へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

群盲象をなでる

2010年03月13日 03時22分52秒 | Weblog
何時もの事だが、NHK総合で「日本の、これから  いま考えよう日米同盟」と言う討論番組を放送していたのだが、何時聞いても同じような議論しか出来てこないのである。
その中でも今回の討論で大きく対立した問題の中に「米軍による抑止力」と言うものがあったのだが、この論議を聞いていると、正に「群盲象をなでる」と言う言葉がピッタリすると思うのである。
この「抑止力」だが、「必要だ」と言う人と「必要ない」と言う人に大きく意見が分かれるのだが、これは「米軍による抑止力」と考えるから規模が大きすぎて実感がわかないのであって、正に「群盲象をなでる」と言う状態になってしまうのである。
それではどんな風に考えればよいかと言うと、この「抑止力」と言う言葉を身近な物に置き換えて考えればよいのだが、「何に?」と思うだろうからここに主なものを書いてみるが、「抑止=抑えとどめる」と言う意味を考えれば、単純に「抑止力=家の門、塀、鍵、雨戸、セキュリティーシステム・・・・」と置き換えればよいのである。
私が住んでいり地域も、30年以上前は「鍵をかけずに安心して外出が出来た」と言うほどだったのだが、今ではとてもそうは行かなくなり、空き巣や泥棒対策が必要になるのだが、門、塀、鍵、雨戸、セキュリティーシステムなどは、空き巣や泥棒の被害を防ぐ「抑止力」として存在している事を考えれば「米軍による抑止力は必要」だと言う事がわかるのではないだろうか。
「平和ボケした日本人」には「米軍による抑止力は必要ない」と思う人もいるだろうが、万一近隣諸国から攻撃されたら一体どうすると言うのであろうか。
「憲法9条」により、日本の自衛隊は「専守防衛」に徹しなければいけないのだが、冷静に判断して「自衛隊には日本を防衛する力はない」と言うのが実情で、「米軍による抑止力」無しではとても枕を高きして寝る事は出来ないのである。
ついでと言ってはおかしいが、先ごろの「チリ地震における津波予報」にも同じことが言えるのではないだろうか。
「最大3メートル」と予想されたのだが、この数値には「万一に対する備え」と言う部分も含まれており、津波の被害を最小限に抑えれるための「抑止力としての意味もある」と言うことも考えなくてはいけないのである。
現実の話、「予想より高い津波が来た」としたら一体どうなっていたのだろうか。
「日本海中部地震」では、予想(50センチ)と同じくらいの津波だったにもかかわらず多くの犠牲者が出ているように、「予想通りでは被害を抑止する効果は薄い」と考えることが必要で、「何事にも抑止力は必要」と考えなくてはいけないのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする