この写真、以前ご紹介したこともある狛江の水神前の玉翠園の石垣跡です。その上に生えているのは見れば分かって当たり前ですが、巨木です
玉翠園のことはバックナンバー記事「玉翠園の石垣と記念碑」に書いておきましたのでそちらをご覧下さい。おさらいになりますが大正の頃、ここに玉翠園という料亭ができて都心からやってきた川遊びの人や林間学校の生徒でにぎわったとのことでした
話のついでに補足すると戦前の多摩川沿いの避暑地には二子玉川があります。二子玉川は政財界の大物の別荘地だったのに対し、玉翠園のほうは京王や小田急の電車で来る人が主だったというから避暑地としては格が下で庶民向けだったのでしょう
と言うと狛江の人が気分を害されるでしょうからフォローしておきますと、昔の面影のまったくなくなった二子玉川に比べ往時の姿をとどめているのは素晴らしいじゃないですか。それと私、この茂みの中に入ったことはありませんが入れないほどうっそうとしている。なんだかこの一角、『千と千尋の神隠し』みたいな世界なのかもしれません
ご意見・お問い合わせは→ golijaf@mail.goo.ne.jp
玉翠園のことはバックナンバー記事「玉翠園の石垣と記念碑」に書いておきましたのでそちらをご覧下さい。おさらいになりますが大正の頃、ここに玉翠園という料亭ができて都心からやってきた川遊びの人や林間学校の生徒でにぎわったとのことでした
話のついでに補足すると戦前の多摩川沿いの避暑地には二子玉川があります。二子玉川は政財界の大物の別荘地だったのに対し、玉翠園のほうは京王や小田急の電車で来る人が主だったというから避暑地としては格が下で庶民向けだったのでしょう
と言うと狛江の人が気分を害されるでしょうからフォローしておきますと、昔の面影のまったくなくなった二子玉川に比べ往時の姿をとどめているのは素晴らしいじゃないですか。それと私、この茂みの中に入ったことはありませんが入れないほどうっそうとしている。なんだかこの一角、『千と千尋の神隠し』みたいな世界なのかもしれません
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