「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

逆縁

2006年01月15日 20時36分02秒 | 心子、もろもろ

 心子のお母さんはわずか3年の間に、二人の我が子に続けて先立たれることになってしまいました。

 ただでさえ、親が子を先に失う「逆縁」は、これ以上にない辛いことだといいます。

 立て続けにそれを経験しなければならなかったお母さんの悲しみは、一体いかばかりのものだったろうかと、想像するに余りがあります。

 しかも二人とも予期もせぬ急死です。

 心子のお父さんも、今の僕より若いときの突然死でした。

 それ以来、お母さんは肝っ玉母さんよろしく、女手ひとつで兄妹を育ててきたのに……。

 お母さんは心子たちを失ってから心身ぼろぼろになり、何事も手につかない月日が続いたといいます。

 でも今は、透析の身を抱えながらも、二人の分まで生きようと頑張っていらっしゃいます。

(続く)

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心子のお墓

2006年01月14日 16時26分01秒 | 心子、もろもろ

 1月17日、心子の丸5年目の祥月命日が近づいてきました。

 墓前の心子に会いに行くのを今から楽しみにしています。

 本家から分かれた心子のお墓には、心子とお父さんとおじいさんが弔われています。

 それからあと二人の人が一緒に眠っています。

 心子のお兄さんと内妻であるお義姉さんは、心子のお母さんと3人、長年実家で暮らしており、共に添いとげるつもりですが、どういう事情か籍は入れていません。

 心子が鬼籍に入った翌年、お義姉さん(という呼び方でいいのか)のお父さんが亡くなり、心子と同じお墓に納骨されました。

 お義姉さんとそのお父さんは他に身寄りがないのだそうです。

 お義姉さんも随分辛い人生を歩んできたようです。

 そして、さらに翌年、なんと心子のお兄さんまでもが、心子たちと共に眠ることになってしまいました。

 お兄さんは長年小さな居酒屋で働いていましたが、独立して自分の店を持つことになり、開店の準備で連日寝る間も惜しんで没頭していたそうです。

 しかしその過労がたたったのでしょう、オープンを目前に控えたある日、突然倒れて、そのまま帰らぬ人となってしまいました。

 心筋梗塞……心子のお父さんと同じ病気でした。

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「魂(こころ)の穴」(文芸社)

2006年01月13日 22時00分15秒 | 心理

 「境界に生きた心子」の参考文献に挙げた、ご自身がボーダーである山口麗子さんが書かれた本です。

 以前読売新聞の「医療ルネサンス」で、境界性人格障害の特集があったときに紹介されました。

 幼いときの虐待や夫婦間の壮烈ないさかいなど、勇気を持って赤裸々に告白し、自分の姿をお子さんのために書き残しておきたいという、母の愛情に支えられたものです。

 心子は子供を持てませんでしたが、母親の力は強いものだと思います。

 ただ、当人が書かれたものは具体的な生々しい会話などがあるかと思ったら、ご本人はキレた時の言動を覚えていないため、かえって細かい描写はないのが意外な納得でした。

 僕は読売新聞「医療ルネサンス」にメールを送り、山口さんを取材した人からお返事をいただきました。

 その人がのちに、拙著の書評を読売新聞に載せてくれました。
(書庫「境界に生きた心子」11月10日の記事「読売新聞の『境界に生きた心子』の書評」参照)

 「魂(こころ)の穴」の作者・山口さんも拙著を読まれ、とてもいい本だと言ってくださったそうです。

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「青い扉」(新風舎)

2006年01月12日 16時24分20秒 | 心理

 「境界に生きた心子」の企画担当のN氏が、別に受け持っていた人が書いた本で、N氏が僕に紹介してくれました。

 著者・華子さんも境界性人格障害だそうです。

 日記形式の独白や、内面の吐露がつづられています。

(具体的なエピソードの記述が少ないので、ボーダーのことを知らない読者だと分かりにくい所があるかもしれません。)

