昨日は高速道路が安くなったということで遠出してきました。
渋滞を予想して早起きしたのですが、混雑もさほどではなし。
確かにスキーシーズンも終わりに近く、桜の開花もここのところの冷え込みでちょっと遅れ気味だったのでちょっと端境期だったのかもしれません。
地方都市といえばここ数年中心部の商店街が郊外のショッピングセンターに客を奪われて「シャッター通り」化していると言われますが、実際かなり厳しい感じの町がいくつかありました。
ただ、さびれたといっても「中心部」というだけに昭和40年代くらいに繁栄を謳歌した名残があるところが多く、中心部のいまやさびれたアーケード街には当時としては立派だったであろう鉄筋コンクリート造の建物が並んでいます。
しかし、今言われている「シャッター通り」が歴史的にずっと中心部だったというのは少ないのではないでしょうか。
江戸時代に遡ると街道沿いの宿場町や城の周りの城下町として発展してきたところが多いと思います。
その後明治時代に鉄道が整備された時は鉄道は蒸気機関車が煤煙を撒き散らすので嫌悪施設と考えられ、駅の多くは町はずれに作られました。県庁所在地では大体お城と駅は離れたところにあることが多いですよね。(品川駅が港区にあって昔の品川宿の近くの京浜急行「北品川」駅のさらに北側にあったりするのもそんなところからきているのかもしれません。)
一方国道は江戸時代の街道をもとに道路整備がされたため、宿場町や城下町はそのまま市街地の中心部になりました。
その後、鉄道の利用客が増えると「駅前」も発展し、商業集積がみられるようになります。
ここで駅前が既成市街地の比較的近くだったところは市が拡大し、そうでないところは中心地をめぐっての競争が生じました。
とくに路面電車などから発展した私鉄が既成市街地の中心を走っているところは既成市街地の方が国鉄の駅前よりも依然として優位を保ち続けるところも多くありました。
昭和40年代になると国道の交通量が増えたために「バイパス」というものが多く作られるようになります。
これは既成市街地から通過するだけの車両を迂回させることを目的としており、既成市街地の発展を維持する効果がありました。
昭和50年代以降になり、新幹線網が広がると駅のポテンシャルがあがり、既成市街地に押されがちだった駅も駅周辺に商業集積ができるようになります。
「駅前再開発」が始まったのもそのころで、結果主だった駅(特に新幹線停車駅)の駅前はどこも駅の両側をつなぐために立体化されたコンコースからぺデス鳥案デッキがつながり、1回はバスターミナル、駅前に再開発ビルが立ち並ぶという似たような景色になることになります。
一方でモータリゼーションの進展によって、バイパス沿いにロードサイド型の店舗(ファミレスとかパチンコ店)が増えるようになり、平成に入ってからはイオンに代表される大型のショッピングモールが建設されるようになり、今に至ります。
なので、「シャッター通り」というのも、駅前でない昔からの市の中心部、昔の中心部と駅前が同じで全体が地盤沈下している、一度は市の中心部の座に輝いたが郊外型店舗に押されている、の3パターンあります。(それから、町自体が新幹線の駅が作られなかったなどで地盤沈下しているところもあるかもしれません。)
最近「シャッター通り」を大型郊外店のせいにするような報道もありますが、議論としてはそれもちょっとおかしいと思います。
大型店が林立する時代の前から商業の中心部が移るということは昔からあったし、今回もその一つにすぎないわけです。
商業者自身も中心部の移動に伴って対応してきたわけで、今回「シャッター通り」問題で対応が難しくなっているというのは、経営者の高齢化や後継者難、将来投資のための貯蓄がないとか融資を受けられないという事情もあるように思います。
確かに大型店は大量仕入れにより安い商品を提供するので競争力は個人商店とは比較にはなりません。ただそれは買い叩きとか不当廉売という独禁法の世界の問題です。
逆に言えば昭和40年代に商業者が繁栄を謳歌していたころの彼らの利潤が適正だったかというと、必ずしもそうとはいえないのではないかと思っています。
