約1年前に“その2”を書いてから、
続きを書くことを放棄していた。
春頃から、
今年は北アルプスに行けそうにない
とうすうす感じ取っていたために、
山に対する気持ちが薄まってしまったのだ。
せっかく、
前年に久しぶりに山登りを
復活させたのに萎んでしまった気持ちを
どうすることもできなくて。
そして、やっと…
ブログ10周年ということで、
2015年の穂高山行の続きを書こうかと
いう気になった。
いや、ここで書いておかないと、
今年の山に対峙できないような気がしたのだ。
ちなみに、
その1は、コチラ
その2は、コチラ
さて、
<3日目>
テントの中で目を覚ますと、
隣の大学生パーティーは、
まだ真っ暗い中、すでに出発するところだった。
一気に奥穂高岳、前穂高岳を越えて、下山するようだ。
ところで、自分はどうしよう?
その若者たちのように、大荷物を背負って、
日本アルプス有数の危険なルートを一気に越える自信はない。
テントの中でゴロゴロしているうちに、
心は決まった。
というか、時間的に他の選択肢が消えた
と言った方が正しい。
今回のメインだった縦走は諦めて、
午前中は北穂高岳周辺でゆっくり写真撮影しようと。
ごそごそと起き出して、
朝食を作っていると、
東の空が明るくなってきた。
靴紐をギュッと締めれば、
気持ちも締まり、それまでの迷いも葛藤も消える。
今回、踏破を諦めた奥穂高岳方向。
前穂高岳方向。
下に移っている黄色いテントから這い出してきたのだ。
8月と言えど、
標高3000mの早朝の空気は身を切るように冷たい。
その冷たさが山の神聖さを際立たせる。
常念岳山頂辺りからのご来光を身体全体に浴びる。
頬にふわっと感じるこの温かみのために
苦しい思いをしてまで登ってきたのかもしれない。
キャンプ場から昨日登頂した北穂高岳までは
歩いて15分くらいなのだが、
その間だけでも心惹かれて、
思わずレンズを向ける光景が次々と現れる。
昨日、何度か往復した道と同じだとは思えない。
再び、北穂高岳登頂。
再びと言えど、
恐らく、何度来ても飽きないだろう。
西鎌尾根と槍ヶ岳。
あの夕立と雷。
怖い思いをした過去の体験が昨日のように蘇る。
東鎌尾根と槍ヶ岳。
大キレットと槍ヶ岳。
昨日は、ここをテント背負って越えてきて、
一気に涸沢まで下った猛者と話をして盛り上がった。
ここもいつかは歩いてみたい。
大キレットの一部。
かなり急峻で、足が震えそう。
北穂高岳山頂でのんびり過ごす。
登ってきては記念写真を撮り、
次へと向かうパーティーをいくつも見送りつつ、
のんびりと風を感じ、風景の変化を心に焼き付ける。
奥穂高岳~ジャンダルムの稜線。
この雲海がねぇ、
奥穂高岳の手前に入ってくることを期待してたんだけど。
気温が上昇すると、ガスが湧く。
山の日常。
そろそろ…
と思いながらも、なかなか腰が上がらない。
いつまでもここにいたい気持ちが強い。
しかたなく、涸沢まで下りる。
本当に、“しかたなく”。
どんどん標高が下がっていく悲しさ。
しかも、
途中で一眼レフの電池が切れて、
ここからは、コンパクトデジカメでの撮影。
涸沢まで下りて来てしまった。
数時間前まで同じ目線にあった
前穂高岳が遥か上に聳え立っているこの現実。
<4日目>
朝から予想通り、雨。
それもかなりの激しさ。
2日目に目の当たりにした滑落事故。
小屋の前にあるボードを見ると、
遭難者数、死亡者数が1人増えていたことが
気分を憂鬱にさせる。
この夏の槍穂高連峰で
亡くなられたのは9人目だったかな。
次は自分の身だった可能性もあるわけで、
この悪天候を見越して引き返したことを
正解だと思うことにした。
悔しいけれど。
涸沢から上高地へは大雨の中、
ちょっとした川のような登山道を
ほぼカメラを出すこともなく、淡々と歩いた。
それでも、
土砂降りの中、どうしても撮りたかった1枚。
このおかげでデジカメの調子が悪くなって、
後に、使えなくなってしまったのだけど。
横尾山荘を越えたあたりから、
天気は回復し始め、
梓川沿いを上高地へと歩く頃には、
薄光りが差し始めた。
行き交う登山者たちが羨ましい。
自分も引き返したくなる。
あれだけ登りの苦しさに、
来なければ良かったと後悔したにもかかわらず。
毎回、思うのだけど、
この複雑な気持ちは何なのだろう?
人生において、
その他の状況では感じることのない
この感覚は何なのだろう?
ところで、今年の夏は山に行けるのだろうか?