 僕は筆者の華子さんと心子を重ね合わせながら、心子がどんな気持ちでいたのか思いを巡らせました。

 もちろん心子と華子さんは違う人格ですが、心子もこんなことを考えていたのだろうかと思わせる文面もあって、感じ入りました。

 華子さんは少しずつ快方へ向かっているそうです。

 心子もそういう道行きがあったらと、思わずにはいられませんでした。

 華子さんのさらなる快復を祈るばかりです。


 「青い扉」の本文中に良い詩があったので、引用させてもらいます。

「たくさんのものをあきらめて
 見上げて空の色を確かめる

 いつも同じいつもの毎日の空で
 それでも僕の身体の真中は
 ちょうど「淋しさ」はいるくらい
 大きな傷口あいている

 なんでこんなにシンシンするのか
 今さら気が付いてしまって
 細い道を歩いていかないと
 生きられなくなった

 だからその細い道を
 細く細く歩くから
 そっと力をかしてください

 僕の涙は見ないフリして
 そっと支えになってください

 すこし離れて
 すこし近づいて
 そしてすこしだけ
 できたらすこしだけ愛をください」

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「トランス・トランス・フォーエバー」(新風舎)

2006年01月11日 11時48分45秒 | 心理

 「境界に生きた心子」を読んでくださった読者の方からお手紙をいただきました。

 心子と同じ心の障害を抱えて亡くなられた女性のお母さんからです。

 娘さんはわずか18歳で自らの人生の幕を引かれましたが、フィクションが自分を凌駕すると謳って小説を書いていました。

 お母さんはその遺稿をまとめ、1冊の本として新風舎から出版をされました。

 「トランス・トランス・フォーエバー」(櫻井まゆ)。

 娘さんご本人によると、「自発性トランス」というものに半分該当するそうで、意識的ないし無意識的にトランス状態に入るそうです。

 本書は、未完成ながら鋭敏な筆致に彩られ、随所に目を見張るような描写が感じられます。

 平凡な日常の中のアブノーマルを描き出す感性と、心の障害ゆえの過敏さとの関わりは何とも言えませんが、
 華咲く前の才能の夭折は、ことさら名残り惜しい想いに駆られるものです。

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Amazon のレビュー事件

2006年01月10日 16時13分15秒 | 「境界に生きた心子」

 ネット書店Amazon に「境界に生きた心子」も掲載されており、読者によるレビューがあります。

 実は拙著の出版後、明らかに同一人物によると思われる、低劣な誹謗中傷がいくつも書き込まれ続けていました。

 これでは、せっかく拙著を読もうとAmazon にアクセスしてくれた人が、多数の酷評を見て買うのをやめるということに繋がってしまいます。

 知り合いの弁護士にも聞きましたが、偽計業務妨害・名誉棄損に当たりうる犯罪です。

 拙著のような小さな本にとって、ネット上の顔とも言えるAmazon のレビューは、甚大な影響力があると思います。

 危機感にかられて知人たちに、不評を補うレビューを書いてもらうようお願いし、何人かが書いてくれました。

 出版元の新風舎を通してAmazon にも問い合わせ、対処してもらうよう要請しました。

 しかしネット上では法整備も遅れており、当初なかなか適切な処置を取ってもらえませんでした。

 一時は連日のように、また一日に二つも酷評が書き込まれたりし、全く異常な事態でした。

 しかしそれをピークにその書き込みが止まり、胸をなで下ろしていました。

 ところがその3ヶ月後、再び同一人物の悪評が立て続けに複数アップされてしまいました。

 新風舎の人の意見で、今度は僕から直接Amazon に文書で要請しました。

 その文書はAmazon のカスタマーセンターに転送され、今までの不適切なレビューを規約違反と判断して、全て全面削除してくれました。

 そしてAmazon から速達で、著者に不快な思いをさせたことの謝罪など、丁寧な挨拶もありました。

 長い間苦しめられた懸案にとうとう決着が付き、やっと枕を高くして眠ることができたのでした。

 今後も同様なことがあればAmazon は対処してくれるので、もう悪行は通用しません。

 ネット上ではこういう恐ろしい災厄が起きてしまいますが、被害が最小限に食い止められるようにしていかなければと思います。

(Amazon 「境界に生きた心子」のページ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4797439130/)