(以前書いたかもしれませんが)地方都市で商店をやっていたかなり年長の伯父がいて、その人はほとんど仕事らしい仕事をしていないにもかかわらず(羽振りが良いとまでは言いませんが)それなりの生活をして子供を大学にまでやっていました。
当時は子供心に不思議だったのですが、今から考えると、おそらく当時の商店というのはなんらかの仕入れルートにはいることができれば一定の利ざやは確保できていたのではないでしょうか。
僕は大型店自体は好きではないのですが(逆に魚をスーパーでしか買えなくなったら世も末だと思うくらいです。まあ、毎日買い物をするわけではないのでそういうことを言えるのかもしれませんが)、確かに「シャッター通り」は気の毒な現象だとは思うのですが、だからといって「ある時点の繁栄を保証する」というのは無理があると思います。
その理屈で言えば公共工事+談合で成り立っていた地方の建設業界は保護しなければいけない、ということになります。
これも遠縁だか田舎の親戚の知り合いだかで地方都市の土建業者がいて、昭和50年頃には外車(当時はそういうひとくくりでした)に乗るわスキー場のリフトの権利は持つわ(そういえば一度連れて行ってもらったな・・・)と羽振りがよかったのですが、先のバブル崩壊時に倒産してしまいました。(でもその人の方が先の伯父よりは仕事の中身の是非はさておき働いていたように思いますけど。)
話がそれてしまいました。
どうも遠出をすると、昔どこに行ったなどと話をきっかけに思い出話になりがちです。
行政としては中心市街地が寂れるのは高齢化が進む中で問題かもしれません。
ただそれは大型店の出店を規制したから実現できるものでもないと思います。若い世帯は隣町の大型店まで足を伸ばすだけかもしれないですから。
単に規制だけをするのでなく、中心部の道路や駐車場のインフラ整備とか郊外型店舗に固定資産税課税や開発負担金などで公平な受益者負担を求めるというの行政の本業でがんばってほしいものです。
渋滞を予想して早起きしたのですが、混雑もさほどではなし。
確かにスキーシーズンも終わりに近く、桜の開花もここのところの冷え込みでちょっと遅れ気味だったのでちょっと端境期だったのかもしれません。
地方都市といえばここ数年中心部の商店街が郊外のショッピングセンターに客を奪われて「シャッター通り」化していると言われますが、実際かなり厳しい感じの町がいくつかありました。
ただ、さびれたといっても「中心部」というだけに昭和40年代くらいに繁栄を謳歌した名残があるところが多く、中心部のいまやさびれたアーケード街には当時としては立派だったであろう鉄筋コンクリート造の建物が並んでいます。
しかし、今言われている「シャッター通り」が歴史的にずっと中心部だったというのは少ないのではないでしょうか。
江戸時代に遡ると街道沿いの宿場町や城の周りの城下町として発展してきたところが多いと思います。
その後明治時代に鉄道が整備された時は鉄道は蒸気機関車が煤煙を撒き散らすので嫌悪施設と考えられ、駅の多くは町はずれに作られました。県庁所在地では大体お城と駅は離れたところにあることが多いですよね。(品川駅が港区にあって昔の品川宿の近くの京浜急行「北品川」駅のさらに北側にあったりするのもそんなところからきているのかもしれません。)
一方国道は江戸時代の街道をもとに道路整備がされたため、宿場町や城下町はそのまま市街地の中心部になりました。
その後、鉄道の利用客が増えると「駅前」も発展し、商業集積がみられるようになります。
ここで駅前が既成市街地の比較的近くだったところは市が拡大し、そうでないところは中心地をめぐっての競争が生じました。
とくに路面電車などから発展した私鉄が既成市街地の中心を走っているところは既成市街地の方が国鉄の駅前よりも依然として優位を保ち続けるところも多くありました。
昭和40年代になると国道の交通量が増えたために「バイパス」というものが多く作られるようになります。
