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一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

人気者も楽じゃない

2006-10-21 | 余計なひとこと

ディープインパクト:薬物問題で「余生」どうなる?
(2006年10月20日 10時53分 毎日新聞)

シンジケートは、種牡馬に種付けしてもらう権利を共同で所有する仕組み。種付けがうまくできないなどのリスクを回避するためで、日本中央競馬会(JRA)などによると、参加者は50~60口に分けた株(種付け権)を購入し、1、2回の種付けを3~6年の間にしてもらう。通常は、馬主や生産牧場が複数株を優先的に所有し、残りを他の参加者で分ける。  

ディープの場合、1株8500万円で期間5年の60口のシンジケートが組まれた。また、優秀な競走馬の場合、株保有者以外にも「余勢株」と言われる種付けもする。 種付けは多い場合、年間計150~200回といわれ、ある中央競馬関係者は「余勢株は既に1200万円の値が付いた。業者間で争奪戦が始まっている」と断言する。  

昨日の上海蟹 もそうですが、禁止薬物が国によって異なるという現状がある以上、慎重さは必要だったように思います。  


それよりも太字の部分。  

種牡馬というのは、買った負けたの世界からは脚を引いて、子孫繁栄を楽しみにする楽隠居のようなもの、と思っていたのですが、年間150~200回となるとそれはそれでけっこう大変そうですね。  

しかも、こちらを見ると、種付けは人工授精でなく、しかも季節が2月から7月に限定されているようです。 
となるとほぼ毎日登板ということですね(藤川球児のようだ・・・)  

コンディション(体調と気力?)を維持するのも大変そうです。


金がからむとなると、本人は隠居したくても周りが放っておかないというわけですね。


人間だとしたら女性でなくて男であっても6ヶ月で200回の性交を強要したら性的虐待になるように思うのですが、これも一種の動物虐待ではないのでしょうかねぇ。

欧米の動物愛護団体は問題にしないのでしょうか。

*********************

<付記>
以前のエントリで耐用年数からみた種牛の激務についてふれたのですが、馬の耐用年数は

競走用  4年
種付用  6年

となっています。

途中で用途が変った場合、償却年数は伸びるんでしょうかねぇ・・・ 

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外務省、しっかりせい。

2006-10-15 | 余計なひとこと

外交官の手当足りない? 財政審で議論
(2006年10月13日19時31分)

海外の大使館など在外公館に勤める職員の手当を積み増すかどうかについて、13日の財政制度等審議会(財務相の諮問機関)で論議された。外務省が「最近の円安で実質給与は下がっている」として大幅増額を求めるのに対し、否定的な意見が相次ぎ、財政審の西室泰三会長は同日の記者会見で「(増額要求は)断るべきだ」と語った。

外務省は、条件が近い大手企業の海外駐在員に比べ給与が2~3割低いデータを提示。「自宅に外国人を招いてのパーティーなど事実上の外交活動に支障が出ている。借金で経費を賄っている職員もいる」(在外公館課)として07年度は10%の手当増額を求める。  

知人の役人で在外公館への出向経験のある人間に聞いたのですが、彼のような他省庁からの人間(書記官クラス)は、赴任前から「外交官の心得」などの研修を配偶者とともに受けさせられ、赴任したらで大使館・領事館に飾る生け花を奥様たちが順番で生けたりと、なにくれと大変だったようですが、キャリアの外交官はけっこう優雅な生活だったようです。

彼が言っていたのは、大使・領事クラスは確かにパーティーが仕事のようなものだけれども、それは全部官費で賄われる。 
問題は1等書記官クラスで、確かに情報交換や人脈を広げるために私費で駐在国の役人や他国の外交官を会食に招く人もいなくはないが、最近は外務省キャリアにも「祖父の頃から外交官」というような人は少なく(まあ、そもそも論としてはそういう世襲制の是非もあるのですが)、結構キャリア同士で結婚して、それぞれ別々の国に単身赴任、という人が増えているそうです。  そうすると「私は単身だから」と自宅でのパーティーなどは開かずに、海外赴任手当てをダブルで享受する、なんて人もいるそうです(そうすると一財産できるらしい)。  

だったら手当てをやめて、自宅だろうと公式だろうとパーティ費用は官費で精算して監査を入れよう、という流れになってしまうのは当然。  

個人的にはそういうインフォーマルな人間関係構築は外交官としては重要だと思うので、透明な「精算」でなく不透明な「手当て」という中で賄うことには反対ではありません。
何でも予算や決裁が必要であとからは監査が入る、というのでは、
ただ、運用する方がサラリーマン根性丸出しで役得としか思っていないのであればダメですよね。  


