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天皇国日本の素晴らしさ

2012年02月08日 15時53分35秒 | 無題

井上雅夫同志社大学准教授の論文(平成19年)から転載です。

 

神代につながる”三種の神器”の不思議


天皇様の御位を継がれる重要な御印として”三種の神器”があります。「三種神宝(みくさのかむたから)」といいます。御剣と勾玉と御鏡の八咫鏡です。神秘なものなのです。御剣は八岐大蛇の尾から出てきた剣です。天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)です。しかもそれは今も熱田神宮の御神体でちゃんとお祀りされています。御鏡は皇大神宮(伊勢神宮)にお祀りされています。八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)は天の岩戸の前におかれた真賢木の上つ枝(ほつえ)に、御鏡は中つ枝にかけられていたものです。勾玉は常に陛下のお側にあります。


我々は、合理的に考えればいろいろな考え方ができるでしょうが、やはりその不思議さに素直に感動したいものです。神代において、神様が使われた物が今ここにあるのです。これだけでもすごいことです。『古事記』を読むと、天孫御降臨の時に天照大御神様が「これの鏡は、もはらあが御魂として、あが前を拝(いわ)ふがごとくいつきまつれ」とお諭しになりました。だからまさに、天照大御神そのものとしてお祀りされているのです。


日本という国は、神話が単なる過去のものではなく、本当に現実に神様の世から続いている国なのです。そういう不思議なことは不思議なこととして大切にしていきたいものです。合理的な理屈を付ける必要はありません。


熱田神宮の天叢雲剣は、別名「草薙の剣」といいます。これは日本武尊様が草を薙られたというので「草薙の剣」といいます。その時に火打石を使われました。その火打石も熱田神宮にお祀りされています。きちんと御本殿とは別のお社にお祀りされています。だから、神代、あるいは神代に近い時代の非常に不思議な事柄が全部今、目の前に伝わっているのです。


 

賢所(かしこどころ)御神楽(みかぐら)は”天の岩戸のお神楽”とおなじもの


宮中三殿には掌典といわれる神官がおられます。そして女性の神官もおられます。内掌典といいます。数名の内掌典の内のお一人の高谷朝子さんが、五十七年間仕えて辞められ、最近、自分のことを書かれた「宮中賢所物語」という本を出版されました。

この内掌典さんは、昼も夜も宮中三殿で天照大御神様に仕えておられました。ですから、世間とは没交渉の生活をしておられました。そういう方は髪型も昔風の髪型なので、うっかり外に出られないというのです。言葉も平安時代の御所言葉です。そういうまったく世の中の動きとはぜんぜん異なるところで毎日、天照大御神様に仕えておられるのです。ここで日々祈っておられることは、国家の安泰と国民の安寧だけであり、皇室はご自身のことはお祈りにならないのです。これが「無私」の御祭祀の一番の特徴なのです。


日本という国が素晴らしいのは、誰も知らないような所で、毎日こんな尊い祈りが行われていることです。我々は本当に有り難い国に生れているのです。その宮中三殿の一つ賢所での大変重要なお祭りは、十二月半ばに行われる賢所御神楽だと言われています。これは天照大御神様が天の岩戸におかくれになった時に、天の岩戸の前でなされたお神楽と同じものだとされています。それがそのまま今日まで続けられているのです。


一般人である我々はそのような素晴らしい物が伝えられていることさえ知りません。しかし、このような神秘と言ってもいいようなことが、皇居の中で行われてきたのです。こんな大切なお祭りなのに、このお祭りの費用や掌典さんや内掌典さんの給料がみな陛下が私費、いわばポケットマネーから出しておられるというのですから、現在の憲法がいかにおかしいかが分かります。


 

天皇様の祈り――国安かれ民安かれ


幕末の維新の時、尊皇倒幕運動が起こりました。そして日本は開国していく。その時孝明天皇様は日本の行く末を大変憂慮されました。その孝明天皇様はこんな歌を歌っておられます。


