陸に上がったカッパの海無し県生活

潜りから漁師へ。身体を壊し船を下りた。
海の話、釣りの話。脳脊髄液減少症。

リフレッシュ

2006-12-05 22:15:12 | Weblog
もう、休日恒例となってしまった温泉へ。
筋肉がクタクタに軟らかくなるまで温泉に浸かってやろうかと思いましたが、
やはり僕には10分が限界のようです。
お湯に浸かっているだけって、すごく暇なのです。
一時間も温泉に入っていられる人が信じられません。

それでも体は温まるし、
このところ痛みの酷い手の指
(何で指なんかが痛むのでしょうか?それも全体的にです)
や膝、アキレス腱などの痛みは、大分和らぎます。
ただ、首から肩、肩甲骨の周りの痛みと張りはどうにもなりませんが。

そして、風呂上りの牛乳の美味いこと。
気がつけば、腰に手を当てて飲んでいたりして・・・。
そういえば、入院中に窓の外を見ながら牛乳を飲んでいたら、
看護婦さんに、からかわれたっけ。
「あ~、腰に手ぇ当ててる~」って指を指されて大笑いされました。
別にいいじゃん、ほっとけって感じですが、
何故、無意識に腰に手を当ててしまうのでしょうか?
そのうち、夕陽に向かって「バカヤロ~」って叫んでいるかもしれませんね。
まあそれも山の夕陽では様になりませんか。

風呂に入っている時だけが、ほんの束の間の安らぎです。
体もその時だけは少し楽になるし、
頭の螺旋も思い切り緩めて(いつも緩んでいるが)
クダラナイことなどを考えればストレス緩和にもなるってもんです。

そこで一言・・・
「はあ~極楽、極楽」
ってそんなこと言う人なんていませんよね~。

明日からまた地獄の一日の始まりか・・・。







イナゴ

2006-12-04 23:29:57 | Weblog
先日、父親がイナゴの佃煮を貰ってきました。
久し振りに食べてみましたが、美味しかったですよ。
歯ごたえもいいし、香ばしい味がして御飯も進みました。

イナゴといえば、最初に食べたのが小学生の頃だったでしょうか。
当時は東京の板橋区に住んでいましたが、
近所では(今の高島平辺り)イナゴなどはいくらでもいました。
高島平は当時は徳丸ヶ原と呼ばれ、見渡す限りが田んぼや原っぱでした。
そこは僕らの格好の遊び場でした。
バッタを獲ったりザリガニを釣ったり、いつも泥だらけになって遊んだものです。
そういえば、大東文化大学の目の前に、化石が採れるところもありました。
貝の化石などはいくらでもあったように記憶しています。
東京では一番奥に位置する高島平辺りも、大昔は海だったのかも知れません。
遊び場には困る事はありませんでしたが、
それでも子供同士の縄張り争いのようなこともありました。
終いには相手の中学生の兄貴などが登場してきて、よくボコボコにされた記憶もあります。
こちらは小学低学年、あちらは立派な体格の中学生ですから、勝てるわけもありませんでした。
今に見ておれ、コノヤローと思って過ごしていましたが、
その相手は終いには立派なその筋の方になっており、
いつかブチノメシテやろうという思いも自然に消えてしまいました。
東京の下町では、そんな事は日常茶飯事でした。

近所には戦後の混乱期を乗り越えてきたお年寄りがいて、
僕が獲ってきたイナゴやザリガニなどを、喜んで持っていきました。
そんな人たちから料理したものを貰って食べたのが、イナゴ初体験でした。
小学校の低学年だったので、あまり抵抗もなく食べられたのでしょう。
当時も、美味しいものだと思いながら食べた覚えがあります。
まあ、佃煮ですからね、小魚の佃煮などと味自体は大差があるわけでもありませんし、
見た目も、そのものズバリという感じではありませんから、今も抵抗無く食べられます。

イナゴの佃煮は、大変な手間が掛かるようです。
まずは一日生かしておいて糞を出させてから蒸し、天日干しにして、
それから一匹ずつ羽と足を取って、やっと佃煮作りに取り掛かるそうです。