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「ALWAYS 三丁目の夕日」

2006年01月09日 20時55分16秒 | 映画

 昨年の日本アカデミー賞で、全部門優秀賞を受賞した話題作。
 西岸良平「三丁目の夕日」を原作に、昭和33年の東京を舞台にした秀作です。

 ハリウッド映画のような凝ったストーリー展開やスピーディーな演出もなく、極めてオーソドックスなドラマなのに、ぐんぐん作品に引き込まれたのは何故でしょう? 

 僕が主人公の少年たちとほぼ同年代だという、ノスタルジックな思い入れだけではないと思います。

 「セカ中」や「黄泉がえり」のあざとくて間延びした演出に、退屈や苛立ちを覚えた僕も、大いに涙腺を刺激されました。

 そんな心の故郷のような作品が、最新のFVXの進歩によって実現したというのもまた味わい深いです。

 少しずつ高くなっていく建設中の東京タワー,当時の都心の街並,黒煙を吐き出しながら疾走するSL,銀座を走る路面電車など……。

 ささやかな笑いと涙を届けてくれた一作でした。

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「キレ」防止に3歳までの愛情大切

2006年01月08日 20時42分04秒 | ボーダーに関して

 過日の新聞に、境界性人格障害の問題にも通じる記事が出ていました。

 以下に引用します。

「3歳までの愛情 キレない子育成  文科省検討会が提言

 『キレる子』にしないためには、乳幼児期の家族の愛情や生活リズムの定着が大切だとする提言を、文部科学省の『情動の科学的解明と教育等への応用に関する検討会』(座長・有馬朗人元文相)がまとめた。

 提言は、人間の情動は5歳ごろまでに原型が作られると指摘。

『その後の取り返しは不可能ではないが、年齢とともに困難になる。
 3歳ごろまでに母親をはじめとする家族の愛情を受けるのが望ましい』と述べている。

 脳内でコミュニケーションや意欲をつかさどる『前頭連合野』の発達は8歳ごろがピークで、20歳ごろまで続くとも述べ、乳幼児から小学生までの教育の大切さを強調する内容になっている。」

 幼少期の親の愛情が必要だということが、科学的にも指摘されたということですね。

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「子供の心の悩みと向き合う本」(KKベストセラーズ)

2006年01月07日 20時48分16秒 | 心理

 書庫「女医さんのお話」の先生・森津純子さんが書かれた本です。

 森津先生とは、ホスピスの勉強していたときに知り合いました。

 これまた偶然ですが先生は、昨日書いた小澤先生のホスピスで非常勤もしていました。

 現在、病める人たちの心の治療にあたっていますが、心の問題を抱える子供たちのカウンセリングが急増しているといいます。

 うつ,ひきこもり,拒食症,パニック,暴力……それらは境界例と共通する部分があります。

 先生は、問題行動を起こす子は問題児ではないと訴えます。

 彼らは感受性が豊かで敏感であり、相手の言葉の裏に隠れた心(本人も気付いていな い)を読めてしまうため、それに傷つくのだと、一貫した姿勢で描かれています。

 本書は、そんな子供たちが心の中で何を感じ、彼らとどう関わっていけばいいかを、体験を通して書き記している本です。

 彼らはその豊かな感性や能力ゆえ、ちょっと「生き方のコツ」を知れば、天使のような存在に変わっていき、普通の人以上の幸せや喜びを見つけていくそうです。


 先生もボーダーの患者さんと格闘しながら、普通の社会生活のスタートラインに立たせていった経験があるそうです。

 ある時、患者さんがお母さんをナイフで刺そうとし、先生は身をていして、
「刺すなら私を刺しなさい!」
 と立ちはだかったといいます。

 普段のしなやかな立ち居振る舞いからは信じられないような、命懸けの姿勢で治療をしておられるのですね。

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「苦しみの中でも幸せは見つかる」(扶桑社)