 此の春は花うぐひすも捨てにけり我がなす業(わざ)ぞ国民(くにたみ)のこと (文久三年)

とお詠みになっておられます。更に少し前に、

 国民(くにたみ)のやすけきことをけふここにむかひて祈る神の御前(みまえ)に (嘉永七年、安政元年)

 日々日々の書につけても国民(くにたみ)のやすき文字こそ見まくほしけれ (文久三年)


国民が安らかであることを一番願っている、とおっしゃっているのです。この孝明天皇様の御気持を、当時の徳川将軍は持っていたでしょうか。維新の運動というものは、孝明天皇様の御心を皆が受け取って動いたと言われています。維新が大きな運動になり得たのも、こういう陛下のお気持ちのおかげだったのです。


当時日本が国難の時、一歩間違えば西洋の餌食になる可能性が大いにありました。それを免れたのはこの陛下のお祈りであり、維新の運動であるのです。更に、幕府は進んで大政を奉還しました。これも素晴らしいことです。大政というものは本来常に天皇様が持っておられるのですが、ここでは現実の政治をももう一度返し奉るといっているのです。しかも整然と行われた。外国ではありえないことです。やはり江戸時代でも皇室の権威がいかに高かったかを示しています。


終戦の時もそうでした。日本という国は皇室によって守られているのです。陛下が祈っておられるのはいつも「国安かれ民安かれ」なのです。

  

 

天皇様の御仁慈

 

ドナルド・キーンさんが「明治天皇を語る」という本を書いておられます。この本の中で言っておられるのですが、日清戦争が日本の勝利で終わった時、明治天皇は、「勝利できたのは国民すべてのお陰である。・・・日本が勝利に驕慢(きょうまん)となり理由なく相手国を侮辱するなど友好国の信頼を失うようなことがあってはならない」とおっしゃった。

これに対してキーンさんは、「これは意外な発言です。大体において、当時の王や大統領は、戦争が終わってすぐに言うのは、憎むべき敵に勝ってよかったというようなことでしょう。」と述べています。ところが明治天皇はそんなことを一言もおっしゃっていないのです。「清国とまた伝統的ないい関係を早く結べること」を望まれたのです。昨日の敵は今日の友なのです。明治天皇様の御歌の中にも、


 国のためあだなす仇は砕くとも 慈しむべき事な忘れそ (明治三十七年)


敵に対しても慈愛を持て、とおっしゃっていたのです。そういうことを言う君主は他国にはいないのです。キーンさんも言っておられるように、普通なら、憎むべき敵に勝ったから良かった、と誇るのが普通です。しかもさらに明治天皇様は、日露戦争においても旅順が陥落した時、最初に言われたことは、相手の将軍である「ステッセルの武人としての名誉を大切にせよというものでした。よかったとか、素晴らしい勝利だということではなかった。敵の将軍のことを心配して」おられたのです。


さらに日露戦争後に、次のような歌を歌っておられます。


 神がきに涙たむけてをがむらし かへるをまちし親も妻子も (明治三十九年)


陛下は戦いが終わったあとも、兵士を、そしてその家族のことを思っておられたのです。ある意味では勝敗のことなど思っておられないのです。そういうお気持ちを常に持っておられました。そして、こんな御製も詠んでおられます。


 国のためたふれし人を惜しむにも思ふはおやのこころなりけり (明治三十七年)


戦死した人を考えると、その親がどんなに悲しんでいるかを常に考えておられるのです。決して戦争を賛美しようとか、煽ろうなどと、そんなことは微塵も考えておられないのです。それが日本の天皇様なのです。昭和天皇様も、昭和三十七年にこんな歌を歌っておられます。


 忘れめや 戦の庭にたふれしは 暮らしささへし をのこなりしを


もう昭和三十七年ですから、戦争から十七年経っています。そのときでも陛下は悲しんでおられるのです。ですから日本という国は、他の国とまったく違うのです。そういう国柄なのです。


