現役の裁判官である瀬木比呂志氏が、裁判官の立場から民事訴訟の実務と制度の現状と問題点を網羅的に解説したもので、正式な書名は『民事訴訟実務と制度の焦点―実務家、研究者、法科大学院生と市民のために』です。
大阪ふたば法律事務所のブログで紹介されていたのですが、書名の長さに負けず750ページという大著なので、書店でまずはパラパラと見たところ、最初に開いたところの語り口に引かれて購入し、一気に読みました。
まず、よい依頼者を選択する能力、依頼者の言葉の真偽ないし真実の蓋然性を的確に判定する能力は、弁護士の能力の中では非常に重要なものの一つであることを強調しておきたい。弁護士の中には、主張立証は必ずしもそれほど緻密ではないけれども事件の選別にかけては抜群というタイプの方がある。このような人は筋のよい事件をうまく選別するので、訴訟活動は若い弁護士におおむねお任せでも、なお勝訴率が高い。反対に、緻密な訴訟活動を行うけれども右のような見通しについてはあまり感覚がよくなく、時として到底勝てない事案で強硬な主張をされる弁護士もいる。もちろんいずれも極端な例ということになる(つまり、各種の知的能力はいずれかといえば連動することが多いから、前記のような偏りがみられるのは比較的珍しいということである。なお、きまじめで思い込みの強いタイプの方は後者のような形で見通しを誤りやすい傾向があるとはいえるかもしれない)が、こうした側面をみると、弁護士の能力というのは非常に幅広い範囲にわたっているものだとあらためて考えさせられるのである。
(P.33 第2章 訴えの提起まで 一.受任にふさわしい事件の選別)
このように通常の裁判官の書籍よりはかなり自由に筆を運んで書かれており(そのことについては筆者も自覚しています)、訴訟の中で裁判官はどういう風に考えているのか、また現在の日本の民事訴訟をめぐる課題、裁判官・弁護士・研究者そして当事者それぞれの問題点などが非常にわかりやすく(かつはっきりと)書いてあります。
企業サイドでも実務上参考になったのが、「第1部 民事訴訟実務の焦点」の以下の章です。
第6章 裁判官、書記官、当事者のコミュニケーション、民事裁判官の役割
第11章 準備書面の書き方等
第12章 証拠調べ
第6章では、裁判官は期日の前にどのような準備をしているか、準備書面(自分の主張をする書面)の提出が遅れると裁判官はどういう迷惑をこうむるかについてふれています。
実際は期日の当日朝とか前日夜にFAX(当方and/or相手方)なんてことがけっこうあるんですけど、こういうことが続くと結果的に当事者の不利益になる、ということがよくわかります。
第11章、第12章では、主張立証に有効な準備書面や証拠申請のありかたについてふれられています。
本書の中で「悪い例」としてあげられている、準備書面のなかで本来の紛争とは直接関係ないことについてあれやこれやとあげつらい相手方の悪性をアピールしようとするもの(弁護士)は確かにありますね。これに対してこちらも言い返すと、結局本来の争点と関係ない部分の言い合いが延々と続くいわば場外乱闘になってしまい、期日だけが無為に過ぎるということがたまにあります。やはり裁判官もこれは意味のない(それ以上に時間の無駄)と思っているということがよくわかります(「カウント20で両者リングアウト」というわけにもいかないでしょうから。)。
「第2章 民事訴訟制度の焦点」では著者はさらに踏み込んでいます。
特に
第2章 裁判官とそのあり方
第3章 弁護士とそのあり方
第4章 研究・教育者とそのあり方
については、関係者からの異論もあるとは思いますが、特に裁判官の実態を知らない者にとっては非常に興味深く読むことができました。
また、東京地裁のような大きな裁判所においては、裁判官と弁護士が常に初顔合わせという状況のため、専門家としての信頼関係が醸成される機会がないだけでなく「旅の恥は掻き捨て」的な弁護活動を行う弁護士が多くみられるといいます。
確かにかなり問題のあると思われる弁護士の話を仄聞することはあります。
また「第8章 本人訴訟と特別訴訟手続」では、(筆者の経験した東京地裁などの大規模地裁では)本人訴訟には主張立証活動において、またそもそもの訴訟自体にかなり問題があるものが多いこと、それに対応するための特別訴訟手続きの提言をされています。
確かに実感としても「訴えてやる!」とおっしゃる方や実際に本人訴訟を起こされる方も増えてきているように思っていたのですが、実際にもかなりの数に上っているようです。
訴えられる側としてもまともな主張ならこちらもあえて争わない(通常は法律紛争になる前に決着するのが企業活しても誠実かつ合理的)のですが
(3) 原告本人に特別な問題があるわけではない(日常生活上は、性格の若干のかたよりはあったとしても、ごく普通の市民として過ごしてきたと思われる)が、その訴えには、法律面、事実面で大きな無理があり、しかしながら、原告は自己の主張の正しさを固く信じている場合(性格傾向としては非常に思い込みの強いタイプの人々であり、それなりの地位も持っている[いた]場合が多い。いわゆるワンマンタイプの自信家達である。)
(p.687 同章 一.本人訴訟-理想と現実 2.本人訴訟の実情)
という方が増えているのは実感するところです。
また、以前簡易裁判所の裁判官から聞いた話では
(4) (3)に準じるが、紛争の経緯、訴えの内容、訴え提起の目的等において通常の事案とは質の異なるものが感じられれ、原告の性格や精神状態にもある種の問題を感じることがある場合
(p.688 同上)
というのもかなりあり、最初は弁護士(や弁護会の法律相談)に相談しても弁護士が受任をいやがり、「本人訴訟という制度があるので裁判所に行くと詳しく教えてくれますよ」と振られることも多いそうです(冒頭の「受任にふさわしい事件の選別」の反面になるわけですが、筆者はこれに対して現状の当事者主義と厳密な争点整理に基づく民事訴訟手続にかわり、立法論としての特別訴訟制度を提言しています。)。
ここの本人訴訟の分類は上の2つを含め「(1)通常の事件と同様の進行を図りうる場合」から「(7)いわゆる訴訟マニアの場合」まで7つに整理されていて、膝を打ったり思わずニヤリとしてしまう表現もあって楽しめました(楽しんでいる場合ではないですがw)。
本人訴訟の増加は「○○法律相談所」的なテレビ番組の影響などもあるのかな、と思っているのですが、今後は団塊の世代が定年退職するに伴い、「プライドがあって理屈も立ち、暇と金はある」という方が増えてくるのでますます増加しそうな予感もします。
それやこれやで750ページ、お腹いっぱい楽しめる本でした。