春日部(カスカベ)で、円空と芭蕉が出逢っていたという話(2013.4.5)

2013-04-04 13:48:42 | Weblog


 松尾芭蕉と円空が春日部で遭遇していたとしたら、春日部に住みながら,いつも放浪に出たいと思っているワタシにとって、こんな楽しい話はありません。

 芭蕉=おくの細道、日光街道、第一夜の宿泊地はカスカベ(粕壁)らしい。円空=春日部にも14体の円空仏があり、小渕観音院で逗留修行していたらしい。二人とも放浪者、ワタシの気になる人です。

 この間、孫守りかねて、出かけようと思って<春日部の藤うどんまつり>イベントに期待していたのですが、雨、激しい雨。あいにくです。
 しかたなく、孫2人を近くの庄和児童センターに送り込み、<1時間したら来るからね>と約束して、ワタシは、階下の図書館へ。新着棚から一冊取り出し、窓際に席をとって、窓の外で濡れている桜をみていました。
*南桜井駅前に自転車置き場ができて消えていた<しだれ桜>が、ここにありました。合掌。

 手にとっていた本は、<円空の旅(早坂暁)>です。まさに暇つぶし、うつらうつらしていました。NHKで円空をテレビドラマにした脚本家・早坂暁もまた、円空の放浪にひかれています。

 少し長いですが、書き写します。
 <松尾芭蕉が、江戸の安穏な生活を清算して、弟子一人を道連れに、北へ旅立ったのは、何を意味しているんだろう。・・・・・芭蕉が旅に出たのは、元禄2年3月のこと。46歳であった。
円空はそのころ故郷の飛騨地方を中心に、念願の12万体の仏像彫りに没頭していたのだ。『月山』という信仰の名作を書かれた森敦さんは、紀行文『われもまた おくのほそ道』の中で、芭蕉と円空は出合っていると確信すると書いておられる。
 少し突拍子もないかなと思うが、時代といい。旅の軌跡といい、可能性は十分にある。二人とも類まれな“旅の人”であり、その故郷も、岐阜と伊賀とで、そう離れてはいない。
 さて、森さんは、二人が出会ったのは、江戸の近く春日部だと断定してみせているのだ>

 「ふたりが出会ったのは、春日部だと断定・・・・・」
 ソファに浅くかけ、ぼんやりしていましたが、思わず座り直したのです。*85ページ
 実際、円空が春日部に滞在していたのは、いつのことだったのか、はっきりわかっていません。何せ、放浪者です。
 
 春日部教育委員会(郷土資料館)が、開館記念特別展(平成2年7月)「粕壁と円空」の展示図録(トップ写真の左)には、<円空が関東に足を踏み入れたのは1680年代の晩年の頃といわれ、円空仏の分布状況から円空が日光中禅寺住職となった高岳法師から秘法授かるため日光を訪れた際、日光道中、日光御成道を通過していったことを伺がわせています>、<円空という一修験道者が日光を来訪していく際、江戸時代前期の粕壁宿をとおり、また中世以来、関東修験道の中心的役割をはたしていた不動院のあった春日部で造仏活動、布教による庶民救済活動を行って・・・・・>
 年譜には<1689年(元禄2)58歳;6月栃木県日光明覚院旧蔵の白衣観音像を造像する>
・・・・といった内容しかありません。
 手元にある円空関連本にも、これより詳しい話はありません。というより、円空本に春日部が登場することは、まずありません。
 そして5年後、元禄8年(1695)7月15日、64歳で入寂しています。

  一方、芭蕉が、おくの細道の旅で、深川を出発したのは、元禄2年3月27日(旧暦)(新暦では1689年5月16日)。その日、第一夜泊を、芭蕉は草加、随行者の曽良はカスカベと、各々の日記に書き残している。・・・・円空と芭蕉、日付的には、近い。出逢っていた可能性はあります。
 研究者は、第一夜泊、正しくはカスカベであったろうとしています。芭蕉の日記は、作品として残す目的(?)もあってフィクションが含まれているから、としているのです。
 カスカベの宿泊先は、①東陽寺、②小渕山観音院、③芭蕉の門人で庄屋の尾花三省の所、と3か所が伝わっていて、どれも伝承です。②と③は同じことの様です。尾花さんは代々、観音院の住職さん(現在は尾花繁郎さん)です。

 今、東陽寺に芭蕉宿泊地の碑がありますが、ワタシは小渕の観音院に一票。小渕の観音院に一泊したとすると、そこに逗留していた円空との接点もあっただろう、・・です。

 【おまけ】

*2年ほど前に、<埼玉の円空展>に行き、このブログで書いたことがあります。 http://blog.goo.ne.jp/geibunkyou/d/20111129

*今、春日部市は、クレヨン・しんちゃんの街で売り出し中です。粕壁宿プロジェクトもあるやに聞きます。シティセールスの目玉に、円空と芭蕉が出逢った粕壁、ってどうでしょうか。・・・・芭蕉の観光目玉利用には、草加市に大きく水をあけられています。
*春日部市役所シティセールス課のYさんでしょう。クレヨンしんちゃんの絵はがきを5枚同時に持つことができるのです。フェースブックに流れていた写真=市役所がプレスに配っている写真、で無断利用も問題なしでしょう。


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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
円空と芭蕉! (えぬつま)
2013-04-18 18:46:24
そうか~!
円空と芭蕉は同時代なんですね。
小渕には観音院をはじめ円空仏が10体も残されているということは、
春日部に長逗留したのでしょうから、芭蕉と出会っていてもおかしくはないですよね。
おもしろい!
(春日部の円空仏は14体でなく、17体です。:図録春日部の歴史より)
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おもしろい、よね。 (f(えぬつまさんへ))
2013-04-18 20:24:08
ある意味、・・・どうでもいい話なんだけど、ちょっと楽しい。
早坂さんの本は図書館に返したけど、元の森敦さんの本は、
すぐに、アマゾンで買いました。50円からあったけど250円の本。
実は、小渕の観音院に行ったことがありません。
ウィークエンドブランチの話題に<円空>ができないかなあ。
観音院の円空仏は博物館に寄託?しているようですが、自宅に、円空仏が伝わっているオウチもあるでしょう。、持ってきてもらって、ですね。
(f)
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実現可能ならぜひ! (えぬつま)
2013-04-20 11:50:42
いいですね、ブランチのテーマに円空!
芭蕉とちがって「仏像」という現物証拠があるのだから。
YASさんがたぶん知ってますね、そのおウチは。
あるいは、春日部に円空の市民研究家はいないかなぁ。
例えば七里の「薬王寺」。
29体の円空仏が伝わり、いまも地域の世話人が仏像を管理していますが、
御開帳の日に研究家が来ていて、
論文(?)を見せてもらったことがあります。
「この寺に長く円空がとどまったのは、尼僧とねんごろになったからだ、
という説があるんですよ」と教えてくれました。
妙に納得する説ですよね。
在野の研究家だから証拠がなくても想像でものが言える、
というのも市民ならではですし。
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