yahooブログの 美しい国からの転載です。今の教育の現状のひどさが、どこから来ているのかを戦前と戦後を比べて、原因を追求されています。
毎日のように新聞、マスコミ等で報道される殺人、詐欺、イジメ、自殺。これらを一括りに「社会の荒廃」といいますが、なぜこうなってしまったのでしょうか。
戦前日本を訪れた諸外国の識者は、一応に治安がよい、礼儀正しい、親切、聡明、勤勉、と評しています。
なぜ、戦後こうなってしまったのか戦後教育に関して考えてみたいと思います。
「戦前教育」の優れていた点
本ブログでも幾度か紹介させていただきましたが、戦前は、明治天皇陛下より下賜給わった、「教育勅語」によって国民に分かり易く「教育の目的」が示されていたのです。
「我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々美ヲ済セルハ我カ國体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ茲ニ存ス」の一節にあるように、教育の目的は、「忠孝」など人としての徳目を身につけることなのであり、そもそも、一国の道徳は、永いやまと民族の歴史の営みを通じ醸成されたものであって、これを次代の国民に連綿と継承させるのが教育の最大の務めであります。
教育勅語は、よい日本人として如何に生きるべきか「人の道」を家族から友人、社会、国家という広がりの中で具体的に明治天皇陛下がお示しになられたものです。
教育勅語にお示しになられた原則を補完する為に「修身教育」がおこなわれました。
本ブログでも修身教科書は幾度かご紹介させていただきましたが、日本の偉人のみならず、世界の偉人、の生き方を具体的に教えました。
また、教育が国家政策の中心であったからです。
これは、義務教育の教員を大事にしていたことからも窺えます。義務教育の教員養成は、軍関係の陸士・海兵と同様、授業料免除の上、手当が出され、正教員免許は、師範学校卒業生だけに出されました。大卒であっても義務教育の正教員資格は与えられませんでした。
また、兵役が短縮されるなど優遇されていました。
「戦前教育は国語教育重視」
戦前の時間割では、国語が小学校四年生までの総授業時間の約半数を占めており、国際的に見ても傑出していました。
現在見られるような「教科の平等」ではなく、あくまでも国語重視でした。
その理由は、母国語こそが全ての知的活動の基盤であり、表現だけでなく思考そのものが国語を通じて行なわれる。国語力なくして算数も理解できないとの基準でした。
言葉は人間のすべてといっても過言ではありません。
言葉を身につけるのは、小学校間が最も適していたからです。国語による読書を通じ、情緒や道徳を学ぶことができ、古典・詩歌を読むことで、感情、情緒が養われ、家族愛・郷土愛・祖国愛・人類愛が養われていったのです。
過去、現在においても、「言語を一定期間奪われると民族は亡びる」と言われています。なぜなら、民族としての情緒、道徳、文化、伝統の中核に母国語があるからです。
これは、世界の歴史が証明しています。
戦前世代の方々の国語力はここから生まれています。
誇りある文化を失いつつある日本、荒れ果てた民心、青少年の著しい学力低下、といった現状を考える時、小学校国語の質と量にわたる飛躍的充実は、日本再生のための不可欠な第一歩です。
「戦前の「複線型」学校制度」
複線型であった戦前の学校制度は、今日の「単線型」の学校制度よりはるかに優れており、人それぞれの志向に合った学校制度でした。
「複線型」の学校のため、子供自身が自己の能力・志向に合った学校を選ぶことができ、「待避線」もあるために余裕を持って進学でき、中学校入試に力不足であった子供でも、高等科で勉強して中学に入り直すことができました。
現在の平等を謳う教育よりも、戦前のほうが落ちこぼれをださず、英才を輩出したシステムがこれだったのです。
現在のように、東大一辺倒ではなく、専門分野毎に頂点の学校が複数存在したからです。
また志望者は、上級校への進学もでき、例えば、師範学校卒業生は、高等師範進学さらに、文理大への進学ができた。仕事で学費をえて進学することもできたわけである。そのようなコースを経た大学教授の方が昭和五十年代まで学部教育に携わっておられた。当時の教育学部には、児童・生徒と学校現場を知り抜いた「師範出身」の教授が、学部学生を指導して、より実際的な教員養成が可能にしていました。
実によく考えられた教育システムです。
英国の学校制度は、戦前の日本と同じく「複線型」です。
英国が、一旦「英国病」にかかり衰退しながらも、近年、見事に復活して活力を取り戻していることからも戦前の日本教育がすばらしかったかが明らかです。
「戦後教育の問題点」
「教育勅語放棄」
「教育勅語」放棄が、「道徳崩壊」に繋がった。すべての根本はこれにあります。
教育勅語は、国民精神の基盤であったのですから当然の結果ですが。