昔の外交機密費の「上納」問題あたりから、外務省職員は外交官の特権性を自ら貶めているような気がしてなりません。 
自分で自分の首を締めるってやつですね。  

民間企業の海外駐在員との比較を外務省の方から持ち出している時点で既に負けているように思います。 
読売新聞の報道でも  

しかし財務省は「大企業は東京での給与水準も高く、在外公館の給与が低いとはいえない」(主計局)として、手当の削減を求めている。  

と、民間企業との比較を云々されている始末(こっちのタイトルは「やはり高い!ワシントンの大使館給与は国内の1.7倍」ですから、記事のトーンもご想像の通りです)。  

財務省相手でも「算盤勘定だけしている奴に国家を背負った外交活動の現場の何がわかる!」と一喝できるくらいの気概と実績があれば、手当ての増額といっても変な公共工事を数箇所削るくらいの予算は通せると思うのですが。


手当ての多寡より、それを問題にされてしまって言い訳に汲々としている外務省の体質(または「信頼の蓄積」が底をついていること)のほうが国にとっては問題なのではないかと思います。

近場の外交問題もキナ臭さを増している昨今、外務省にはしっかりしてほしいものです。

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天皇家は江戸っ子ではなかったし、その必要もない、というはなし

2006-10-14 | 余計なひとこと
このブログに鋭いコメントを頂戴し、私もよくお邪魔しているbunさんのブログの「英語学習におけるカタカナのたちの悪さについて」というエントリを拝見してなるほどと思いつつ、発音自体が存在しない場合はもっと困るよなぁ(たとえばフランス語では"h"を発音しないので、"monsieur Hayashi"は(カタカナで言うと、ですがw)「ムシュー・アヤシ」になったりします)などと考えていて、

ふと思い至ったのが


  「秋篠宮悠仁親王」


の「ひさひと」の言いにくさ。特に「ひ」と「し」の発音を区別できない生粋の江戸っ子泣かせです。

まあ天皇家は下町育ちではないので生粋の江戸っ子への配慮など命名に際し端っから頭にはなかったでしょう(明治天皇までは京都の生まれなので三代続いて「江戸っ子」と名乗れるのは今上天皇が初めてですし)。
というより、そもそも自分のいるところが都なんだから「江戸っ子」なんてわざわざ名乗りたくもないでしょう。


さて、とても長い枕でしたが、これからが本題


東京一極集中の弊害を避け、地方経済の活性化のために忘れた頃に首都機能移転がとりざたされますが、首都機能を移すとなるとインフラ整備だけでも大変なのでなかなか決まりません。

ならいっそのこと、首都機能を移す代わりに天皇ご一家が御座所を移られたらいかがでしょうか。

特に天皇は行政上の首都を御座所にする必要はないようです(少なくとも皇室典範にも決まりはありません)。
(余談ですが、そもそも明治天皇も大政奉還に伴い京都から江戸に移る必然性はなかったわけですよね。象徴的な意味なら江戸城を開城させてとりつぶしてしまったほうが良かったかもしれないわけで。)


御所は地方中核都市には城址の広い敷地があるのでそこを使えます。
また親王・内親王の教育施設については各地方の名門校があります(学習院がなければいけない、というのじゃ本末転倒ですよね)。
東京でなければできない公務というのは限られてると思います。
国賓を迎えるときは迎賓館または今の皇居をお使いになればいいですし、場合によっては御所にお迎えして郷土料理をふるまう、なんてのもいいんじゃないでしょうか。
大相撲だって今でも名古屋、大阪、九州でもやってるので、観戦に支障はないと思います。
もし〇〇の料理が食べられなければいや、とか××ブティックがなければ困る、というのであれば、店の方から引っ越してくるはずです。学習院だって分校を作っちゃうかもしれませんよね。


そして、首都機能移転ほど費用はかからないので、10年おきに国内で御座所を変えていけば満遍なく地域の活性化につながると思います。

妙案だと思うのですが・・・

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太陽政策

2006-10-13 | 余計なひとこと

今回の北朝鮮の核実験は、中国からも一定の距離を保って自立し、アメリカと対等な立場で対話を迫るという瀬戸際戦略が、結果自らを追い詰めるとともに中国の支持も失いつつあるというように解説されてます。
まあ、実際そんなところなんでしょう。

で、困ったのが「在韓米軍問題などでアメリカとの関係を悪化させながらも太陽政策」を掲げてきた韓国の盧武鉉政権。
韓国国内でも批判が起こって、苦境に立たされているようです。


とまあ、そのへんはニュースとか解説の受け売りなのですが、ひょっとすると太陽政策への(少なくとも今までの)国民の支持は、北朝鮮への同胞意識だけでなく、金正日政権崩壊後をにらんでの選択なのではないか、というのが今日の思いつき。

