「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

「博士の愛した数式」(1)

2006年01月25日 21時59分22秒 | 映画
 
 原作は小川洋子「博士の愛した数式」(新潮社)

 交通事故で頭を怪我し、それ以後のことを覚えられなくなってしまった数学の博士。

 事故以前のことは全て覚えていますが、新しいでき事に対する記憶は80分間しかもちません。

 博士の人生の記憶は事故の時点で止まり、それ以降に体験したことは、80分経つとなかったことになってしまうのです。

 自分は記憶ができないということさえも記憶できません。

 過去の記憶を失う「記憶喪失」を「後方性健忘」と言うのに対して、「前方性健忘」と言われるものです。

 博士の家政婦となった杏子と、その10才の息子√(ルート)の、3人の間に織りなされる優しい時間の物語です。

 毎日訪問してくる杏子やルートは、博士にとっては常に初対面。

 毎回同じ挨拶や会話が繰り返されますが、杏子はいつも笑顔で受け答えます。
 

 博士が語る不思議な数式の魅力にいざなわれながら、3人はたおやかな時を過ごしていくのです。

 子供が好きで、無機的な数字に人間味あふれる価値や解釈を与える博士の心。

 新たな体験が積み重ねられることのない博士にとっては、常に「今」が全てでした。

 杏子が料理をする姿を眺めたり、野の草をつんだり、野球に興じたり……。

 それは杏子とルートにかけがえのない、温かい日々として刻み込まれていきます。

 そしてやがて、かたくなだった博士の義姉の心をも開いていきました。

 映画ではそれが象徴的な、胸に迫るシーンで描かれます。
 

 普通映画の基本は、ファーストシーンから始まってエピソードを積み上げていき、次第に盛り上がってクライマックスで最高潮に達して、一挙にカタルシスを迎えます。

 けれどもこの映画の構成はとてもゆるやかで、穏やかなのです。

 映画的に構築されたシナリオではありません。

 でも映画を見終わったとき、僕はふと気付いたのでした。

 この映画は、そのとき、そのときを、しっとりとつづり上げているのだ。

 エピソードの組み立てによってラストを導くのではなく、常に「今」を精一杯味わうことが大事なのだと……。


 上映終了後、会場のどこからともなく拍手が沸き起こりました。

 日本では珍しいです。

 80分しか記憶がもたない博士の映画は、僕の記憶にずっと残りそうです。

(続く)