明治天皇の御代に、日本が僅かな年月の間に西欧列強に伍して近代法治国家たりえたのは、「帝国憲法」と「教育勅語」の両輪があってこそです。
戦後の日本は、敗戦ショックとGHQの指令により、「帝国憲法」「教育勅語」をあっさり放棄してしまいました。
戦後四十年にわたる日本の繁栄は、教育勅語の精神を持つ世代が生み出したもので、教育勅語の精神を持つ世代が引退した頃(昭和五十年代後半)から、あらゆる分野においておかしくなり、日本は経済、文化、精神とも衰退への道辿っているようにおもえる。従って、戦後の「教育勅語」排除こそ、今日の国家衰退の一大誘因であり、惜しみても惜しみきれません。
「教育勅語」には、世界に通用する徳目が述べられている。これを放棄したことによって、戦後日本においては、徳目を教えることさえ困難な現状です。教育勅語排除によって、日本の教育現場から「道徳」が抹殺されたといっても過言ではありません。
「文科省と教育現場に左翼思想が」
時折メディアに登場する、元文科省官僚寺脇研氏は、競争を勝ち抜くことを目標とした二十世紀的な考え方は終わり、二十一世紀は共生の時代へと変わっているのです。・・・勉強のできる子だけがすばらしいのではありません。学校の試験であまり点数がとれなくても他の方面ですばらしいところがあり、その力を地球のために、それぞれ発揮していくという時代になっていきます。」などと言い、「ゆとり教育」を推進しました。寺脇研氏は、、「競争排除」と「悪しき平等主義」に汚染された人物なのです。
資源のない我國が世界第二位の経済大国であったのも、多くの國民が勤勉で優秀でよく勉強し、競争したからなのです。寺脇氏はその点を全く無視して、ひたすら勉強なんかしなくてもよいと言う。文科省の政策立案に関与する人物の許し難い暴言であり、「競争」がなくなった将来日本が、国際競争力を失い極貧国になることを待望する「頭脳テロリスト」の名に値すします。
学力低下への不安から、子供を塾に通わせる意識は高くなり、塾費用は増加し、そのため、ゆとり教育の導入後、教育費を得るために母親が仕事をせざるを得なくなり、親子の接触が減り、かえって家庭での物心的ゆとりがなくなりました。
「日教組の問題点」
日教組の最大の問題点は、日教組がいまだ全体主義(共産)革命の夢・幻から目覚めていないことです。
未だに、昭和二六年九月策定の「教師の倫理綱領」を後生大事に護っています。日教組は日本が遅れた國で、個人の確立」のために、日本の社会構造を根本から取り替える処置(共産革命)をとって、全く新しい社会体制、つまり、全体(共産)主義体制を作り上げねばならないと言っています。その新体制(共産主義)では、日教組を含む労働者階級が政治を支配するという幻想を抱いています。
日本は非常に遅れた体制にあると言う現状認識は、一九三二年コミンテルンテーゼ(ソ連共産党がコミンテルン日本支部に出した指令書)の認識のままなのです。
また日教組は、「搾取と貧困のない平等社会」を謳い文句に
革命の担い手として子供たちを教育しています。
(教師の倫理綱領)に、「一、教師は日本社会の課題にこたえて青少年とともに生きる 平和の擁護、民族の独立、搾取と貧困のない社会の実現は、われわれに課された歴史的課題であり、民主主義を信ずるわれわれの不動の念願である。少年は、各人の個性に応じて、この課題の解決のための有能な働き手となるように、育成されなければならない。日本の青少年が自由と幸福をかちとる道は、この必要にこたえるための学習を組織し、指導する。教師は自ら深い反省に立って、勉学し、努力する。」この条項が顕著な例です。
もはや聖職者の仮面を被った革命家でしかないのです。
「戦後教育が教えたもの」
戦後教育が教えたものは、「人権」「平和」「生命」の三者です。教育勅語、修身教育を破棄した教育現場が教えたものは、道徳の徳目ではなく、「政治スローガン」としてとらえられるべきものであり、戦後教育の本質が、教育の名を借りた「政治教育」であったのです。
国民としての義務を教えない「人権教育」とは、世界のいかなる国にも存在しない「教育」です。
「教育」ではなく「甘やかし」に過ぎません。
平成十一年版東京書籍中学「公民」教科書には、中学社会科「公民」教科書は、「権利」を三二頁にわたり詳しく説明する一方、「義務」についてはたった五行の記載しかせず、義務の内容も、納税の義務」・「子供に教育を受けさせる義務」・「勤労の義務」の三点しかありません。
権利のみ殊更に拡大解釈して教え「義務」を矮小化する教育は、「道徳・秩序の破壊教育」であり「国家解体教育」と言っても過言ではありません。
権利主張は、人を「欲求丸出し人間」に変え、ついには社会規範である道徳をも破壊します。
昨今、弁護士の需要が急増し、テレビ等でも「法律相談所何某」とかの番組が注目されているのがその顕著な例です。
平和にしても然りです。
日本國民は建国以来、平和を愛する民族でした。
平和を声高らかに唱えながら、五十年以上に及ぶ「平和」の時代に、日本國民はいかなる価値を生み出したでしょうか?