つまり、遅かれ早かれ金正日政権は崩壊するが、その場合に中国政府の介入を招いて親中国政府ができてしまい、民族統一が遠のいてしまうのを一番おそれているのではないか。
北朝鮮内部でクーデターが起きるとか金正日が死亡するなどで北朝鮮が混乱した場合に、後継の政権(なり、内乱が起きた場合の有力な勢力)が中国でなく韓国政府と連携したほうがメリットがあると思わせることが大切で、長年経済・軍事援助をしてきた中国以上に信頼されるには、多少アメリカや国際社会の批判があっても「親北朝鮮」をアピールしつづけることが必要だ、と考えているのではないか、ということです。

盧武鉉大統領自身は来年の大統領選挙に勝たなければ意味はないので、そこまでの長期的視野に立っているのかわかりませんが、韓国国民はそんなことも考えているんじゃないのかな、とふと思った次第です。

まあホント単なる思いつきなんですけど。


でもこの場合の(特に日本にとって)最悪の展開はミイラ取りがミイラになって、南北揃って国際的に孤立することなんですよね・・・
さすがに韓国国民もそんな選択はしないと思いますが。


ところで切込隊長のところで見つけた記事
中国、東北虎 620頭を中朝国境地帯で放し飼い準備

中国は現在、絶滅の危機に瀕している '東北虎'の個体数保護のため、人工飼育している 620頭余りを野生の状態で生存するように訓練を経て放し飼いにする計画だ。 東北虎人工飼育団地の関係者は “黒龍江省ハルピン市で飼育されている東北虎は、野生生存訓練を受けた後、 中国と北朝鮮の国境地帯 15haの森林に放し飼いにする計画だ” とし (以下略)

不法移民対策としては対人地雷を敷設するより手間がかからないし環境にも優しい、というなかなか笑えない発想だったりするんでしょうか・・・

PS 中国としては、南北統一されてから丸ごとパクっと、という発想だったりして。

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「あらた」と「みすず」

2006-09-04 | 余計なひとこと

監査の質で業界首位に 旧中央青山の「内紛」否定
(2006年 9月 4日 (月) 19:42 共同通信)

米有力会計事務所のプライスウォーターハウスクーパース(PWC)グループで、旧中央青山監査法人(現みすず監査法人)から多くの監査契約企業を引き継いで発足した「あらた監査法人」の高浦英夫代表執行役(57)が4日、インタビューに応じ「監査の品質で業界ナンバーワンを目指す」と決意を語った。

あらた監査法人設立の背景について、高浦代表は「(カネボウ粉飾決算事件をきっかけに)PWCが日本に提携先の監査法人を2つ持つと意思決定したことが大きい」と指摘。旧中央青山の「内紛」が原因とする監査業界内での一部の見方を否定した。

といっても移籍したメンバーはほとんど合併前の元青山監査法人の代表社員のグループだとか。
もともと青山とPWCの関係は深いので、元に戻っただけ、と考えればいいのではないでしょうか。

統合したものは二度と分離できないわけではないですし、これを「内紛」か否か議論するのは不毛な感じがします。
高浦代表にも「いやぁ、もともとそんなに仲が良かった訳じゃないですから」くらいの切り返しを期待したかったですが。


ところで残った中央青山は「みすず監査法人」に名称変更しました。
さすがに「中央監査法人」に戻すわけにはいかなかったのでしょう。
HPをみると「みすず」の由来は

 「みすず」は、山地に群生する笹を意味しており、根強く地に生え勢いよく伸び、また、力強くしなやかなことから、変革を成し遂げながら成長し、さまざまな課題にも柔軟に対応する法人を目指すために、当法人の名称と致しました。
  また、ロゴマークは笹の葉をモチーフにした船をイメージしており、新しい航海への船出、嵐に耐え抜く力強さ、しなやかさを表現しています。ロゴマークの色は、はつらつとしていて、さらに新鮮なイメージのグリーンとブルーとしています。


「あらた」もそうですが、ここのところやまと言葉系の社名が流行りですね。


早速「みずほ」や「いすず」とまぎらわしい、とか「みそぎ」とか「笹薮の中」などと揶揄されそうですが・・・

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「『悪者』であるための実存的努力について」への補足

2006-09-01 | 余計なひとこと
前のエントリを読み返すと、話が拡散してしまっているので若干の補足を。

前のエントリではバッシングする側、される側の論理という方に話が展開したのですが、もう一つ言いたかったのはホリエモンなり村上氏なり三木谷氏が「おのれの自己同一性を実存的な努力によって構築せねばならず、にもかかわらず、そうやって獲得したものはそのつど無価値なものという宣告を受け、あらたな獲得目標に向けての競争に駆り立てられる」という努力をあるところで止めてしまったために、魅力が薄れてしまったのではないか、ということです。

