一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

「オフレコ」の意味

2009-03-19 | まつりごと

産経新聞の福島香織記者の北京・官邸趣聞博客(ぺきん・かんていこねたぶろぐ)での雑談:オフ懇と匿名取材 というエントリで、はじめて政治の世界での「オフレコ」の意味がわかりました。  

月~木に夕方に官邸内で行われる漆間副長官のオフ懇は、俗にいう「筋懇」といわれるもので、何々筋によると、というふうに匿名で引用してOKという暗黙の了解のもとで話される。このクオートの仕方は、官房長官、官房副長官→政府高官、秘書官→首相周辺などとパターンがほぼ決まっており、政府高官によると、といえば官房長官か3人の副長官のうちの誰か、ということになり、政府のナカの人や議員ら関係者は、誰の発言かほぼ確定できる仕組みになっている。  

したがって、代打ち(番記者以外のかわりの記者)も出席でき、なおかつ問題発言したら、すぐ発言者がわかるかっこうで直後に報じてしまう、この「筋懇」といわれるオフレコ懇談というのは、オフでもなく匿名取材でもない。だから、核心の話などでないのが普通である。いわば雑談の延長、誰もが知っている話プラスちょっとしたサービストーク、理解を深めるバックグラウンドブリーフィングが主流だ。あるいは、お互い記録をとっていないことをよいことに、少々の放言、あるいは、とばし記事を黙認できる、双方にとってこずるい取材・リークの場かもしれない。  

オフ懇をする議員や高官の中には、オフ発言で記事に出ることを想定して発言する人もいるそうだ。その発言が問題になっても、双方に記録がないことを理由に、記者側が発言を誤解したり聞き間違ったと突っぱねることができる。記者の方も、なにげない一言や言い間違いをとらえて、牽強付会して伝えたとしても、それが誤解、誤報だと証明できる記録もないわけだ。双方にとって、そういうメリットがあるから、一見意味のないように思えるオフ懇というものが、えんえんと存続するのかもしれない。  

福島記者は本来漆間番なのですが、ちょうど問題発言のあったとされるオフ懇のときはイチロー(小沢)番に応援に行っていて出席していなかったそうです。
実際にどういう発言があったのかについては、彼女自身が他者の記者に確認しても記憶があやふやで、共同が記事を流したからあわてて記憶を掘り起こした、という社もあるとか。  

そもそも記者クラブのルールというのが存在しているのがいいのかという問題はさておくとして、「書いてもいいが記録を取らないので事実かどうかは確認できない」というルールがあるのなら、それをちゃんと説明して報道したほうがいいですね。 
それから、記者自身の記憶も曖昧なようですが実際の新聞記事が一枚岩というのも妙な感じです。
「自分の記憶ではそんなこと言っていない」という記者がいればそういう報道をするのが筋だと思うのですが、録音がない(あっても出せない)以上記者同士の仲間割れは避けたいという心理が働いているのでしょうか。

個人的には今回の事件が「国策捜査」とは思わない(どちらかと言えば自民党時代からいままで小沢一郎事務所に手入れをしなかった方が国策捜査だったのではないでしょうかねぇ)ので漆間発言自体はあまり関心がないのですが、記者クラブや政治部の記事のこういうあり方というのも、政権政党の交代がしばしば起きることが現実的になってくると機能しなくなるのではないでしょうか。

コメント
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