「平和」を「最高の価値」として子供達に教える場合でも、「平和」をいかに守り通すかを教えなければ片手落ちではないでしょうか?
左翼が「平和」を叫んでいる間に、多数の同胞が北朝鮮に拉致されていました。左翼はその北朝鮮を崇拝している有様です。これが左翼の意図する「平和」なのでしょうか。
日本の北方領土、竹島、更に尖閣諸島(一九九二年、中国政府は国内法で既に自国領土として編入)など韓露中の三国によって侵略されたか、現在進行中でもある。これを平和とは言わない。「平和」という文字が我國の主権さえも縛ってしまったのです。
生命」は尊い。しかし、その「人の生命の尊さ」の拠って来る所を教えない限り、「生物としての生存の価値」としか写らないでしょう。
子供達に、自ら人として日本國民として拠って来るところ、歴史や国語教育を通して「国民としての誇り」を教えないまま、「生命が一番」と教える教育は、日本を「自己中心人間」が蔓延し、国を変えてしまうでしょう。
己だけを優先させる餓鬼の世界へと。
毎日のように新聞、マスコミ等で報道される殺人、詐欺、イジメ、自殺。これらを一括りに「社会の荒廃」といいますが、なぜこうなってしまったのでしょうか。
戦前日本を訪れた諸外国の識者は、一応に治安がよい、礼儀正しい、親切、聡明、勤勉、と評しています。
なぜ、戦後こうなってしまったのか戦後教育に関して考えてみたいと思います。
「戦前教育」の優れていた点
本ブログでも幾度か紹介させていただきましたが、戦前は、明治天皇陛下より下賜給わった、「教育勅語」によって国民に分かり易く「教育の目的」が示されていたのです。
「我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々美ヲ済セルハ我カ國体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ茲ニ存ス」の一節にあるように、教育の目的は、「忠孝」など人としての徳目を身につけることなのであり、そもそも、一国の道徳は、永いやまと民族の歴史の営みを通じ醸成されたものであって、これを次代の国民に連綿と継承させるのが教育の最大の務めであります。
教育勅語は、よい日本人として如何に生きるべきか「人の道」を家族から友人、社会、国家という広がりの中で具体的に明治天皇陛下がお示しになられたものです。
教育勅語にお示しになられた原則を補完する為に「修身教育」がおこなわれました。
本ブログでも修身教科書は幾度かご紹介させていただきましたが、日本の偉人のみならず、世界の偉人、の生き方を具体的に教えました。
また、教育が国家政策の中心であったからです。
これは、義務教育の教員を大事にしていたことからも窺えます。義務教育の教員養成は、軍関係の陸士・海兵と同様、授業料免除の上、手当が出され、正教員免許は、師範学校卒業生だけに出されました。大卒であっても義務教育の正教員資格は与えられませんでした。
また、兵役が短縮されるなど優遇されていました。
「戦前教育は国語教育重視」
戦前の時間割では、国語が小学校四年生までの総授業時間の約半数を占めており、国際的に見ても傑出していました。
現在見られるような「教科の平等」ではなく、あくまでも国語重視でした。
その理由は、母国語こそが全ての知的活動の基盤であり、表現だけでなく思考そのものが国語を通じて行なわれる。国語力なくして算数も理解できないとの基準でした。
言葉は人間のすべてといっても過言ではありません。
言葉を身につけるのは、小学校間が最も適していたからです。国語による読書を通じ、情緒や道徳を学ぶことができ、古典・詩歌を読むことで、感情、情緒が養われ、家族愛・郷土愛・祖国愛・人類愛が養われていったのです。
過去、現在においても、「言語を一定期間奪われると民族は亡びる」と言われています。なぜなら、民族としての情緒、道徳、文化、伝統の中核に母国語があるからです。
これは、世界の歴史が証明しています。