ライブドアも楽天も、株式公開をして多額の余剰キャッシュを得た後、株価を維持・上昇させることが自己目的化してしまい、買収したキャッシュフローを生む(主に金融)子会社の収益に下支えられた決算と「次のM&A」による話題作りという似たり寄ったりの会社(よく見れば違うのでしょうが)になってしまいました。
(ホリエモンは注目を浴びるようになってから、自分個人についての脱構築を続けていたのかもしれませんが、ライブドアという企業は取り残されてしまいましたよね)
村上ファンドは東京スタイルなどで「物言う株主」として脚光を浴び、資金が集まりだしてからは、表の顔を維持しながら多額の資金を運用するために、きわどいことをするようになったわけです。

結局は皆、巨額の金を手にしたものの、それを制御しきれるだけの事業の継続的な革新ができなかった(そもそもそんなことが可能なのかどうかわかりませんけど)ことが「虚像」などといわれてしまう結果になった、ということではないかと。



それからもう一つのポイントは「実存主義的にゼロ」であることの選択、または実存主義的な努力を回避するための誘惑(=「自分は○○だ」と定義してもらうまたは定義する必要もないくらいに楽な地位に身を置くことへの誘惑)です。

これはサラリーマン(被用者)など何らかの組織や社会的カテゴリーに属していることの安心感を生み出すわけです。

私はそれが必ずしも悪いとは思わないのですが、そこの安心を得るのと引き換えに失うものも出てくるということも、頭の片隅に置いておいた方がいい、という自戒です。
つまり、安心と引き換えに考えなくなってしまう、または思考の枠組みが制限されることに無自覚になってしまう、ということです。

具体的には「バカの壁」であったり、それぞれが自分の塹壕にこもったまま手榴弾を放り投げるかのような2ちゃんなどでの荒れる現象であったり、もうすこし前向きな例としてはモトケンさんのblogで盛り上がっている医療崩壊における医師の(刑事)責任追求のあり方に関して医師の方と法律家の方が(誠実に議論しながらも)議論をすりあわせるのに苦労されていることに現れています。


ホントこれは、自分自身に対して一番意識しないといけないことだと思います。
(でも、私は天邪鬼なのでついつい「起業家」とカテゴライズされる起業予備軍の人々が、カテゴライズされること自体の論理矛盾に潜む危うさに気づいているのか、などとつっこみたくもなっちゃうんですよねw)
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「悪者」であるための実存的努力について

2006-08-31 | 余計なひとこと

ホリエモン、村上氏に続いて噂どおり三木谷氏にお鉢が廻ってきたあたりで「ヒルズ族」バッシングについて、ちょうど今読んでいる内田樹『私家版・ユダヤ文化論』の中で、サルトルの反ユダヤ主義の分析をきっかけとした以下のくだりがひっかかりました。

「反ユダヤ主義者は自惚れない。彼は自分のことを中位の人間、真ん中よりちょっと下くらいの人間、ありていに言えばかなりできの悪い方の人間だと思っている。反ユダヤ主義者が自分はユダヤ人より個人的に優れていると主張した例を私は知らない。しかし、彼はそのことをまったく恥じてはいないのである。彼はその状態に満ち足りている。その状態を彼は自分で選んだからである。」

反ユダヤ主義者とは自分が何者であるかをあまりに深く確信しているために、それについて考える必要のない人間である。(中略)彼は「ここ」にいるという事実によってすでに「ここ」にいる権利を確保し終えている。だから彼は誰に対してもアカウンタビリティを負わない。(中略)端的に「考える」ということ自体を彼は必要としないし、誰も彼にそれを求めないのである。


「○○バッシング」は「出る杭は打たれる」という日本特有のやっかみの風土が背景にあるとも言われますが、自分を「普通の人」に位置付けることの気楽さというのは人間の立ち位置の選択として本来魅力的なものなんですね。
そして現在ではマスコミは「市民の声」を代弁してくれるし、検察も一般国民の基準を代弁してくれるわけです。
たとえばこんなこと

「実のところ、僕たちは適用基準を決められない。時々の一般国民の基準で適用基準は決めなくてはならない。僕たちは、法律専門家であっても、感覚は一般国民の正義と同じで、その基準で事件に対処しなければならない。」
(佐藤優『国家の罠』での検事の発言)

「市民」「一般国民」(「一般でない国民」は何か、はここでは考えないことにします)「庶民」というのは(その前段階としての「市民革命」などの近代的「市民」概念との混同も含め)民主主義社会においてア・プリオリに正しいとされがちな言葉であるという部分も、この立ち位置の選択に寄与しているのかもしれません(または逆にそういう市場があることの結果?)。

