一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

考えつづけること

2005-06-17 | よしなしごと
昨日の記事へのHardWaveさんのコメントをいただいて考えた事。

マスコミばかりでなく、受け手側も二次元的構図を受け入れやすい(それしか受け入れない)ところがあるのではないか、というご指摘。

確かにわれわれ自身、身近な問題でも善悪二元論で整理することが多いですね。
必ずしもマスコミの影響、というだけではなく、学校のホームルームで「掃除当番をサボる人はいけないのでやめましょう」というあたりから「何が正しい」「何が悪い」という白黒をつける癖がついてしまっているのかもしれません。

子供の教育(社会の基本的ルールを習得する)には善悪の区別が大事なのですが、大人になって世間とふれるようになると「どちらにもそれなりのいい分がある」というところが多く、それに適応することが求められるわけです。

昔、高度成長期の頃は、既存の権威や既得権益をもつ人の意向を信じてわき目も振らずに働けば皆が豊かになってハッピーだったわけです。
しかしバブル崩壊以降(低成長期、または日本が成熟した?)は、既存の権威がゆらぎ、皆困ってしまったわけです。

特に、低成長期になると、一所懸命働かなければいけないし、同時に自分の一所懸命の方向性が正しいかどうか自体も検証しなければいけなくなってしまいました。
資格取得ブームなどはこの典型ですね。

でも、「常に考えつづける」ということは相当しんどいことで、それが限界に来ると、逆に判断停止をしてしまい、価値基準を他人に依存する局面が出てきがちになります。
(うつにならないためには、脳の防御反応としては正常なのかもしれません)

なので、以前にも増して、なにか躓いた人々に対するバッシング(政治家、官僚、JR、日本航空etc)が激しさを増しているように思えます。

それが若貴問題のようなワイドショーネタならいいのですが、国のあり方にかかわる問題も善悪二元論で議論されているところが、ちょっと心配です。

郵政民営化問題などはその典型で、「人生いろいろ」などと言いながらもYesかNoかという判断を常に迫る小泉首相のスタイルは(ある意味時代の流れに乗っているのかもしれませんが)これからの日本を考えるに当たっては国民がそろそろ卒業すべきなのかもしれません。

さらにもっと悪いのは「悪者」を見つけられないで、しかも何となく具合が悪い状況になると「全員がいい」または「全員が悪い」というところで判断停止してしまう事です。

最近の日中関係、特に歴史認識問題なんかそのものですね。

また、ホリエモンの「金で買えないものはない」発言をめぐる議論にも、そういう原理主義的対立の構図を感じます。
貨幣は何でも買えるから貨幣なんだけど、逆にそれ以上のものではないのに、貨幣価値だけで幸福とか成功を定義できるかどうかという不毛な議論が多すぎるような感じがします(だって、世の中成金と清貧だけしかいないわけじゃないですから・・・)


なんかとりとめがなくなってしまいましたが、多分これからの世の中はもっと複雑になってくるの中で、思考停止をしないこと、考えつづける事が大事になってくると思います。

たとえば「外資外資と言ったって、日本の不動産に投資したら持って逃げるわけに行かないのでお金が落ちて活性化するのは日本なんだから」という星野リゾートの社長さんのような柔軟な考えがこれからは求められるんでしょう


そう言う意味では、blogが普及して、いろいろな人のいろいろな考えに触れることができるよになったことはいいことですね。
コメント
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