てつがくカフェ@ふくしま

語り合いたい時がある 語り合える場所がある
対話と珈琲から始まる思考の場

第34回てつがくカフェ@ふくしまのご案内―「ルーツとアイデンティティを問う」―

2016年01月07日 06時26分04秒 | 開催予定
【テーマ】 「ルーツとアイデンティティを問う」
【日 時】 1月9日(土)16:00~18:00
【場 所】 イヴのもり
     (福島市栄町6-4 南條ビル2F・TEL 024-523-5055
【参加費】 飲み物代300円
【事前申し込み】 不要 (直接会場にお越しください)
【問い合わせ先】 fukushimacafe@mail.goo.ne.jp


今年初は【現場/当事者から考えるシリーズ・第2弾】として、(有)ささき牛乳の佐々木光洋さんのお話を伺いながら「ルーツとアイデンティティ」について哲学的に語り合いたいと思います。
映画「ある精肉店のはなし」を題材にしたシネマdeてつがくカフェを開催した際、ゲストトーカーとしてお招きした佐々木さんは、ただいま福島民報新聞の「民報サロン」の執筆者として、おもしろいエッセイを書かれています。
それを読ませていただきながら、思いついたのが今回のテーマでした。

いつも佐々木さんのお話から感じることは、彼の地に足の着いた酪農家としての誇りと、地域の歴史と人格が結びついた文化人としての薫りです。
生まれ故郷を離れ、デラシネ(根無し草)のように様々な地域を渡り歩いてきた世話人たちにとって、その生き方は大変興味深いものです。
いったい、この時代に生まれた私たち個々のアイデンティティが、歴史のルーツと結びつくとはどのようなことなのか。
佐々木さんのお話を伺いながら哲学してみましょう!

以下に、佐々木さんが投稿された民報サロンの掲載記事二編を、ご本人のお許しをいただいてアップさせていただきます。
今回のテーマを考えるための参考としていただければ幸いです。


「民報サロン」第2回掲載記事・佐々木光洋

私は鰻を食べません。
体に合わないとか、価格が高騰しているから(笑)ではなく、一つの信仰です。
亡くなった祖母が食べない人でした。
なぜ?と言う問いに「虚空蔵様があるから。鰻は虚空蔵様の使徒だから」と。
家の敷地内に小さな虚空蔵菩薩のお堂があって、旧暦の九月一三日にささやかに奉るのですが、子供の時はそれらの話の由来が何なのかはわかりませんでした。

それが明らかになったのは家の本棚に眠っていた「古郷之忘形見」を見つけたからです。
これは福島市佐原にある慈徳寺の元住職・故橋本邦雄さんが昭和五九年に刊行した郷土誌で、収められている内容は「奥州信夫伊達二郡略年代記」「奥州信夫郡佐原村根元記」「義民太郎右衛門関連資料」と盛りだくさん。

「略年代記」「根元記」は、佐原出身で江戸で易者として生きていた近野和安さんが一七七〇年代に書きまとめた風土記で、住んでいた人の名前、田畑の様子、あった出来事、社会的な事件等々、特にローカルなネタの宝庫と言える本なのです。
この中に「虚空蔵様が子供たちと泥遊びをしていて楽しんでいたのを大人に止めさせられて、夢枕に出てきて大人に文句を言った」話や、「隻眼の鰻が天から井戸の中に降ってきて、助けて裏の鍛冶屋川に離してやった」話、「信達一の古木の桂の木の枝を切って鉢を作ったら、夜な夜な桂の木の精が「鉢を返せ〜」と声を出した」話等々、子供の頃に聞いたことのある話が満載なのです。
またこの本の中には、自分の祖先の名前が出てきたり、「神様の畑」と呼んでいる畑の一角にある石の祠が「星の宮」と言うとてつもなく素敵な名前であることを初めて知ったりしたものでした。
ルーツが明らかになっていくときのワクワク感をこの本を開くたびに感じるのです。