でも、そこには近代市民社会をかちとった「市民」の緊張感はありません。
ウチダ先生の本の続きの部分に戻ると

 人間はおのれの属性のすべてを状況に身を投じることを通じて主体的に構築しなければならない。歴史的状況との相互規定を通じて構築されたのではないような属性は存在しない。サルトルの実存主義とはまさにそう教えるものだった。だとすれば、反ユダヤ主義者とは、実存主義的にゼロであることを主体的に選択した人間だということになるだろう。
 ならば、その逆に、ユダヤ人こそ、その語の真の意味における「実存主義者」だということにはならないだろうか。
 なぜなら、本質的に赤貧であるユダヤ人はおのれの自己同一性を実存的な努力によって構築せねばならず、にもかかわらず、そうやって獲得したものはそのつど無価値なものという宣告を受け、あらたな獲得目標に向けての競争に駆り立てられるからである。
(下線は原文では傍点)

ヒルズ族バッシング」の一つの動機は、時代の先駆者であった(あると思われていた)彼らが、実は「実存的な努力」により自己(その投影としての事業)を構築していたのではなかった、ということにあったのではないか、と思うわけです。

たとえばマネーゲームの世界でひたすら実存的努力を続けている外資系投資銀行などは、ハゲタカ(とかそれこそ「ユダヤ人」)という非難をされています。
ただ、ライブドアや村上ファンドなどは、そこまで到ってなかった(=単なる不正だった)わけですね。
そのこと明らかになってしまったことへのある種の落胆がバッシングに拍車をかけているのではないかと。

つまり「市民の敵」「格差社会の根源」というような本格的な悪者が登場すれば、(たとえばフ●ーメー●ンなどのように)常にヒルズ族を悪者にすることで、実存主義的にゼロである私などの「一般市民」は気楽な生活をおくることができたわけです。しかし、彼らが単なる一過性の悪者に過ぎなかったことで、私たちは次の責任者を探す必要に迫られてしまったわけです。
(世の中を悪くしている原因者、黒幕としてよく引き合いに出されるのは「大企業」「官僚」「マスコミ」であって、暴力団とかカルト宗教は世の中の悪さの一例ではあっても原因にはされないということと同じです。)


取り上げられる事象がインサイダーとか利益供与とか薬物使用とかヒルズ合コンとか単純な犯罪とか不祥事に矮小化されているのがその証左ではと思うのですが。

ちょっと前は「ホリエモン/村上ファンドは日本の社会/株式市場を変える力がある」という前提で、その変化の方向が本当にいいのか、という議論がなされてませんでしたっけ。


PS 引用した本についてのエントリはまた後日(予定)

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TBSと楽天の業務提携の進捗について

2006-08-10 | 余計なひとこと

まずは(出遅れた感がありますが)亀田興毅選手のタイトルマッチについて。

翌日のテレビでのダイジェスト(ダウンのシーンや押し込まれているシーンが中心)でしか見ていないので、実際どっちが優勢だったかはわからないのですが、多くの人は判定を「微妙」と思ったようです。

これについては判定への疑問や「出来レース」疑惑がささやかれているのですが、出来レースがあったとすると

① 対戦相手と話がついている(要は八百長)
② 審判に因果を含めている

の2つが考えられます。
ただ、もし①ならそもそも今回のように判定でもめるようなことにはなっていなかったはずです(亀田選手が、相手が思っている以上に弱かったのでこのようになった、ということは理論的にはありえますが)。
また②だとすると「亀田選手が少なくとも五分の戦いはする」という前提がないと「工作」は成り立たない(亀田選手がKO負けしてしまったら元も子もない)わけです。
でも、そんな前提で「工作」するのは間が抜けてますよね。

なので、亀田選手サイドに対しては「前評判ほど強くなかった(すっきり勝てなかった)じゃないか」という評価はされても仕方ない(="Big Mouth"の宿命)と思いますが、それ以上の文句を言うのは酷かと思います。

WBAは判定ルールのわかりにくさと「父親へのチャンピオンベルトの用意」などという配慮が公正さを疑わしめたという部分はあると思いますが、それ以上に審判の判定の公正さを疑わせるような配慮をしても得るものがないのではないかとも思います(日本の軽量級のタイトルマッチがそれほどドル箱なんでしょうか?)。

わからないのがTBSです。
大晦日に恒例のレコード大賞を1日前倒しして、亀田選手の「初防衛戦」の中継を予定していたとか。

なぜ亀田選手が世界チャンピオンになるという確信が持てたのか?
負けていたとしたら一体どうするつもりだったんだろう?

