へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

「電子図書」について

2010年03月28日 04時24分55秒 | Weblog
「携帯小説」と言うものが流行っているようで、それに続いて「電子図書」と言うものも普及してきているようだが、この事で「やがて紙で出来た本や新聞はなくなる」と言う時代が来るのであろうか。
新聞までもが「電子化」されようとしているが、私個人の意見としては「電子化されたら読む気にはなれない」と思っている。
この「電子化」は「デジタル化」と同じ事で、「アナログ=古い」と言う考え方が根底にあるように感じてならないのである。
「何でもかんでもデジタル化すれば良い」と考える人もいるだろうが、「功罪相半ばする」と言う言葉があるように、「デジタルにはデジタルなりに良さがあるが、アナログにもアナログなりの良さがある」と言う事も忘れてはならないだろう。
CDが出来た当初は「アナログのレコードは直ぐになくなる」と言われていたのだが、いざCDが普及してみると「どこかおかしい?」と言う批判が出、直ぐになくなるはずのレコードは今でも生き延びているのである。
また、少し前の話ではあるが、コンピューターの普及で「ペーパーレス時代が来る」と言われていたにもかかわらず、逆に「紙の消費量が増える」と言う不可解な現象がおきているのだが、これらの事を考えて見ると、電子図書や新聞の電子化が普及したとしても「紙で出来た新聞や本は必要」で、直ぐに無くなることは無いと思うのだが、仮の話として「無くなった」としたらどのような事になるのであろうか。
私は今こうしてパソコンを使っており、携帯電話も持っているから何とかなるかもしれないが、私の周りには「パソコンも携帯も持っていない」と言う人は結構いるので、これらの人は一体どうすればよいのであろうか。
「パソコンなどの電子端末を買えばよい」と思うかもしれないが、高齢などで「使うことが出来ない」と言う人は一体どうすればよいのだろう。
これは笑い話のようだが、最近新しいテレビに買い換えた家での話である。
近所の人から夕方突然私の家に電話がかかってきて「電気屋さんの電話番号がわからないので電気屋さんに電話をして欲しい」と言うのである。
故障の原因を聞くと「買ったばかりのテレビが映らなくなった」と言うのである。
早速電気屋に電話をして修理を依頼してあげたのだが、翌日電気屋から電話があり「映らなくなった原因はリモコンのボタンの押し間違い」で、新しいテレビのリモコンのボタンが多すぎてどれを押したかわからなくなってしまい、元に戻す事が出来なかったことが原因だったのだそうである。
この人は「地上波のテレビ以外見ない」と言う事で、地上波の番組であれば「古いテレビのリモコンでも大丈夫」と言う事で、新いリモコンは使わず「今まで使い慣れた古いリモコンを使う」と言うなんともおかしなことになってしまったのであるが、私だって時折操作を間違えて「アレ?!」と言う事は珍しくなく、このパソコンにしても携帯にしても「機能の多くは使い方がわからない」と言うのが正直な話なのです。
ついでに言うなら「デジタルは人間的な温かみが無い」と言うのに対して「アナログは人間的な暖かみがある」と思っているのだが・・・・。
コメント
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