戦前世代の方々の国語力はここから生まれています。
誇りある文化を失いつつある日本、荒れ果てた民心、青少年の著しい学力低下、といった現状を考える時、小学校国語の質と量にわたる飛躍的充実は、日本再生のための不可欠な第一歩です。
「戦前の「複線型」学校制度」
複線型であった戦前の学校制度は、今日の「単線型」の学校制度よりはるかに優れており、人それぞれの志向に合った学校制度でした。
「複線型」の学校のため、子供自身が自己の能力・志向に合った学校を選ぶことができ、「待避線」もあるために余裕を持って進学でき、中学校入試に力不足であった子供でも、高等科で勉強して中学に入り直すことができました。
現在の平等を謳う教育よりも、戦前のほうが落ちこぼれをださず、英才を輩出したシステムがこれだったのです。
現在のように、東大一辺倒ではなく、専門分野毎に頂点の学校が複数存在したからです。
また志望者は、上級校への進学もでき、例えば、師範学校卒業生は、高等師範進学さらに、文理大への進学ができた。仕事で学費をえて進学することもできたわけである。そのようなコースを経た大学教授の方が昭和五十年代まで学部教育に携わっておられた。当時の教育学部には、児童・生徒と学校現場を知り抜いた「師範出身」の教授が、学部学生を指導して、より実際的な教員養成が可能にしていました。
実によく考えられた教育システムです。
英国の学校制度は、戦前の日本と同じく「複線型」です。
英国が、一旦「英国病」にかかり衰退しながらも、近年、見事に復活して活力を取り戻していることからも戦前の日本教育がすばらしかったかが明らかです。
「戦後教育の問題点」
「教育勅語放棄」
「教育勅語」放棄が、「道徳崩壊」に繋がった。すべての根本はこれにあります。
教育勅語は、国民精神の基盤であったのですから当然の結果ですが。
明治天皇の御代に、日本が僅かな年月の間に西欧列強に伍して近代法治国家たりえたのは、「帝国憲法」と「教育勅語」の両輪があってこそです。
戦後の日本は、敗戦ショックとGHQの指令により、「帝国憲法」「教育勅語」をあっさり放棄してしまいました。
戦後四十年にわたる日本の繁栄は、教育勅語の精神を持つ世代が生み出したもので、教育勅語の精神を持つ世代が引退した頃(昭和五十年代後半)から、あらゆる分野においておかしくなり、日本は経済、文化、精神とも衰退への道辿っているようにおもえる。従って、戦後の「教育勅語」排除こそ、今日の国家衰退の一大誘因であり、惜しみても惜しみきれません。
「教育勅語」には、世界に通用する徳目が述べられている。これを放棄したことによって、戦後日本においては、徳目を教えることさえ困難な現状です。教育勅語排除によって、日本の教育現場から「道徳」が抹殺されたといっても過言ではありません。
「文科省と教育現場に左翼思想が」
時折メディアに登場する、元文科省官僚寺脇研氏は、競争を勝ち抜くことを目標とした二十世紀的な考え方は終わり、二十一世紀は共生の時代へと変わっているのです。・・・勉強のできる子だけがすばらしいのではありません。学校の試験であまり点数がとれなくても他の方面ですばらしいところがあり、その力を地球のために、それぞれ発揮していくという時代になっていきます。」などと言い、「ゆとり教育」を推進しました。寺脇研氏は、、「競争排除」と「悪しき平等主義」に汚染された人物なのです。
資源のない我國が世界第二位の経済大国であったのも、多くの國民が勤勉で優秀でよく勉強し、競争したからなのです。寺脇氏はその点を全く無視して、ひたすら勉強なんかしなくてもよいと言う。文科省の政策立案に関与する人物の許し難い暴言であり、「競争」がなくなった将来日本が、国際競争力を失い極貧国になることを待望する「頭脳テロリスト」の名に値すします。
学力低下への不安から、子供を塾に通わせる意識は高くなり、塾費用は増加し、そのため、ゆとり教育の導入後、教育費を得るために母親が仕事をせざるを得なくなり、親子の接触が減り、かえって家庭での物心的ゆとりがなくなりました。