これは既成市街地から通過するだけの車両を迂回させることを目的としており、既成市街地の発展を維持する効果がありました。
昭和50年代以降になり、新幹線網が広がると駅のポテンシャルがあがり、既成市街地に押されがちだった駅も駅周辺に商業集積ができるようになります。
「駅前再開発」が始まったのもそのころで、結果主だった駅(特に新幹線停車駅)の駅前はどこも駅の両側をつなぐために立体化されたコンコースからぺデス鳥案デッキがつながり、1回はバスターミナル、駅前に再開発ビルが立ち並ぶという似たような景色になることになります。
一方でモータリゼーションの進展によって、バイパス沿いにロードサイド型の店舗(ファミレスとかパチンコ店)が増えるようになり、平成に入ってからはイオンに代表される大型のショッピングモールが建設されるようになり、今に至ります。
なので、「シャッター通り」というのも、駅前でない昔からの市の中心部、昔の中心部と駅前が同じで全体が地盤沈下している、一度は市の中心部の座に輝いたが郊外型店舗に押されている、の3パターンあります。(それから、町自体が新幹線の駅が作られなかったなどで地盤沈下しているところもあるかもしれません。)
最近「シャッター通り」を大型郊外店のせいにするような報道もありますが、議論としてはそれもちょっとおかしいと思います。
大型店が林立する時代の前から商業の中心部が移るということは昔からあったし、今回もその一つにすぎないわけです。
商業者自身も中心部の移動に伴って対応してきたわけで、今回「シャッター通り」問題で対応が難しくなっているというのは、経営者の高齢化や後継者難、将来投資のための貯蓄がないとか融資を受けられないという事情もあるように思います。
確かに大型店は大量仕入れにより安い商品を提供するので競争力は個人商店とは比較にはなりません。ただそれは買い叩きとか不当廉売という独禁法の世界の問題です。
逆に言えば昭和40年代に商業者が繁栄を謳歌していたころの彼らの利潤が適正だったかというと、必ずしもそうとはいえないのではないかと思っています。
(以前書いたかもしれませんが)地方都市で商店をやっていたかなり年長の伯父がいて、その人はほとんど仕事らしい仕事をしていないにもかかわらず(羽振りが良いとまでは言いませんが)それなりの生活をして子供を大学にまでやっていました。
当時は子供心に不思議だったのですが、今から考えると、おそらく当時の商店というのはなんらかの仕入れルートにはいることができれば一定の利ざやは確保できていたのではないでしょうか。
僕は大型店自体は好きではないのですが(逆に魚をスーパーでしか買えなくなったら世も末だと思うくらいです。まあ、毎日買い物をするわけではないのでそういうことを言えるのかもしれませんが)、確かに「シャッター通り」は気の毒な現象だとは思うのですが、だからといって「ある時点の繁栄を保証する」というのは無理があると思います。
その理屈で言えば公共工事+談合で成り立っていた地方の建設業界は保護しなければいけない、ということになります。
これも遠縁だか田舎の親戚の知り合いだかで地方都市の土建業者がいて、昭和50年頃には外車(当時はそういうひとくくりでした)に乗るわスキー場のリフトの権利は持つわ(そういえば一度連れて行ってもらったな・・・)と羽振りがよかったのですが、先のバブル崩壊時に倒産してしまいました。(でもその人の方が先の伯父よりは仕事の中身の是非はさておき働いていたように思いますけど。)
話がそれてしまいました。
どうも遠出をすると、昔どこに行ったなどと話をきっかけに思い出話になりがちです。
行政としては中心市街地が寂れるのは高齢化が進む中で問題かもしれません。
ただそれは大型店の出店を規制したから実現できるものでもないと思います。若い世帯は隣町の大型店まで足を伸ばすだけかもしれないですから。
単に規制だけをするのでなく、中心部の道路や駐車場のインフラ整備とか郊外型店舗に固定資産税課税や開発負担金などで公平な受益者負担を求めるというの行政の本業でがんばってほしいものです。