イナゴの栄養価は凄いらしいです。
食べる機会があったら、一度チャレンジしてみる価値はありますよ。







廃用症候群

2006-12-03 23:47:20 | 脳脊髄液減少症
上り行く月を見上げてパチリ。
「早く帰りたいよ~」
仕事の合間にちょっと息抜きをした瞬間でした。

出勤時も月を見ながら、帰りも月を見ながら、
ちょっと憂鬱になります。
今朝は起きた瞬間から猛烈な吐き気に襲われてしまいました。
休みたいという気持ちに負けそうになりながらも、何とか仕事をこなしてきました。
もう少し我慢、もう少し頑張ろう、そんな気持ちは時として過大な精神的負担となります。
そして、やはり今の身体ではいくら動いてみても慣れるということがありません。
仕事を終え家に帰って横になってしまうと、
立ち上がることさえ困難です。
両膝に両手を着き、そのままの姿勢でやっとトイレに行く始末です。
でもやはりもうちょっと頑張ってみます。

さて、「廃用症候群」という言葉を新聞で見かけました。
詳しくはクリック。
ベッド上での長期に亘る安静などによって、筋肉の低下を招いた結果、
体の機能低下や歩行困難、精神的機能の低下を招くというものです。

そこから生まれる症状は多岐に亘ります。
脳脊髄液減少症が悪化したと思っている症状も、
このような可能性(可能性と言うよりは、事実ですね)が隠されていることも忘れないで下さい。
悪循環が更なる悪循環を招き、更なる悪化を呼び起こします。
ブラッドパッチ後などの安静期間を除き、
(これもどの程度の安静が必要なのか、担当医と相談なさって下さい)
痛いでしょうが辛いでしょうが苦しいでしょうが、寝たままの生活は避けて下さい。
日常の生活面なども、御自分の担当医とよく話し合って、
規則正しい生活、栄養、適度な運動を心がけて欲しいと思います。

「今、頑張っておくか」「後で頑張れるのか?」
自分の胸によ~く聞いてみて下さい。
(どちらも大変ですが)
一週間安静にして失った体力を取り戻すのには一ヶ月間の努力が必要です。
数ヶ月ということになれば、
その後、血涙滴る努力が必要になることを決してお忘れなきように。
それが出来なければ、どのような結果が出るかは、言うまでもありません。
口で言うだけの復帰は簡単ですが、体は応えてはくれませんよ。

「頑張れ」「努力」という言葉は、僕が押し付けるものではありません。
そして時には頑張らない努力も必要だと思います。
でも、病気に負ける負けないは、自分次第です。
何でも病気のせいにしてしまうのは簡単なことです。
自分が病気に負けない為の努力を怠った結果が招いた病気までも、
それも脳脊髄液減少症のせいにしてしまうのは簡単なことです。
僕にも同様の時期がありました。
この先も分かりません。が、・・・。
病気には逃げないで下さい。

後で解った時にはもう遅かったという事にはならないように・・・。















玉網作製

2006-12-02 21:21:57 | 釣りの話
何の写真か全く分からないと思いますが、
木の枝を切ってきた物です。
これが、渓流釣り用の玉網(枠)になる予定です(上手くいけば)
この段階で、皮を剥く為に一ヵ月半ほど水に浸けてありますが、
まだちょっと早いようです。
あと一ヶ月ほど浸けておかないと、簡単に剥けないかもしれません。
かと言って、それ以上漬けておくと、下地が黒く変色する恐れがあるので、
難しいところです。

素材を見つけるのはなかなか大変です。
二本の対極する枝の根元が同じ高さから同じ角度でほぼ真横に出ていなければなりません。
素材としては、カヤと呼ばれる木か、モミの木の中に、そのような物があるでしょう。
しかし、むやみやたらと山から伐ってくる訳にはいきませんので、
これは伐採した木から適当な物を見つけてきました。
今は10本ほど水に浸けてありますが、あまり気に入った物はありません。
柄になる太い部分に変化が無くて、ちょっと面白みにかけます。
あとは皮を剥いた後の木肌の模様がどうなるかでしょう。