「日教組の問題点」
日教組の最大の問題点は、日教組がいまだ全体主義(共産)革命の夢・幻から目覚めていないことです。
未だに、昭和二六年九月策定の「教師の倫理綱領」を後生大事に護っています。日教組は日本が遅れた國で、個人の確立」のために、日本の社会構造を根本から取り替える処置(共産革命)をとって、全く新しい社会体制、つまり、全体(共産)主義体制を作り上げねばならないと言っています。その新体制(共産主義)では、日教組を含む労働者階級が政治を支配するという幻想を抱いています。
日本は非常に遅れた体制にあると言う現状認識は、一九三二年コミンテルンテーゼ(ソ連共産党がコミンテルン日本支部に出した指令書)の認識のままなのです。
また日教組は、「搾取と貧困のない平等社会」を謳い文句に
革命の担い手として子供たちを教育しています。
(教師の倫理綱領)に、「一、教師は日本社会の課題にこたえて青少年とともに生きる 平和の擁護、民族の独立、搾取と貧困のない社会の実現は、われわれに課された歴史的課題であり、民主主義を信ずるわれわれの不動の念願である。少年は、各人の個性に応じて、この課題の解決のための有能な働き手となるように、育成されなければならない。日本の青少年が自由と幸福をかちとる道は、この必要にこたえるための学習を組織し、指導する。教師は自ら深い反省に立って、勉学し、努力する。」この条項が顕著な例です。
もはや聖職者の仮面を被った革命家でしかないのです。
「戦後教育が教えたもの」
戦後教育が教えたものは、「人権」「平和」「生命」の三者です。教育勅語、修身教育を破棄した教育現場が教えたものは、道徳の徳目ではなく、「政治スローガン」としてとらえられるべきものであり、戦後教育の本質が、教育の名を借りた「政治教育」であったのです。
国民としての義務を教えない「人権教育」とは、世界のいかなる国にも存在しない「教育」です。
「教育」ではなく「甘やかし」に過ぎません。
平成十一年版東京書籍中学「公民」教科書には、中学社会科「公民」教科書は、「権利」を三二頁にわたり詳しく説明する一方、「義務」についてはたった五行の記載しかせず、義務の内容も、納税の義務」・「子供に教育を受けさせる義務」・「勤労の義務」の三点しかありません。
権利のみ殊更に拡大解釈して教え「義務」を矮小化する教育は、「道徳・秩序の破壊教育」であり「国家解体教育」と言っても過言ではありません。
権利主張は、人を「欲求丸出し人間」に変え、ついには社会規範である道徳をも破壊します。
昨今、弁護士の需要が急増し、テレビ等でも「法律相談所何某」とかの番組が注目されているのがその顕著な例です。
平和にしても然りです。
日本國民は建国以来、平和を愛する民族でした。
平和を声高らかに唱えながら、五十年以上に及ぶ「平和」の時代に、日本國民はいかなる価値を生み出したでしょうか?
「平和」を「最高の価値」として子供達に教える場合でも、「平和」をいかに守り通すかを教えなければ片手落ちではないでしょうか?
左翼が「平和」を叫んでいる間に、多数の同胞が北朝鮮に拉致されていました。左翼はその北朝鮮を崇拝している有様です。これが左翼の意図する「平和」なのでしょうか。
日本の北方領土、竹島、更に尖閣諸島(一九九二年、中国政府は国内法で既に自国領土として編入)など韓露中の三国によって侵略されたか、現在進行中でもある。これを平和とは言わない。「平和」という文字が我國の主権さえも縛ってしまったのです。
生命」は尊い。しかし、その「人の生命の尊さ」の拠って来る所を教えない限り、「生物としての生存の価値」としか写らないでしょう。
子供達に、自ら人として日本國民として拠って来るところ、歴史や国語教育を通して「国民としての誇り」を教えないまま、「生命が一番」と教える教育は、日本を「自己中心人間」が蔓延し、国を変えてしまうでしょう。
己だけを優先させる餓鬼の世界へと。