風に吹かれてぶらり旅

まっすぐに生きる人が好き

現場プレハブ撤去の日

2006-08-08 22:37:52 | 徒然
 現場事務所プレハブ撤去の日、私は人生であまり経験したことのない衝撃を受けた。本当に私は漠然と建築や設計に憧れてを持っていただけだったのだと思い知らされるような出来事だった。

それは、現場の仮設事務所を撤去する時のこと、
事務机や椅子、書類棚やロッカーなどのレンタル屋からレンタルした備品は返却した。
あと経費で購入したミニ金庫やバーベキューセット、スリッパ、名札、ハンコ、急須に湯のみ、ファイル、大量のカップホルダー等々、殆ど処分した。
また、それまでボックスファイルにためていたテナントの図面や書類なども、本当に重要なもののみを残し、処分した。

事務所に送り返したものは、ダンボール3箱ほど。
また、図面などはデータで受け取ってあるものなどもあるので、今回の内装監理室の業務の内容はCD-R8枚程度に収まっている。

私は、愕然とした。
私は、この現場で使ったものは殆ど処分する、という現実からしばらくボーゼンとしたのだった。

 何がそんなにショックだったの?と思う人もいるかもしれない。
でも私にはものすごくショックだった。
ふる~~~い考え方なのかもしれないけれど、私は親から「物は大事にしなさい」と教わってきた。幼い頃、「外国には食べたくても食べられない人が沢山いるのよ」そいういうセリフを親から聞かされてきて、無意識のうちにそいういう考え方が正当だという価値観ができあがっていた。

 100円均一で買った湯のみ、急須、その他もろもろ
 ASKULで買ったミニ金庫…買って3ヶ月ほどしか使ってない。
 でも、持って帰って使いたいとは思わなかった。
 「もったいない」と思いつつ、だからといって必要か?と言われると要らなかった。
 
 それらは使い捨て用でなくても、使い捨ての運命だったのである。
私はこういう備品を経費で購入するときに、まさかこの備品たちがこんなに短命で終わるとは思ってもみなかった。
それをサクサク捨てていく様子を見て、私は空しくなってしまった。

 所詮モノなんて消えゆく運命なんだと。
残されるものなんて、全体のほんの一部なのだと。
重要なのは本質なのだと思った。
つまり、最初から本質を意識してモノを買ったり、創ったりすればムダがない。
私はどうせ創るなら愛されるものを創りたい。簡単に捨てられたくない。
残るものをつくりたい。

ここから、私はただ単に設計をやりたいと思ったわけではない、
単に建築が好きなのではない、と確信した。
私は本質的な心=精神を持った、言い換えればこだわりを持って創られた、建物だったり、空間だったり、風景だったり、作品と呼べるものが好きなのだ。スクラップアンドビルドの中に私が惹かれたものはない。
捨てられ行く備品たちをみて、最初からこういう運命だと知っていればオマエタチをむやみに買ったりしなかったよと思った。

 私はこの日現実を見た思いがした。目が覚めたというか…
そして、私は現実とのせめぎあいの中でこだわりを持ってものづくりをしている会社で働きたいと思った。建築、設計に憧れと理想を描いた自分の甘さを痛感したのだった。