というところが「TBSが仕組んだのではないか」という疑惑のもとになっているように思います。

私もTBSが「大晦日勝負」をどういう根拠で決断したのか興味があります。
上で述べたように、「審判員への工作」があったとしても不確定要素が残るわけで、大晦日に勝負をかけるにはリスクが大きすぎるような気がしますので。


それとも、工作もなにもなく「亀田選手は勝つに決まっている」と素直に確信していたのでしょうか。




そうだとするとTBSは既に相当「楽天的」な会社になっているのかもしれませんね。



おあとがよろしいようで・・・

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非行でなく愚行であることが問題

2006-07-15 | 余計なひとこと

熊谷農高で爆発、5人やけど コールドスプレーに着火か
(2006年 7月14日 (金) 20:03 朝日新聞)

14日午前10時40分ごろ、埼玉県熊谷市大原3丁目の県立熊谷農業高校のバスケットボール部の部室で爆発があり、16歳の2年生の男子生徒5人が病院に運ばれ、入院した。いずれも顔や腕にやけどを負い重傷。生徒は「暑かったので、室内でコールドスプレーをまいた」と話しているという。(中略)

熊谷署の調べでは、生徒が、筋肉痛などに使うコールドスプレー6本を部室内でまいた後、一人がたばこを吸うためライターで火をつけたところ、爆発したらしい。

同高によると、当時は進路指導の待ち時間で、5人はバスケットボール部員ではなかったという。爆発後、学校から「理科の実験中にガスボンベが爆発した」と119番通報があったという。

つっこみどころは下線部のあたりなのですが、部室でタバコを吸っているとか、学校の事なかれ主義(または事実確認のいいかげんさ)はさておき、物理・化学の基礎的な知識の習熟が期待されるであろう農業高校の生徒が、コールドスプレーがなぜ冷たく感じるか(=気化熱)すら知らないというところがとても心配です。

これがタバコを吸わずに引火しない代わりに肺に吸い込んで、集団で倒れたりしたら「テロか!」などともっと大騒ぎになったかもしれませんね。


学校も生活指導の前に、基礎教育をきちんとやる必要がありますね。
逆に生徒も学校の勉強も少しは役に立つどころか、基礎的なことを知らないと命にかかわるということが身にしみたことと思います。



ひょっとすると世の中にはコールドスプレーを部屋に撒いている人が結構いるのかもしれませんから、メーカーは早速スプレー缶に注意書きを印刷しないと訴えられる可能性があるかもしれませんw(←笑い事ではないか)

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こういうときにこういうことを言うのもどうかとは思うのですが

2006-07-05 | 余計なひとこと
朝のエントリが尻切れトンボになってしまいましたが、サッカーの方はミサイル情報に枠取り(選挙の開票速報のように)されながらも緊迫した好ゲームが最後まで続きました。

最後のチャンスと思われたPKでドイツ守備陣の一瞬の隙をついてイタリアの足技が冴えましたね。
ピルロのパスも見事でしたが、ブッフォンも一瞬フリーだったとはいえダイレクトで狭いところをしかもカーブをかけた美しいシュートでした(レーマンの精一杯のジャンが美しさに花を添えました)。


両チームとも運動量が豊富で、多彩な攻撃と固い(積極的な)ディフェンスで攻守の切り替えの早いとても面白い試合でした。

でもボドルスキーは眠れなかっただろうな・・・



さて、ミサイル問題ですが、日本としては(万景峰号はさておき)2国間での経済制裁とか6カ国協議や国連安保理などの枠組みを通して厳しくとがめだてすることになると思います。

これがイスラエルだったら、いきなり発射基地を空爆するところでしょうが、日本としては(というかまともな国は)そういうことはすべきでないと思います。

一方で、最近憲法(特に9条)改正が議論されているようですが(あまり詳しくフォローしてません)、これを機会にそれぞれの改正案(というのがあるんでしたっげ?まだないのかな?)だとしたら何が出来るのか、これが日本領土内に落下した場合にはどうなるのか、という思考実験をしてみるのもいいのではないかと思います。

憲法を変えることで何が出来るのか、じゃあそれは現行憲法ではできないのか、逆に実際には発動しないようなことまで改正して可能にする必要があるのかというあたりを十分に議論してみるほうがいいのではないかと思います。
というのは自衛権の行使とか交戦規定は憲法の条文だけから当然に導き出されるものではなく、十分な議論によって定められるものじゃないか、そして、日本の自衛権の行使については国民の意見はそんなに分かれてはいないんじゃないかと思ってます。

何か今の議論は「憲法を改正して何を出来る(すべき)国になりたいか」でなく「改正すること自体(の是非)」のほうに重きがおかれているような気がしてならないので。
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ワールドカップにおけるアジアのプレゼンス

2006-07-04 | 余計なひとこと

「FIFA公式サイトが韓国サポーター締め出し」の裏側
というニュースがありました。

韓国のサッカーファンが6月24日以降、国際サッカー連盟(FIFA)のオフィシャルサイト「FIFA.com」から締め出されている。サッカーワールドカップ(W杯)で決勝トーナメント進出をかけたスイス戦、2―0で敗退した韓国のサポーターは「誤審で負けた」と大騒ぎ。「500万人が抗議すれば再試合になる」とのうわさがネット上を駆け巡り、サポーターがFIFAのサイトに殺到したからだ。  

