風に吹かれてぶらり旅

まっすぐに生きる人が好き

愛すること

2006-08-09 19:48:10 | 徒然
 一昨日、昨日で一冊の本を読んだ。
『光の教会 安藤忠雄の現場』(平松剛・著/建築資料研究社)という本だ。

実はこれは現場のアルバイトに入る前、2月に女性の設計士の先輩に借りたものだった。でも殆ど断片的にしか読んでおらず、この間その先輩のいる事務所を訪ねたら「ぽん、本は?」と聞かれてしまった。

「殆ど読んでません」と答えたら
「今度8月の半ばに飲み会来るんでしょ?その時に返してね」と言われた。

現場のバイト中は特に後半、ブログを書く余裕もないほど精神的にゆとりがなかったから、読む余裕なんてなかった。でも読んでおけばよかったかなぁとも思った。それは設計者、施主、施工会社、職人その他色々な立場の人が出てきて、建物ができるまでの一連の流れが描いてあったからだ。でも、今読むとバイトで出会った色々な人や場面が浮かんできたから、やはり今がその本を読むタイミングだったのかもしれない。

 この本の著者は早稲田大学理工学部建築学科を卒業後、同大学院をでて構造設計事務所で4年間働き、フリーとなって仕事をしているらしい。つまり、建築の専門的な知識を持った人が書いたノンフィクション作品なのだ。読み物として軽い内容ではなく物語として成立していて、かつ、設計や施工について技術的な解説も平易な表現でわかりやすく描いてあるのだ。だから入りやすい。

 そして内容は全部で10章に分けられ、構成されているのだが、特に建物の竣工(完成)~その後の人々の反応までを書いた9・10章は感動して一人、喫茶店で涙を流して読んでいた。近くに女子高校生か中学生の男女6人が座っていたのだが、多分一人で鼻をかみ、涙を拭く私は視界に入っているだろうから、「この人はなんなんだろう」と思ったに違いない。でもそんなのはお構いなしだった。

 ものづくりを愛する人の情熱、ストイックさに胸を打たれた。
かなりの低予算で妥協をせず、美しいものを創るその姿勢には正直尊敬すると同時に、やはり次元が違うと思ってしまうのだった。でも私はものづくりってこういうもんなんじゃないかと思うところもあって、やるなら自分が目指すのはこういうレベルなんだなって思った。ただ、そしたら一生を懸けないとなぁ…と。そんなことを考えたら涙が…この本に出てくる「光の教会」の施工を請け負った建設会社の社長の人物像が最も泣かせるのだった。

 今日はオシムジャパンが今、試合をしている。
父と私はちゃぶ台をはさんでにんにくの茎や秋刀魚の開きをつまみながら、テレビの前で観戦していた。私が「やっぱさ~、この試合に出てるサッカー選手も本当にサッカーが好きでやってるんだよね~~」と当たり前のことをため息混じりにつぶやいたら、
「いや、オシムは『日本の選手は遊んでいる。家庭も顧みないくらいの覚悟でサッカーにのめり込まなければ強くならない』っつってんだってな~。やっぱ世界で勝てるようになるにはそうなんだろうな」と父が言った。「これからが楽しみだね」「そうだな、長い道のりだな」そんな会話があった。

 私は、この本を読みながらいくつか思い浮かんだことがある。
それを喫茶店の紙ナプキンにメモした。
そのメモには「共に生きる」と書かれている。

好きと愛することの違いは、「共に生きる」ことを考えてるかどうかではないかという仮説が浮かんだのだ。好きな人ならいっぱいいる。でも愛する人は一人、そういう人との恋愛にもいえるけれど、職業にも置き換えられるのではないかと思った。

好きだけじゃだめなんだってドリカムの歌があったけれど、サッカー選手も建築家もただ「好き」だけじゃだめなんだ。その瞬間に人生を懸けられるかどうか、それが一流かどうかなのだと思った。私は自分の力を存分に発揮できる場所で一流になりたい。だから悩むのだった。最初の一歩をどこに踏み出すか…

 また、今日は夕方、18:30ごろ音楽を聴きながらぷらっと近所を散歩しに出かけた。マンション郡の周辺に広がる緑の田んぼと美しい夕焼けを見ることができた。一瞬であったけれど、ずっとみていたい風景だった。人の一生なんて、宇宙や地球の長い歴史に比べれば私が見た夕焼けより一瞬で終わってしまうものなのかもしれない。