2006年01月06日 21時05分33秒 | 心理

 昨日の記事に書いた、父の最期を看取ってくれたホスピス医長・小澤先生の著書です。

 僕は上智大学内「生と死を考える会」で、小澤先生がまだ医学生だったときに知り合いました。

 小澤先生は山形で田舎の先生を経たあと、僕の実家の隣駅のホスピスにやってきました。

 ホスピス病棟で働く体験を通し、「命を限られる」という絶望のなかで、なお希望を持って強く生きていく、多くの患者さんたちに出会ってこられました。

 病気によって様々なものを奪われていっても、周りの人との関係によって大切な存在価値を与えられ、新たな生きる意義を見出していくといいます。

 本書は、全ての苦しむ人のために書かれた本です。

 苦しみの中からこそ逆に得ることができる、人間の本当の幸せ,本当の価値は何かというメッセージが込められています。

 人は、苦しいときこそ最も豊かなのです。

(翻って、境界性人格障害の人は、苦しみを希望に転換していくという、この人格の力に障害があるというのが、如何ともしがたくやり切れないことです。)

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父の最期

2006年01月05日 20時24分43秒 | Weblog

 元旦に母の最期のことを書きましたが、その3年後に母の後を追った父のことを書こうと思います。

 父は心子が亡くなった年、その前年に手術した肺がんの転移が肝臓に見つかりました。

 がんセンターで抗がん剤治療ののち、回復の見込みがなくなってから、ホスピスへ行くことにしました。

 僕は以前ホスピスを舞台にした作品を手がけていて、父もホスピスについては理解していました。

 僕は上智大学内にあった「生と死を考える会」という所でホスピスなどの勉強していましたが、そこで知り合ったドクターが偶然、実家の隣の駅にあるホスピスの医長でした。

 僕は前々から、もしも親ががんで亡くなる場合は、このホスピスで最期を迎えさせてもらいたいと思っていたのです。

 最初に1週間の入院で、吐き気などの苦痛を取ってもらい、その後は週一回の通院で、モルヒネを服用しながら自宅で過ごすことができました。

 その前から僕は実家に戻って父の食事を作るなどしていましたが、身の回りのことは父は自分でできたのは幸いでした。

 そして最後の想い出に箱根旅行を計画し、一泊の旅を実現することができました。

 旅行から帰った翌日、父はにわかに容態が悪化,意識も低下してきて、3日目の夕方急遽ホスピスへ入院することに。

 それから3日、最期は文字通りすうっと火が消えるように、父は息を引き取っていきました。

 ドクターは僕の腕時計で、死亡時刻を確認してくれました。


 父は最後の旅行に行くまで、命の灯火を保っていたのでしょう。

 人は、自分で自分の最期の時を決める。
 それは、本当にあることなのです。

 苦痛も少なくて、周りに弱ったところを見せたり面倒をかけることもなく、とても父らしい最期だったと思います。

 生前、僕は心子を父に紹介したいと思っていましたが、心子は状態が悪化して数時間先もどうなるか分からない状況で、予定を立てられなかったのが残念でした。

 でも今は天国で、心子は父の肩でも揉んでくれていることでしょう。

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「妻は多重人格者」〔追伸〕

2006年01月05日 16時54分12秒 | 心理
 作者の花田深さんから、今日年賀状が届きました。

 「妻は多重人格者」のドラマは、3月にフジテレビ金曜エンターテイメントで放送されるそうです。

 シナリオの執筆が半年も遅れていたとか。
 でも実現に至ってとても良かったと思います。
 関心のある方は是非ご覧ください。

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「妻は多重人格者」(集英社)

2006年01月04日 20時19分28秒 | 心理

 映画監督である花田深さんのドキュメントです。

 著者の奥さんが知らない間に多大な借金をしまくり、やくざに追われて一家崩壊の危機にさらされてしまいます。

 ところが、実は奥さんは多重人格(解離性同一性障害)で、別の人格が本人に復讐するために借金を重ねていたというのです。

 奥さんが子供のときに受けてきた虐待はむごいもので、読んでいて涙が出るほどでした。

 債務地獄で夫婦心中するまで追い込まれた挙げ句に、町沢静夫氏の下で治療を受けることになります。

 著者と各人格が話し合いをして、次第にお互い理解し合っていきます。
 各人格が主人格の奥さんと統合されるか、或いはどこかへ消えていくという過程は非常に興味深いものでした。