フランス人のポール・ボネさんという人が、三十年ほど前初めて日本にきた時、新年の皇居参賀を見てびっくりしていました。この国では、皆が新年を天皇陛下と共に祝っている、こんなことはヨーロッパではまずない。ヨーロッパ人が、慶びを元首と分かち合うのは、せいぜい戦争に勝ったときぐらいのものである。ところが、日本では天皇陛下と喜びを分かち合っていると。こういうことも、天皇陛下と国民の深いつながりがあるからこそなのです。


この度の悠仁親王様のご誕生でもそうでした。みんなが心から喜びました。そして親王殿下が産院からお帰りになる時も多くの人が沿道に並んでいました。ここにも皇室への自然な敬愛が表れています。グローバル化だとか日本は欧米化したらいいと思っている人もいますが、世界にない誇るべき国柄をもつ”日本”というものをしっかりと守っていくべきです。


 

古事記の神話に出てくる物が、いまなおそのままに伝えられて、三種の神器としてお祀りされていたりすること、あるいは、古事記において、天上の高天原から地上に降臨された瓊瓊杵尊と、その次の彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)、別名山幸彦、そして三代目の鵜 葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)という神武天皇以前の、日向三代といわれる方々が、天上ではなく地上で亡くなられたので地上にお墓、つまり御 陵がちゃんと残っていて、宮内庁が現在も管理していること、もちろん初代の神武天皇から歴代の天皇の御陵もきちんと残っているということ、この不思議さに、 感動を覚えない人がいるでしょうか。

神話が歴史とつながっているという日本の国、これはものすごい神秘な国柄ではないでしょうか。この神秘の国の伝統、それがずっと続いているという素晴らし さ、このことをもっと日本人は大切にしなくてはいけないと思います。万世一系という、男系継承で、今上陛下の御代まで続いてきました。これを、現時点の国 民の勝手な議論で変更して女系天皇を擁立したら、その時点で、この神秘の継承は終わります。

男系継承は、歴史上もいろいろ危機的なことがありましたが、それでも男系の子孫を立てて、少し離れた血筋からでもはっきりとわかっている方はいますから、その方を擁立して、万世一系を守り抜いて来ました。


現在の皇室は、GHQによって、本来は皇統を維持するための血のスペアのような家柄の皇族の方々を総て廃して一般人に降下させてしまい、直系のみを残しましたから、現在のような皇統の危機を招いてしまったのです。

こ れは明らかにGHQによる、日本の天皇を中心とした国柄を自然消滅させる意図で行われた政策です。当時は日本人はみな天皇陛下をお慕いして、もしも天皇を 廃するようなことがあれば、占領に支障をきたし、平和に占領することなど出来なかったので、時間をかけて、日本をゆっくり弱体化させ、歴史的国家日本を自 然解体させ、別の国へと変革させようとしたのです。

そのために憲法も変えさせられ、皇室典範も変えさせられ、国民主権という名の憲法のもとで、国会で決議さえすれば、どんな長い歴史をもつ伝統も自由に変えられるようにしたのです。

国民主権とは、本来は不文法と言われるその国に不可欠で大切な、過去から未来の総ての国民が守るべき決まりを、その時点の国民のみの多数決によって、簡単に 廃棄してしまうことができるという制度です。だからエドモンド・バークはこの国民主権というものの怖さを指摘して、決して国民のためにならないものとして 否定しています。

国民主権は、国家を国民の利益のための組合、つまり契約国家という視点で見る制度で、国民同士の契約によって、成り立つ国家であるため。契約違反だと感じれば、すぐに訴訟が起きます。現時点の国民の利益や考え方などによる多数決が、全てのものを、伝統も法律も変えることができるのです。それは取り返しのでき ないものにすら、時には容赦なく行われます。

 

現在の日本国憲法の前文にも、「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。(中略) これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」とあり、国民の多数決でなんでもできると書いてあるのです。



 


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