皮剥きが終われば、枠になる部分を丸く成型し少し下に角度を付けます。
これは太目の針金などで型を作り、それに沿わせて曲げ固定しておきます。
継ぎ目も後から見て分からないように綺麗に仕上げなければなりません。
成型が終われば次は乾燥です。
多分、十分な強度になるようには1年から3年、乾燥期間が必要になるでしょう。
気の長い話しです。

成型が上手くいって乾燥も上手くいけば、塗装をして網を付けて完成ですが、
果たして上手くいくでしょうか。

塗装は本漆でいきたいところですが、かぶれる恐れがありますし、
一回塗っては数ヶ月の乾燥の繰り返しでは、埃の付着にも神経を使わなくてはいけないし、
気が遠くなってしまうので、うるし塗料と呼ばれる物か、カシュー塗料で行う予定です。
これなら一度の乾燥が数日から一週間程度で済むでしょう。
これも数回の重ね塗りと、目の細かい紙ヤスリで丁寧に仕上げていきます。
柄元には鹿の角でも付けてみましょうか。
網は手先が器用で根気があれば自分で編むことも可能ですが、
網目が非常に細かくなるので、毎日2~3時間根気良く続けても、
数ヶ月の作業になってしまいます。
網の部分は市販品に強くて美しい物がありますので、
それを上手く取り付ける予定です。
そこまでくれば完成です。
あとは自分の名前でも刻んでそこにも漆などを埋めます。
自分だけの愛情の籠もった道具になるでしょう。
そうですね、あとは根付けなども渓流魚を形どったものを彫刻で作りたいものです。

さて渓流釣りや鮎釣りなどに使われる自然素材の玉網だが、
手作りで売られている物の中には、まるで美術工芸品のような仕上がりの物まである。
値段を見たら桁を一つ二つも間違えてしまうかもしれない。
そこまでは出来なくとも、そこまで近づけて作りたいと思っている。

と、ここまで工程と予定を書いてきましたが、
今の僕ではちょっと完成にまで至るかどうか分かりません。
恐らくは、皮を剥く時の姿勢でダウンしてしまう可能性も大ですから。
皮剥きから成型までは一気にしなくてはならないのが悩みの種です。
その時点で、ただのゴミになっていないよう祈りましょうか・・・。









2006-12-01 18:30:30 | Weblog
やはり携帯では上手く撮れません。
中央に写っているのは雉の雄です(分かり辛いですが)
もっと近くにいたのですが、携帯を開けている間に走り出してしまいました。

これを撮った辺りは雉の住処になっているようです。
ここを通り掛かると、ほぼ毎回、雉に出遭います。
時には4~5羽が連れ添い歩いていたり、つがいでいたり、
一般の人は入れないし、もちろん鉄砲撃ちも入れませんから、安心しているのでしょう。

先日は雄鳥が2羽で、まるでダンスでも踊っているような状況に出遭いました。
雄と雌なら求愛のダンスなのでしょうが、あれは何の為の行動なのか、不思議です。
そうですねぇ、ちょうどワルツでも踊っているようでした。
あんな姿は二度と見れないでしょう。

雉という鳥はなかなか気が強いようですね。
いつだったか道の真ん中で、
1.5mは優にあろうかという青大将(田中邦衛ではありません)
と喧嘩しているのを目撃しました。
この時ばかりは、人間の姿も目に入らなかったのでしょう、
すぐ近くで見ていましたが、お互い必死のようでした。
そりゃそうですね、喰うか喰われるかの勝負をしているわけですから。
このときは、激しい闘いの後に、青大将が逃げ出してしまいました。
草むらの中に逃げ込む青大将の後を雉は追いかけていったので、
恐らくは餌食になってしまったでしょう。

自然の中の生物は逞しいです。
そして弱肉強食の掟。
逞しくなくては生きていけません。