橋本先生(小学校の教壇にも立たれていた)の説明によると、江戸に移った和安さんは、一度書き上げた書冊を江戸の大火で消失したのだそうです。
再び筆を取るにあたり「某 古郷の忘れ形見と存じ またまた その後心配り 再書染筆仕り申し候。」と、故郷佐原を思う気持ちをしるし、故郷の大地に取り組み「暇なく苦しみ申す」佐原の農民の歴史を後世に残さんとする切々たる心情を述べている…とのこと。
二五〇年前の和安さん、そして三〇年前の橋本先生の「故郷の素晴らしさを未来に!」との思いに感謝せずにはいられないのです。
「よくぞ残していただいた!」という思いとともに。
私たちは今の時代に生きる「個」であるのと同時に、過去を受け、未来に伝えていく「つなぎ役」。
今の時代ならではの「つなぎ方」とはどんな形なのか?自分に出来る事は何なのか?とこの本を手にするたびに思いを巡らさずにはいられないのです。


「古郷之忘形見」は福島市立図書館にも収蔵されていますので見ることができます。
 そうそう、鰻の話に戻るのですが、まるっきり食べたことがないのかというと一度だけ…。
高校卒業後北海道の牧場に三年住み込みでお世話になった時に、オーナーがご馳走するからと…。
さすがに断っては失礼だなとか、自宅じゃないから大丈夫とか言い訳を考えつつ、いただきました。
味?うん、おいしかったです。



「民報サロン」第5回掲載記事・佐々木光洋

今から三五年前、私が福島市立佐原小学校五年生の時に全校児童が出演する劇が上演されました。
「義民 太郎右衛門」
江戸時代の中期、将軍吉宗の時代。福島市の南部は東西にわたって幕府の直轄地・天領でした。
天候不順による作物の不出来で飢饉が起こり、食べるのに困った農民の一揆が起こりました(信達百姓一揆)。
大森代官所への一揆もうまくいかず、その後数人で江戸に登り目安箱へ直接直訴すると言う行動に出た一人が私たちの地区出身の佐藤太郎右衛門様でした。
結果として一揆を起こした首謀者として太郎右衛門様は地元に戻され打首獄門となりました。
しかしながら故郷のために体を、命を張って行動された太郎右衛門様達のことを「義民」として地域の方々は敬ってきました。
あづま総合運動公園に隣接する角に「義民終焉の碑」が立っています。

小学生だった私は「地域に昔偉い人がいた」と言う認識でしかなかったのかもしれません。
その後大人になって家の本棚に眠っていた「古郷之忘形見」を見つけ、その中に小学生の時に演じた劇が、太郎右衛門様が義民となってから二五〇年祭の時のものであったということを知りました。
自分が十一歳のときに二五〇年であるならば六一歳のときに三〇〇年祭がやってくる…。そのことが頭の片隅に残るようになりました。

二〇一一年、震災によって私は「生きづらさ」を感じた時に、過去にも同じような生きづらさがあって、しかしそれでも自ら考え行動に出た太郎右衛門様のことを強く考えるようになりました。
同時にその行いを次の世代に残そうとした故郷の多くの名も無き人のことにも思いを馳せるようになりました。

太郎右衛門様が目安箱に出した直訴状。
これは故郷の人々の中で秘密裏に受け継がれてきたそうなのです。
紙がボロボロになれば新たに書き直され、次の世代に渡されてきたのです。
この「想い」がなければ私たちは自分達の故郷で過去に何があったのかということに知り得なかったかもしれません。

ならば今を生きる私達も次の世代にこれを伝えていく必要性があるのではないか、と考え「義民太郎右衛門を語り継ぐ会」が二〇一二年に結成されました。

太郎右衛門様の劇を復活させることはもちろん、ゆかりの地を歩くスタディーツアーのようなものも面白いと考えています。
太郎右衛門様一族が指揮をとって開発された太郎右衛門堰に光を当てることにも取り組みたいものです。考えを巡らすだけで、やはり地元には多くのコンテンツが眠っている!と言う思いにさせられます。

命に限りがある以上、一五年後の三〇〇年祭(二〇三〇年)には関われても三五〇年祭はきっと無理であろうと(笑)
その時に大人になっているであろう子供達が故郷の歴史に興味を持ち、それを自分達が担っていくのだと言う思いに至ってくれるような「キッカケ」を作り、「想い」を語り継いでいく必要性を強く感じているのです。
直訴状を書き直し伝え続けた過去の名も無き人たちのように!



お茶を飲みながら聞いているだけでもけっこうです。
飲まずに聞いているだけでもけっこうです。
通りすがりに一言発して立ち去るのもけっこうです。
わかりきっているようで実はよくわからないことがたくさんあります。
ぜひみんなで額を寄せあい語りあってみましょう。

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