「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

父の最期

2006年01月05日 20時24分43秒 | Weblog

 元旦に母の最期のことを書きましたが、その3年後に母の後を追った父のことを書こうと思います。

 父は心子が亡くなった年、その前年に手術した肺がんの転移が肝臓に見つかりました。

 がんセンターで抗がん剤治療ののち、回復の見込みがなくなってから、ホスピスへ行くことにしました。

 僕は以前ホスピスを舞台にした作品を手がけていて、父もホスピスについては理解していました。

 僕は上智大学内にあった「生と死を考える会」という所でホスピスなどの勉強していましたが、そこで知り合ったドクターが偶然、実家の隣の駅にあるホスピスの医長でした。

 僕は前々から、もしも親ががんで亡くなる場合は、このホスピスで最期を迎えさせてもらいたいと思っていたのです。

 最初に1週間の入院で、吐き気などの苦痛を取ってもらい、その後は週一回の通院で、モルヒネを服用しながら自宅で過ごすことができました。

 その前から僕は実家に戻って父の食事を作るなどしていましたが、身の回りのことは父は自分でできたのは幸いでした。

 そして最後の想い出に箱根旅行を計画し、一泊の旅を実現することができました。

 旅行から帰った翌日、父はにわかに容態が悪化,意識も低下してきて、3日目の夕方急遽ホスピスへ入院することに。

 それから3日、最期は文字通りすうっと火が消えるように、父は息を引き取っていきました。

 ドクターは僕の腕時計で、死亡時刻を確認してくれました。


 父は最後の旅行に行くまで、命の灯火を保っていたのでしょう。

 人は、自分で自分の最期の時を決める。
 それは、本当にあることなのです。

 苦痛も少なくて、周りに弱ったところを見せたり面倒をかけることもなく、とても父らしい最期だったと思います。

 生前、僕は心子を父に紹介したいと思っていましたが、心子は状態が悪化して数時間先もどうなるか分からない状況で、予定を立てられなかったのが残念でした。

 でも今は天国で、心子は父の肩でも揉んでくれていることでしょう。


「妻は多重人格者」〔追伸〕

2006年01月05日 16時54分12秒 | 心理
 作者の花田深さんから、今日年賀状が届きました。

 「妻は多重人格者」のドラマは、3月にフジテレビ金曜エンターテイメントで放送されるそうです。

 シナリオの執筆が半年も遅れていたとか。
 でも実現に至ってとても良かったと思います。
 関心のある方は是非ご覧ください。