へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

「原爆投下の是非」について思うこと

2010年08月15日 03時04分13秒 | Weblog
広島・長崎に投下された原爆に関しては様々な論議がされているが、仮の話し「投下されなかった」としたらどうなったか考えたことがあるだろうか。
アメリカは「戦争を早期に終結させるために止むを得なかった」と言ってはいるのだが、その先の事まで詳しく触れる事は殆んどなく、「原爆投下の是非」ばかりが論じられている。
ここではその先の事に触れたみたいと思うのだが、それではなぜアメリカが「早期に戦争を終わらせたい」と考えたのかについても考えてみる必要があるだろう。。
アメリカが早期に戦争を終結したいと思う最大の要因は「ソ連の参戦」と考えるべきで、「日ソ不可侵条約」が守られていたなら原爆の投下も無かったのではないだろうか。
こう書くと「それではソ連が悪い」と言うことになってしまうのだが、必ずしもそうと決め付けりわけにも行かないだろう。
仮にソ連が参戦せず「原爆も投下されなかった」としても、当時の日本軍は「最後の一兵まで」と言う考えが基本にあり、アメリカ軍の本土上陸による「本土決戦」を視野に考えていた事を考えれば、「原爆投下よりもっと悲惨な状態」が日本中に起きていたのではないだろうか。
次に、ソ連が参戦した後も「原爆が投下されず戦争が続いた」と言うことを想定して考えて見ると、満州はすでにソ連軍の手に落ちており、やがては日本海側から日本を攻撃することになるだろうし、現実には北方からも北海道をうかがっている状態で、「アメリカ軍の本土上陸」どころか、「ソ連軍の本土上陸」と言う危機も迫っていた事を忘れてはいけないだろう。
そして、その先に待つ「北海道と東北がソ連軍の手に落ちる」と言うことも想像してみて欲しいものである。
実際は早期に戦争が終結した事により「アメリカの単独統治」と言うことになったのだが、仮の話し、ソ連軍が日本本土に上陸していたならば「米・ソ・中・韓四国の分割統治」と言う可能性も十分にあったことで、そのような事にでもなれば「日本の独立は不可能?」だったのではないだろうか。
現実にはアメリカによる単独統治だったため独立が認められ、時期は少し遅れたと言っても、「小笠原・沖縄の返還」も実現しているのだが、ソ連に奪われた「北方四島」の返還は未だに実現しておらず、「返還は夢のまた夢」と言った状態ではないだろうか。
このように考えてゆくと、広島・長崎に原爆が投下されなかったとしても、新たな問題として「日本本土にも朝鮮半島と同じ南北問題が発生する」と言うことも十分考えられることで、「被爆の悲劇」とは別の「悲劇」が起きていたと考えるべきで、どう転んだとしても「悲劇は起きていた」だろう。
このように考えて行けば行くほど、悪いのは原爆を投下したアメリカではなく、無謀な戦争をしかけ、「最後の一兵まで」と言う愚かな事を考えていた日本軍上層部が最も悪いのではないだろうか。
そして、そんな軍の暴走をとめる事が出来なかった日本国民にも大きな責任があると考えるべきだと思うのだが・・・・。
そして「戦争のない社会」を作りたいと思うのなら、最も最初にしなければいけないことは「一人一人の争いをなくす」と言うことだと思っている。
「戦争」とは、読んで字のごとく「戦い争う」と言うことに他ならず、国と国の争いの場合にだけ「戦争」と言う言葉を使い、それ以外の場合は「内戦・紛争・抗争・争い・・・・」などと使い分けているのだが、規模の違いで使い分けているだけで、その内容は「五十歩百歩」でしかなく、一人一人の争いがなくならない以上「戦争もなくならない」と私は思っています。
広島・長崎の人たちには申し訳ないのだが・・・・。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「井の中の蛙」たちの争い | トップ | 今の時代に生きる幸せ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Weblog」カテゴリの最新記事