へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

NHKと民放

2007年02月05日 04時07分20秒 | Weblog
あるある大辞典、のデータ捏造、あれだけなのだろうか?。
そんな事はないはず。
あるある大事典以外の番組にも沢山あるはず。
今回の問題以外でも、放送局が直接制作するのではなく、孫受、ひ孫受と言うような会社が制作しているようでは、まともな物は出来ないのでは?。
民放の場合は、常に視聴率を意識しなければならない。
視聴率が低ければ、スポンサーが付かなくなってしまう。
スポンサーが付かなければ、放送局は経営が成り立たない。
それでは、どうすれば視聴率を上げることが出来るのだろう?。
答えは一つ、視聴者が喜んで見るような内容にすればいいのだ。
喜んで見る。
これがなかなか難しい。
たとえ学術的に貴重な映像でも、そのまま放送したのでは見てもらえないことのほうが多いのでは?。
以前話題になった、レッサーパンダ「風太」の立ち姿にしても、本当は、特別に珍しい物ではないのだが(NHKの番組で詳しく放送されている)、人気が出るように、話のもって行き方でどうにでもなるのです。
昨夜も、シロナガスクジラの貴重な映像が放送されていたが、これをそのまま民放で放送するとしたら、スポンサーは付くのだろうか?。
NHKの不祥事だけが問題視されているが、民放は大丈夫なのだろうか?。
NHKのニュース等で、アナウンサーが間違えたり、字幕が間違っていたりすると、たちまち抗議の電話が殺到するそうだが、民放ではほとんど無いと聞く。
この違いは何であろう?。
見る人の心の持ち方の違いだと思う。
私の場合、民放の番組を見るときは、完全に娯楽番組として見ます。
内容の信憑性は始めから問題にしていません。
自然や科学物は、視聴者が興味を引くような部分を強調(広い意味の捏造です)しているので、面白くありません。
それにしても、なんであのような下らない番組が作られるのだろう?。
喜んで見る人がいるから。
需要と供給の原理と同じだろう。
需要の有る所に供給がある、需要がなければ供給もないのです。
番組を制作した会社だけに責任があるわけではありません。
喜んで見ている、視聴者にも責任があるのでは?。
あの時、およそダイエットなど必要がないと思える、細身の女性が、カゴいっぱいに納豆を買うのを見ましたが、あれ以上痩せてどうするんだろう?、と思います。
やれ、○○がいい、××がいいなどと言って、一時的なブームで終わるものがどれだけあったことか。
ブームで終わるだけならいいのだが、健康を損ねたりしたら何の意味もなくなる。
私の義理の姉が健康食品に凝って、その結果体調を崩し、半年近く入院する騒ぎを起こした事があります。
安易に信じるととんでもない事になる事もあるのです。
見る側がもっと賢くならなければ、よい番組出来ないのでは?。
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