今のところは、まだ登りたい気持ちは出てきてないけれど、
暖かくなるにつれて、
雪解けが進むにつれて、
身体がうずうずしてくるに違いない。
あの光を、あの風を、あの高揚感を、
身体が覚えてしまっているから。
続きを書くことを放棄していた。
春頃から、
今年は北アルプスに行けそうにない
とうすうす感じ取っていたために、
山に対する気持ちが薄まってしまったのだ。
せっかく、
前年に久しぶりに山登りを
復活させたのに萎んでしまった気持ちを
どうすることもできなくて。
そして、やっと…
ブログ10周年ということで、
2015年の穂高山行の続きを書こうかと
いう気になった。
いや、ここで書いておかないと、
今年の山に対峙できないような気がしたのだ。
ちなみに、
その1は、コチラ
その2は、コチラ
さて、
<3日目>
テントの中で目を覚ますと、
隣の大学生パーティーは、
まだ真っ暗い中、すでに出発するところだった。
一気に奥穂高岳、前穂高岳を越えて、下山するようだ。
ところで、自分はどうしよう?
その若者たちのように、大荷物を背負って、
日本アルプス有数の危険なルートを一気に越える自信はない。
テントの中でゴロゴロしているうちに、
心は決まった。
というか、時間的に他の選択肢が消えた
と言った方が正しい。
今回のメインだった縦走は諦めて、
午前中は北穂高岳周辺でゆっくり写真撮影しようと。
ごそごそと起き出して、
朝食を作っていると、
東の空が明るくなってきた。
靴紐をギュッと締めれば、
気持ちも締まり、それまでの迷いも葛藤も消える。
今回、踏破を諦めた奥穂高岳方向。
前穂高岳方向。
下に移っている黄色いテントから這い出してきたのだ。
8月と言えど、
標高3000mの早朝の空気は身を切るように冷たい。
その冷たさが山の神聖さを際立たせる。
常念岳山頂辺りからのご来光を身体全体に浴びる。
頬にふわっと感じるこの温かみのために
苦しい思いをしてまで登ってきたのかもしれない。
キャンプ場から昨日登頂した北穂高岳までは
歩いて15分くらいなのだが、
その間だけでも心惹かれて、
思わずレンズを向ける光景が次々と現れる。
昨日、何度か往復した道と同じだとは思えない。
再び、北穂高岳登頂。
再びと言えど、
恐らく、何度来ても飽きないだろう。
西鎌尾根と槍ヶ岳。
あの夕立と雷。
怖い思いをした過去の体験が昨日のように蘇る。
東鎌尾根と槍ヶ岳。
大キレットと槍ヶ岳。
昨日は、ここをテント背負って越えてきて、
一気に涸沢まで下った猛者と話をして盛り上がった。
ここもいつかは歩いてみたい。
大キレットの一部。
かなり急峻で、足が震えそう。
北穂高岳山頂でのんびり過ごす。
登ってきては記念写真を撮り、
次へと向かうパーティーをいくつも見送りつつ、
のんびりと風を感じ、風景の変化を心に焼き付ける。
奥穂高岳~ジャンダルムの稜線。
この雲海がねぇ、
奥穂高岳の手前に入ってくることを期待してたんだけど。
気温が上昇すると、ガスが湧く。
山の日常。
そろそろ…
と思いながらも、なかなか腰が上がらない。
いつまでもここにいたい気持ちが強い。
しかたなく、涸沢まで下りる。
本当に、“しかたなく”。
どんどん標高が下がっていく悲しさ。
しかも、
途中で一眼レフの電池が切れて、
ここからは、コンパクトデジカメでの撮影。
涸沢まで下りて来てしまった。
数時間前まで同じ目線にあった
前穂高岳が遥か上に聳え立っているこの現実。
<4日目>
朝から予想通り、雨。
それもかなりの激しさ。
2日目に目の当たりにした滑落事故。
小屋の前にあるボードを見ると、
遭難者数、死亡者数が1人増えていたことが
気分を憂鬱にさせる。
この夏の槍穂高連峰で
亡くなられたのは9人目だったかな。
次は自分の身だった可能性もあるわけで、
この悪天候を見越して引き返したことを
正解だと思うことにした。
悔しいけれど。
涸沢から上高地へは大雨の中、
ちょっとした川のような登山道を
ほぼカメラを出すこともなく、淡々と歩いた。
それでも、
土砂降りの中、どうしても撮りたかった1枚。
このおかげでデジカメの調子が悪くなって、
後に、使えなくなってしまったのだけど。
横尾山荘を越えたあたりから、
天気は回復し始め、
梓川沿いを上高地へと歩く頃には、
薄光りが差し始めた。
行き交う登山者たちが羨ましい。
自分も引き返したくなる。
あれだけ登りの苦しさに、
来なければ良かったと後悔したにもかかわらず。
毎回、思うのだけど、
この複雑な気持ちは何なのだろう?
人生において、
その他の状況では感じることのない
この感覚は何なのだろう?
ところで、今年の夏は山に行けるのだろうか?
今のところは、まだ登りたい気持ちは出てきてないけれど、
暖かくなるにつれて、
雪解けが進むにつれて、
身体がうずうずしてくるに違いない。
あの光を、あの風を、あの高揚感を、
身体が覚えてしまっているから。
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