へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

今の時代に生きる幸せ

2010年08月18日 04時21分02秒 | Weblog
私は昭和17年の生まれであるから、終戦の時未だ3歳にしかなっておらず、当時(戦争)の事は全く記憶に無いのだが、最近とみに「今の時代に生きる幸せ」を実感するようになっている。
65回目の終戦の日(15日)に放送された「15歳の志願兵」と言うドラマを見た方は少ないかと思うのだが、このドラマを見るまでも無く、常に「この時代に生きていたならば私はどうなっていたのだろうか?」と言う思いに駆られてしまうのである。
この時代は「上官の命令は天皇の命令である」「お国のため」などと言う号令の元、あらゆる無理難題が押し通されていたのだが、これと同じようなことは現代社会でもまかり通っているのをご存知だろうか。
「まさか?」と思う方もいるだろうが、「上官」を「上司(上役)」に変え、「天皇」を「社長(経営者)」に変えれば全く同じ事になり、私が幾つもの会社を転々とした理由の多くが「上司の指示に異議を言う」と言う事が原因で、戦時中に上官に異議など言ったらどうなっていた事やら。
子供が戦争に対する疑問を言っただけでも「非国民!」と言われて迫害を受けるほどで、私のような人間が生きてゆくことなど不可能ではなかっただろうか。
しかし「今の時代」とは書いたものの、この「今の時代」は、「現在」ではなく「私が生きてきた時代」だということを書いておかなくてはいけないだろう。
つまり、私が生きてきた時代では「ある程度の年代になっても正社員になるチャンスがあった」と言う事で、上司と対立して退職しても新しい職は比較的簡単に見つかったのである(職を選ばなければの話だが)が・・・・。
しかし、今はどうであろうか・・・・。
「余りにも職を選びすぎる」と言う傾向も有るにはあるのだが、それを差し引いたとしても「職探しの大変さ」は目に余るものがあり、私など「路上生活者」になることは目に見えているだろう。
私より早く生まれた人は悲惨な戦争を体験し、私より後に生まれた人は、悲惨な戦争の苦労はしなくて済んだが「職探しや老後の暮らし」で苦労する事になり、何とも申し訳ないとは思うのだが・・・・、こればかりは自分で選ぶ事が出来ないのだから困った話である。
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