ノートルダム大聖堂炎上で「滅びの美」を思い浮かべたこと、以前書きました。
文化財保護とかで伝統文化が永遠の生命を保証されたらそれはもはや美ではなくなる。
むしろいずれ滅びることが運命づけられていることで滅びの美として輝きを発するということです。
三島由紀夫は戦後滅びていったものにこの美を見出しました。
しかし滅びゆくものの美しさだけでは美意識ではあっても政治意識ではありません。
読み替えが必要です。
その美を伝えるには能動的に伝統文化を守り続けなければならぬという逆説に到達すると思うがサテどうか?
文化財保護とかで伝統文化が永遠の生命を保証されたらそれはもはや美ではなくなる。
むしろいずれ滅びることが運命づけられていることで滅びの美として輝きを発するということです。
三島由紀夫は戦後滅びていったものにこの美を見出しました。
しかし滅びゆくものの美しさだけでは美意識ではあっても政治意識ではありません。
読み替えが必要です。
その美を伝えるには能動的に伝統文化を守り続けなければならぬという逆説に到達すると思うがサテどうか?