 人格が統合される場合は納得して合体するので、再び悪さをすることはなく、また元の人格の記憶も保っているそうです。

 一方、人格が消えていく場合ですが、人間の意識の中は奥に入っていくほど無限の宇宙のような広がりがあり、人格はそのどこかで永遠の眠りにつくのだといいます。
 その記述は圧巻でした。

 この本を書店で見つけたのは拙著の校了直前だったため、拙著の参考文献としては載せられませんでしたが、著者に手紙を書かせてもらい、お返事をいただきました。

 ドラマ化の話もあるということで、その企画のプロデューサーは奇遇にも、僕もお世話になったことのある人でした。

 そのシナリオ担当の脚本家も偶然僕の知り合いでしたが、作品がオンエアされるまでには本当に多くのハードルがあり、実現するかどうかまだ分からないようです。

 境界性人格障害は一般の人には、多重人格よりさらに理解をされにくいものだと思います。
 僕もいつの日か拙著の映像化を夢見ますが、気が遠くなるほど困難な道のりだと思います。

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「多重人格…でも私はママ」

2006年01月03日 19時57分25秒 | 心理

 本の紹介です。
 「境界に生きた心子」の参考文献にも挙げたのですが、境界性人格障害で解離性同一性障害の女性と、そのご主人が書いたノンフィクションです。(ぶどう社)

 子供の時から傷つく体験を重ねてきたにも拘らず、夫婦協力してボーダーをほぼ克服し、現在は新天地の石垣島で親子三人暮らしています。

 ご自分でブティックを開き、体調不良を抱えながらも毎日独りで店を営んでおられます。

 心子はこの地上では回復することができませんでしたが、この方はしっかりとご自分の足で歩み、他のボーダーの人にも希望を与えています。

 ホームページを開設していて、僕もときたま掲示板に参加し、お話をさせていただいたりします。
http://www.bbsplus.net/cgi-bin/m3/joy.cgi?id=bluesky
http://www.journey-k.com/~blue-sky/

 とても優しくかわいい方です(お顔は拝見していません( ^^;))。
 いつの日か南の島へ行ったとき、お会いすることができたらと思います。

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元旦・母の命日

2006年01月02日 21時26分42秒 | Weblog

 新年、明けましておめでとうございます。
 今年もどうぞ「境界に生きた心子」をよろしくお願い申し上げます。

 先ほど、元実家から戻ってきました。
 料理をたらふく食べ、近所の神社に初詣で拙著の広がりを祈ってきました。

 実は、毎年元旦は僕の母親の命日です。
 脳出血で3年間の入院の末、肺炎を併発して、平成11年1月1日1pm(1づくめ)、不帰の客となりました。
 最後は意識もなく、苦しむことはなかったのだろうと思います。

 脳出血を起こしたときは出血量が多く、意識の回復も危ぶまれたのですが、家族の声かけやスキンシップが功を奏し(たのだと思いたい)、ドクターの予想を大幅に裏切って、簡単な日常会話ができるまでになりました。

 でも左半身が完全に片麻痺となってしまい、意識不明の期間が長かったため筋力も衰弱、要全介助の状態にならざるを得ませんでした。

 入院中、僕も週2~3回の割合で見舞いに行き、それまではなかった二人だけの時間を過ごすことができました。
 正月を含め年に3回ほどの帰宅が、母にとって何よりの楽しみだったと思います。

 母が世を去ってから3年後、母の看病に尽くした父が、がんで母の後を追っていきました。
 その年は、心子が神に召されて行った年でもありました。

 今は空の高い所で、心子のお父さんたちも含め、皆で穏やかに僕たちを見守ってくれていると思います。

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