が正面に座るのはいかがなものか、ということで、席を入れ替えてから乾杯に移る。残念なことに女性陣が運転手となっているので、それに合わせて、女性の皆さんはお酒を飲まずに、お茶で乾杯した。

 

それでも、あたかも酔いが回った人たちのごとく、声高らかな談笑が続く。こういう場では男は少し寡黙なるのはいたし方がない。何と言っても先ずはご近所のホットニュースで、どこそこに建った新しい家の話。
その後は、定番の孫の話。孫が来なければ、如何に平安で且つ経済的か。それが終わると、もちろん健康とダイエットの話が続く。こんなところに来てワイワイ言えるのも健康であるからこそであるが、ダイエットが進むのはかなり難しいであろう。

それがひとしきり盛り上がると、趣味の話に移る。
貸農園をされている方の冬の農作業の話。これは是非とも耳を傾ける必要がある。というのは、やっている方は「よくぞきいてくれた」と目を輝かし、育てている野菜を片端から指折り数えるのである。冬野菜がずらっと並んで、みなさん「フムフム」。

あるいは書道を習い始めた方の苦労話、水墨画をやってられる方は、いずまいを正して「個展をやりましてね」というと、一同「へー」と驚く。私のフルートは、形に残すことができないので説明のしようがない。未だ止めずに続けている、ということだけはお伝えした。

会がそろそろ終わりかけの頃、「この忘年会だけを楽しみにしてきた」とのつぶやきが漏れると、それなら、去年のように、またご一緒に旅行に行きましょうか、ということになった。それも話だけではなく、私たちの日程に合わせますよ、ということになり、早速来年の旅行日程の検討が始まった、これで「生活の目標ができた」と喜びあったところで、会はお開きとなった。


雨の御堂筋でB級グルメ会

2012-12-21 | グルメ・クッキング

 今日は、夕方から、恒例の「B級グルメ会」がるので出かける。
生憎途中から冷たい雨が降り始めた。落合場所の淀屋橋に出てくると、かなり強い雨が降っている。御堂筋のイルミネーションが雨の歩道に反射して、これはこれで、いい感じになっていた。

そういえば、ずっと前に ♪こぬか雨降る御堂筋♪ というような歌があったな。

雨の中をしばらく肥後橋方面に歩いたところに、今夜の店があった。そんなに広くはない店だ。この店の売りは食べ放題の「蒸し豚」。せいろの上に野菜を載せ、その上に豚肉を乗せて、下から蒸して食べる。あっさりしているので、いくらでも食べたくなってくるのがいい。

飲み放題・食べ放題なので、せいろのお代りや、焼酎のお湯割りをどんどんやろう。思いっきり飲んで食べてもなんと、3000円なのだ。驚きの価格である。
今夜集まったのは、この秋に清里の煙突掃除を手伝ってくれたメンバーだ。確かに、奇麗に煙突を掃除してくれたので、薪ストーブの火付き、燃え上がり方、弱火にしてからの燃焼時間の長さなどがよくなったような気がする。

今年一年のいろんなことをあれやこれや話しながら、「来年もまた煙突掃除に行きましょう」と言ってくれたのが嬉しかった。

この店の面白いのは、せいろの下の鍋には出汁が入っていて、せいろを食べ終わった後、その出汁でラーメンを作るということだ。そのラーメンが「締め」にはぴったりで、満ち足りたお腹と「適度な酔い」が回ってきた頃お開きとなった。


紫の上が逝く 林望「謹訳 源氏物語 七」

2012-12-20 | 濫読

第七巻は「柏木」「横笛」「鈴虫」「夕霧」「御法」「幻」の六帖である。

源氏の幼馴染で友人の柏木=前太政大臣の(亡妻 葵上の兄)の腹違いの息子、と源氏だいの正妻の地位にある女三宮との間に不義密通の若君が生まれ、源氏の懊悩が深まる。そのことに悩み抜いた柏木は、病にかかり、若くしてこの世を去る。女三宮は、出家する。

源氏の息子=左大将は、柏木がいつも持ち歩いていた横笛を一条御息所(柏木の妻=落葉の宮の母)から貰い受ける。これは、もとは陽成院もので、式部卿の宮が秘蔵していたが、柏木が子供の時から素晴らし音色で笛を吹いたので、贈り物として柏木に授けられた由緒のある横笛である。左大将は、その名笛で「盤渉調」(ばんしきちょう)の小手調べの小曲を吹く。

「横笛の調べはことにかはらぬを
             むなしくなりし音こそ尽きせね」

(この横笛の調べは、なにも昔と変わったこともございませんが、亡くなられたあの君の吹く音はもう聞くことができず、わが泣く音ばかりは尽きせぬことでございます。)

その後、左大将が夕霧と呼ばれて、落葉の宮に言い寄る。最後は妻として迎えるなど、色好みで若いころの源氏を彷彿させる。

最愛の紫上が、四年前、命にかかわる大患に苦しんだがその後小康をたもったものの、またも体調を崩し、懸命の加持祈祷が行われる。14歳のときに源氏に嫁いできた紫の上には子供がなかった。正妻としての扱いがされないものの、美貌、穏やかな人柄、知性と教養で抜きんでている。

逝くものと送るものの歌のやり取りが、悲しくも美しい。

源氏の歌
「ややもせば消えをあらそう露の世に
             後れ先立つほど経ずもがな」

(ややもすると、みな無常の世に、誰が先立かを争っている露のような世の中に、
そなたとはいずれが先か後かわからぬけれど、いずれ間をおかず一緒に消えてゆきたいものだね)

紫の上の最後の歌
「おくと見るほどぞはかなき
             ともすれば風に乱るる萩の上露」

秋の日の、ほのぼのと夜が明けてくる時、紫上の命は消え果てる。源氏はその後の一年は紫上のことばかり考えて暮らす。師走には、昔須磨にいたときに紫上から貰った手紙を全て焼き捨てさせ、出家の意思を固める。