一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

途上国の経済成長および援助をめぐる問題についての本2冊

2007-01-30 | 乱読日記
映画『ダーウィンの悪夢』についてこちらこちらのエントリでクサしてしまったのですが、そこでも書いたように、自分自身発展途上国の問題(特にその原因とか周辺状況)について知らなかったということへの反省もありイースタリーの『エコノミスト南の貧困と闘う』を読みました。

著者は世界銀行のエコノミストとして途上国への援助についての研究や提言をしていた、本書の出版を機に(世界銀行を追われて、という見方もある)NYUの経済学部の教授に転身した開発経済学者(という言い方でいいのかな?)です。

今までの途上国への援助がなぜうまくいかなかったかについて、「人々はインセンティブに反応する」という経済の原則をもとに、今までの世界銀行の施策も含めて一刀両断にしています。

独裁政権や汚職がはびこる国であったり部族間対立や貧困の格差の大きい国においては、工場や機械への投資や教育への投資が成長へのインセンティブにならず、また、債務免除も無責任な政府に対しては経済や財政を立て直すのでなく新たな借金をする方向にしかインセンティブとして働かない、ということを、実例を交えながら分析しています。

そして、筆者は、援助国(機関)、途上国政府、途上国の国民それぞれが成長に向けてのインセンティブを共有するようなしくみが必要だと提言しています。 


この本と同時に買ったのがスティグリッツの『世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す』です。

著者はクリントン政権の経済諮問委員会の委員長の後世界銀行の総裁になり、2001年にノーベル経済学賞を受賞しています。

スティグリッツの分析はさらに身も蓋もなく、イースタリーの分析したような「誤ったインセンティブ」自体が、じつは先進諸国、特にアメリカの利害に適合する、つまり、先進国(特にアメリカ)は「途上国に対して誤ったインセンティブを与えるインセンティブ」を持っている、そしてそれをIMFのや世界銀行のような国際機関が後押ししているということを分析します。

たとえて言えばこんなことです。
天然資源(たとえば石油)の豊富な途上国に対し、油田開発のための資金援助や融資を行うと、石油の輸出によってその国の通貨価値は上がり、反面その国の輸出産業の競争力は減る、しかし(往々にしてそういう国にありがちな)独裁政府は資金を国の経済発展に使わず、結局債務返済ができなくなる。このようなときにIMFはその融資に乗っかった欧米系の銀行の圧力もあり、デフォルトさせないように債務の返済を迫り、これに対して政府は油田の権利を売却することで債務を返済しようとする。しかしこれは(国の予算としては簿価=0の収益ではあるが)将来の収入を現在の債務の返済に充てているだけであり、国全体としてはさらに困窮の度を増すことになる。


イースタリーの本が、途上国の立場からのインセンティブの分析であるのに対し、スティグリッツの本は、援助国側のインセンティブの与える(悪)影響を分析しています。

では両者が事象の両面から同じ事を言おうとしているかというとそうでもないようで、イースタリーは結局貧富の差があったとしても、経済成長へのインセンティブが正しく働き国全体が経済成長を遂げれば、末端にまでその恩恵はいきわたる(=トリクルダウン)という立場に立っています。

一方でスティグリッツは、「経済学の研究は既にこの効果を否定している」と特に説明もなく切り捨てています(私はなぜそれが否定されるのかについては知識がないのでよくわかりませんが)。
そして、援助国・債権国の立場としては「公正さ」が必要だと主張します。
 
たとえばアメリカの援助のありよう--IMFとともに民間の投融資をして自らの投下資金の回収しか考えないところや、自由貿易を主張しながら、国内の農業に補助金を大量に出し、補助金漬けの世界一安価なトウモロコシを輸出し、他方途上国の未熟練労働力により国内の雇用が脅かされるとダンピングと認定し関税をかける行為--を批判します。


イースタリーの本が途上国の現場レベルの絶望的ともいえる山積した問題点を提示するのに対し、スティグリッツの本は「米国=諸悪の根源」的な見方をサポートするという点で、ある意味日本人としては気持ちよくなれる本ではあります。

ただ、ここで批判されているアメリカの姿勢は、日本も多かれ少なかれとっている姿勢でもあります。
たとえば「食糧自給」の問題や安価な労働力を求めての工場の中国への進出に伴う「空洞化」に対処する措置は、結局途上国の成長を抑える方向に働きます。


それやこれやを考えてみると、私(たち?)の中にも本心では(とてもいやな言い方になっちゃいますが)「自分の生活(幸福)を侵害しせず、かつ自分の良心が痛まない範囲」までの<経済格差の一定限度内での解消>を望んでいる気持ちがあるのかもしれないな、とふと考えてしまいました。
(「格差社会」についての考えも、それに似たような発想はあるのかもしれませんね。そのへんはまた機会があれば。)



私のヨタ話はさておき、お勧めの2冊だと思います。















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