韓国からFIFAのサイトへアクセスすると  「Access Denied You don't have permission to access "http;//www.fifa.com/"on this server.」  というメッセージだけが登場し、サイトを利用できなくなっている(29日時点)。  

まあ、確かにスイス戦での2点目のオフサイドは気の毒だったと思うのですが、ファウルの判定はそんなに一方的だったとは思えなかったですし、前回大会での微妙な判定は韓国に有利に働いたことを考えると、あまり目くじら立てるのもねぇ、と言う程度が私の感想です。
ここでは韓国サポーターの「ネチケット」の問題を云々するつもりはないのですが、記事中一番気になったのがつぎの写真












シュートチャンスを逃して悔しがる韓国の寿司職人







写真はAP通信のもののようですが、韓国サポーターを寿司職人で代表させる程度なんですね、アジア文化への理解って・・・

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犯罪被害者とマスコミ露出

2006-06-28 | 余計なひとこと

スイス=ウクライナ戦の後、チャンネルを変えたら朝っぱらから大騒ぎだったのがこのニュースでした。


女子大生誘拐 日中韓の3人逮捕 「有名女医の娘狙った」
(2006年 6月27日 (火) 16:18 産経新聞)

しかも、事件が解決して警察署を出てきたところで親子で記者会見という映像まで流され、ちょっと異様な感じがしました。


秋田の幼児死体遺棄事件の容疑者といい、今回の被害者といい、マスコミへの露出を積極的にする人が増えてきたのでしょうか(山口母子殺害事件の遺族の男性のように主張があるならわかるのですが)


朝のテレビによると、母親の「カリスマ女医」はこの長女を出産してから離婚・医学部合格・整形外科医へといわば苦労人のたたき上げのようで、そういう人はこの事件をチャンスに変えようというくらいの根性はありそうです(しばらくしたら誘拐された娘さんを「PTSD評論家」としてデビューさせるとか)

ただ、娘さん自体がほんとにPTSDを負っているかもしれない状態でこの記者会見というのはどうだったのかなと思いました。
実際記者会見でもつらそうで、母親ほどの根性はなさそうに見受けられました。
なので、このタイミングで記者会見をした母親の判断がよかったのかどうか、テレビを見ていてちょっと心配になりました。


以下は下衆の勘ぐり。

朝日新聞の記事(これこれ)によると事件の経過は

午後0時25分 誘拐実行 
同27分 母親の携帯電話に犯人から電話。「警察に言えば殺します」  
同46分 連れ去りの目撃者が、近くの交番に通報。  
同56分 犯人から2回目の電話。身代金3億円を要求。

警視庁によると、目撃者は、バス停にいた果菜子さんにワゴン車の男が声をかける様子を見ており、直後に悲鳴を聞いた。男が果菜子さんを車内に押し込むところも目撃し、すぐに近くの交番に届け出たという。また、車種やナンバー、色も完全に覚えており、その後の捜査を大きく進展させた。

ということですが、現場の「伊太利屋本社前」バス停から通報のあった鉢山町交番まで20分というのは「すぐ」というには時間がかかりすぎのような気がします(参考 ※)。目撃者は携帯を持ってなかったのでしょうか。それとも最近問題の警官不在の「空き交番」だったのでしょうか。

ただし、その後のニュースでは犯人は逮捕のときに発砲までして抵抗したようで、通報の遅れやいきなりの記者会見やセレブの娘もバスに乗るんだ、などというのは勘ぐりすぎですね・・・


※ この辺は裏道として使うことがあるので土地鑑があるだけで、私は被害者の関係者ではありません(もちろん犯人の関係者でもありませんw)ので為念(^^;

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しつこいぞ

2006-06-21 | 余計なひとこと
早寝早起きの一夜漬け練習をしようとしたらこんな記事が。



巨人が抗議文を再提出 審判員の判定で (共同通信)







なんだったら、天覧試合からやり直しますか?
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福井総裁議論のピントはずれ

2006-06-21 | 余計なひとこと

利益総額は1473万円 総裁、報酬を一部返納へ
(2006年 6月20日 (火) 18:03 共同通信)

日銀の福井俊彦総裁は20日、村上ファンドへの投資に関係する資料を国会に提出した。2005年末の運用残高は2231万円と、総裁が民間に転出していた1999年に1000万円で始めた投資は約6年で2倍以上に拡大。2001年2月にいったん福井氏に支払われた分配金を加えると、利益総額は1473万円に上った。

記者会見した福井総裁は、投資問題で混乱を引き起こした責任を取って、今後半年間、報酬の30%を自主返納する意向を表明した。

だが、金融政策の責任者が特定のファンドで投資を続け、高い利益が出ていたことがはっきりしたことで、総裁への社会的な批判は一段と強まりそうだ。

以前のエントリにも書きましたが、私はこれは倫理観とか「脇の甘さ」の問題であって、儲けたこと=責任とは思っていません。

ちなみに「6年で2倍以上」といいますが複利で年15%程度なわけで、アクティブ運用のプライベート・ファンドであれば、それくらいの運用実績があってもおかしくないと思います。
日経平均株価で考えても2003年5月の底から2006年5月のピークで倍以上になってるわけですから。


なんか議論の方向性がずれているように思えて仕方ありません。


地下鉄の売店の夕刊紙の広告で「福井総裁 資産1億2000万」とあったのですが(買ってないので内容未確認)日本の金融政策のトップの人が70歳でこの程度(売れっ子の弁護士とか外資系投資銀行のMD(他にもいろんな業種でもいると思いますが)なら年収程度)の資産形成しかできない、ということのほうが問題なような・・・

*******************
(追記)
話が乱暴になってしまいましたが、結局私の言いたいことは、以下の通りです。

① 福井総裁の行為は日銀総裁として見識に欠け不適切(利益を上げた事でなく、就任時に解約せず、この2月に解約した事)。

② ただ中央銀行の総裁を後任のあてもなくいきなり辞職させるわけにはいかない(より市場からも信任される適切な後任がいるのであれば辞任したほうがいい)。

③ 野党も福井総裁の責任(=首を取って喜ぶ)のでなく、任期中にスキャンダルに巻き込まれないような人物を日銀総裁(なり経済政策に携わる政府高官)に選任するためにはどのようなルールを作るべきか、ということを議論すべきでないか。

コメント (2)
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往生際

2006-06-13 | 余計なひとこと

サッカーでなく野球の話

巨人:ホームラン取り消しで抗議文 セ・リーグに提出へ
(2006年6月12日 19時46分毎日新聞)

巨人は12日、李スンヨプの本塁打が取り消されたロッテ戦(11日)の判定を誤審だとして、セ・リーグに対して抗議文を提出することを発表した。
巨人は、一塁走者の小関が三塁ベースを踏まずに通過したとされる場面を撮影したテレビ局の映像を入手。その映像を検討し、「西本・三塁塁審の位置は三塁ベースから後方に離れており、(小関が足を付いた場所は)死角になっているはず」(清武代表)などとして誤審を主張している。

テレビのスポーツニュースを見ていなかったので知らなかったのですが、ちょっと往生際が悪いかな、と。

ビデオ映像を検討し、「ベースを踏んでいた」という主張ならともかく「三塁塁審の位置は死角になっているはず」というのでは説得力がないですね。
刑事訴訟と違って推定無罪の原則があるわけじゃないんだから。


日刊スポーツの小関の談話もふるってます。

一方の小関は「いちいち(ベースを踏んだことを)意識してやってない。踏んでいなかったら、違和感がある。こっちが聞きたいよ」とぶ然とした表情だ。

打者がホームランを打ったときに走者が意識すべき事で、ベースを踏むこと以上に大事な事ってなんなんでしょうか。
ホームベース上で打者を迎えるパフォーマンスを考えていたとか?
はたまた昭和48年阪神池田外野手の「世紀の落球」(僕自信は当時の記憶はないのですが)の再現を狙ったのでしょうか。

侮れないキャラの持ち主ではあります。


PS
原監督の学級委員的というか検定済教科書風な発言も要チェックです

(日刊スポーツ)
ベンチでは原監督が「小関のミスはチームのミス。みんなではね返そう」とゲキを飛ばした

(毎日新聞)
原監督は「審判員として功績をお持ちの西本審判員は、昨日のジャッジで歴史的、かつ考えられないミスを犯した。両チーム、多くの人の名誉、威厳を傷つける結果になりつつある。ミスジャッジでした、と終わらせてしまうにはあまりにも大きな問題」とコメントした。

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(追記)
今日の読売新聞に小関がベースを踏んでいる(らしい)写真が載ってましたね。

でも、今までも誤審が写真で明らかになってもジャッジが覆ったり、再試合なんて事はないので、やはり巨人の要求はおかしいと思います。
それとも巨人はやはり「球界の盟主」だから別格なのでしょうか?

また、小関も全力疾走していたようです。
2アウトだったので打ったら走る、ということでしょうが、だからってベースのことを考えないというのはないでしょう・・・

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(往生際悪く追記)

日本の得点場面、審判が誤審認める?
2006年6月13日9時50分  読売新聞)

もし、日本が1-0で勝っていたとしたら、読売新聞は再試合を主張するんでしょうか?

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